2021年2月3日
Eric Schatzberg, Technology: Critical History of a Concept
University of Chicago Press, 2018年
評者:河西 棟馬
日本語の「科学」が英語のscienceに対応することはいうまでもない.では,これと対になって語られることの多い「技術」は何に対応するかと考えてみるとtechnology, technique, engineering, skill, craft, artなど,複数の候補が思い浮かぶ.「技術」は漢籍にも見られる言葉で日本語としても長い歴史を持つが,近代以降翻訳によって多くの外国語を引き受けてきた事情もあり,よくよく考えてみるとたいへん多義的な言葉である.言葉はその歴史のなかで重層的な意味を獲得していくものであり,それはどの言語でも変わらない.
本書は英語のtechnology(日本語の「技術」とは必ずしも重ならないため,以下「テクノロジー」と訳す)という概念を対象に,古代から20世紀までの2000年以上に渡ってその歴史をたどるという,恐ろしく野心的な試みである.ただし,本書の著者エリック・シャッツバーグは航空技術史などの領域で仕事を行ってきた技術史家であり,彼の主戦場は20世紀である.本書は序章と結論を含めて計13章で構成されているが,古代から19世紀までを扱う第2章から第7章は長い助走という位置づけであって,力点は20世紀を対象とした後半の第8章以降にある.というよりも,「19世紀までテクノロジーは今日と全く違う意味を持っており,今日我々が用いているようなテクノロジー概念は20世紀において初めて出現した」というのが本書の重要な主張であり,20世紀になるまで狭義のテクノロジー概念史は始まらないのである.
要約
まずは少々丁寧に本書の内容を見ていくことにしたい.シャッツバーグは序章で今日用いられているテクノロジー概念の多義性を確認する.テクノロジーは現在「最新の技術革新の成果」や「応用科学」,「目的合理的理性」(大陸系の哲学の用法)などの意味で使われており,その意味するところは錯綜している.本書の課題として設定されるのは,こうした概念的混乱の由来を解き明かすことである.しかし「かつての学者たちとは異なり,わたしたち[歴史家]は時間を通じて安定した概念の存在を前提することができなくなっている」(p.14)のであって,そのような時代にあって無時間的な概念の存在を措定する哲学的概念分析は歴史家の役に立たない.そこで,その時代・場所ごとにその概念がどのような内容を持っていたかを記述していくというアプローチ,即ち概念史の方法論が要請される.
シャッツバーグはテクノロジー理解には2つの伝統があることを指摘する.一つはテクノロジーを人間文化の創造的表出とみなそうとする文化的伝統であり,もう一つは何者かが設定した目的に奉仕するための道具として理解しようとする道具的伝統である.前者はテクノロジーに固有の創造性やその担い手たる技術者や職人の主体性を認めるが,後者はこれらを認めない.この対立関係が古代ギリシャから今日に至るまで脈々と受け継がれている,というのが,本書をまとめる一つのテーマとなっている.
第2章から本論が始まるが,最初に扱われるのは古代ギリシャのtechneおよび古代ローマのarsである.現代英語のartはarsの翻訳でありarsはtechneの翻訳である.19世紀まで「技術」を意味する語として西欧世界で使われてきたのはartであり,語源学的にみれば古代語のtechneと現代語のtechnologyとの間に直接的な結びつきはない(この断絶自体が本書の主題の一つである).しかし,古代語の議論が西欧の知的伝統において参照点であり続けてきた(例えば,ハイデガーの技術論はギリシャ語のtechne概念の検討から着想を得ている)以上,この時代を無視するわけにも行かない.古代ギリシャにおいてはepisteme(science)を自由市民に属する・純粋な(外的な目的に奉仕しない)・観照によって得られる・高貴な知識とみなし,techne(art, technology) を職人に属する・不純な(外から与えられた目的に奉仕する)・実地経験によって得られる・卑俗な知識とみなすという,社会的階級と認識論的階層の結びつきが見られた.そしてアリストテレスなどに代表される古代社会のエリートたちはtechneを徳性を欠いた価値中立的な手段とみなし,その担い手たちはこれに反発した.知識の地位はその知識の担い手の地位の問題と直結していたのである.
続く第3章はローマ帝国末期から中世初期にかけてのars概念の変化を辿る.古代ローマ世界において,ギリシャ世界の知識のヒエラルキー構造は厳密な仕方では引き継がれず,arsが知識を包括的にくくる概念として用いられた.しかし,貴族的知識と職人的知識の区分はゆるやかに受け継がれ,中世において自由学芸artes liberalesと機械技芸artes mechanicaeの区別として定着する(例えば聖ヴィクトルのフーゴーなどがこの区別を自らの学問分類体系の中に組み込んだ).この時期に出現した「機械技芸」というカテゴリは19世紀に至るまで,「物質世界を変容させるために使用される知識,ないしその実践」というような意味で用いられ続けることになる.しかし,職人と哲学者は物質世界を根本的に異なる方法で認識しているとされ,techneとepistemeの明確な線引きは保たれた.
こうした職人の知と学者の知の関係に大きな変化が生じたのが,第4章で扱われる中世末期から初期近世にかけての時期である.この時期においては,宗教権力の衰退と世俗権力の伸長により軍事・通商などの面で機械技芸の重要性が高まる(これは特に採鉱冶金や兵器製造の文脈で顕著である).そうした中で職人と学者の双方から,観想的知識を贔屓する古代の偏見を非難し,機械技芸の尊厳を擁護するとともに知識の進歩における役割を主張するものが現れる.フランシス・ベイコンは学者側のこうした動きを代表する人物であった.ただし,学者たちは自らより下の社会的地位にある職人たちの知=機械技芸の地位を高めようとする一方,職人たちの地位そのものの向上は望んでいなかった.その結果取られたのは,知識としての機械技芸の美点(進歩的・経験的・協調的)を哲学(機械論哲学)の中に包摂しつつ,職人たちを学者共同体の信頼のシステムから排除し社会的従属関係を維持する,という対応であった.
第5章では18世紀から19世紀にかけてのart及びscience概念,およびその関係が論じられる.この時期において,国家と技術者の結びつきはいっそう強固となり,軍事ないし土木技術者集団,すなわちエンジニアが職人とも学者とも違う中間層としてその地位を確立する.その一方で,社会下層に位置づけられた職人たちの知識たるartと学者たちの知識たるscienceの関係にも変化がおきた.こうした知識観の変化を如実にあらわしていたのが,18世紀に出版された一連の百科事典群である.百科事典において,その編著者たち(その中にはディドロなど百科全書派の哲学者も含まれる)はartとscienceを同じ平面上に並べるとともに,両者の相互依存的な関係を主張した.知識の平等化と政治的平等化はパラレルな動きであった.しかし18世紀半ばにおいて,fine arts, beaus arts (美術/芸術) というカテゴリが出現したことで,artの担い手は芸術家artistと職人artisanの間で分極し,artの意味そのものが「芸術」に切り詰められていく.その結果,職人たちは美的感性や創造性のような徳性を剥奪され,artは職人たちや技術者たちが有する知識を指すカテゴリとしては廃れてしまうこととなる.
さらに,19世紀に入ると,サイエンティストの有する「純粋科学 pure science」とエンジニアの有する「応用科学 applied science」という対立軸が出現し,artの意味の一部(industrial arts, useful artsなど)は後者に回収されていくことになる.しかしapplied scienceというカテゴリは,新興の中産階級たるエンジニアや工場主などといった人々が自らを職人・職工から区別するための言説的な装置でもあった. 19世紀まで英語のscienceはドイツ語のWissenschaftなどと同様に「体系的知識」「学知」を意味する言葉であって,依然としてエリートの占有物というニュアンスを保持していたのである.したがってapplied scienceはartの代替物とはなり得なかった.こうした既存の概念の貧困化に第一次・第二次産業革命以降の劇的な社会環境の変化が重なったことで,英語圏の人々は自らの生きる物質文化を把握するための概念の欠如,という事態に逢着した.現代英語のテクノロジーという概念はこの「意味論的空白」1を埋める努力から出来した,というのが本書の中核をなす主張となっている.
テクノロジー概念の出現以前を扱っている2–5章は,シャッツバーグにとっては専門外ということもあって,基本的に先行研究の成果を本書の関心に沿うかたちで再構成したものとなっている.したがってこの部分でのオリジナリティは必ずしも高くない.先に触れた通り,独創的な議論が展開されるのはここから先である.ただし,これまでの教科書的な記述とはうって変わって,ここから先はもっぱら本職の技術史家を想定読者とした記述になっている.
第6章は19世紀以前のテクノロジー概念の歴史を扱ったものである.technologyという英語そのものは17世紀から存在していたが,その意味するところは文字通り「techneについての学」ということであって「技術工芸学」とでも呼ぶべきものであった.元となったラテン語technologiaは16世紀に作られた新語で,当初は機械技芸・自由学芸を含む諸学芸の分類体系を意味したという.この「技術工芸学」は 18世紀からドイツ官房学の伝統の中で整備が進み,マイナーながら大学に講座が設置されるなど制度的な基盤を得た.英語圏でこの語が普及するきっかけの一つとして,マサチューセッツ工科大学が学校名にTechnologyを採用したことがあるが,シャッツバーグはこれに対してもドイツ大学の「技術工芸学(テヒノロギー)」講座の影響を間接的に受けたものであるとする仮説を提示している(MITのTの由来はアメリカ技術史学界の長年の謎であり,証拠不在のため今尚決定的な結論は出ていない).しかしいずれにせよ,19世紀までのtechnologyとは学問の一種であり,機械装置をあらわすものでも,生産手段をあらわすものでもなかった.
では現代英語のtechnologyはどこからやってきたのか.シャッツバーグはこの問に対する答えを19世紀以降のドイツ語圏におけるテヒニク(Technik)言説に求める.第7章では,何人かの代表的な論者をピックアップしてドイツ語圏におけるテヒニク理解が論じられる.ドイツは第二次産業革命で先陣を切り,社会の本格的工業化を真先に経験した国の一つである.テヒニク概念を導入したのは工業化の担い手であったエンジニアたち自身であり,彼らは自らが担っている「物質的生産の知識ないしその生産物」全体を指す言葉としてこの語を用いた.当時特に問題とされたのはテヒニク概念と文化(Kultur)概念の関係であり,テヒニクを文化の一部として理解するか,或いはその外部にあるものとして理解するかが議論の焦点とされた.当時のドイツにあって,文化概念は極めて高い威信を有しており,テヒニクをその一部とみなすことができるかどうかは,そのまま知識としてのテヒニクの地位,ひいてはその担い手たるエンジニアの地位とも関わっていた.テヒニクは工業化社会の「技術」を総体として捉えるための概念としても有用であったことから,マルクスやヴェルナー・ゾンバルト,マックス・ヴェーバーといった社会科学者たちに取り入れられ,かれらの社会理論の重要な構成要素となっていく.
第8章では,こうしたドイツ語圏の議論をアメリカに持ち込んだ社会科学者たち,とりわけソースティン・ヴェブレンのテクノロジー論が検討される.ヴェブレンは一般には『有閑階級の理論』や「顕示的消費」概念の提唱などで名を知られる社会・経済学者であるが,シャッツバーグの見立てでは,このヴェブレンこそが現代的なテクノロジー概念の出発点であり,英語圏に発生していた「意味論的空白」を埋めるにあたって最大の貢献をなした人物であった.実際,ヴェブレンは当時のアメリカを代表する社会学者・経済学者であり,彼の著作は大きな影響力をもった.彼は世紀転換期に「工業生産に用いられる知識」の意味でのテヒニクをtechnologyと翻訳し,そうすることでテクノロジーの意味を書き換えていった.しかし彼はドイツ語のTechnikをただ翻訳しただけではなく,ヴェルナー・ゾンバルトらのドイツ歴史学派経済学(イギリス流の古典派経済学を批判し,経済事象を各国に固有な歴史・文化・制度などに基づいて説明しようとした学派)が展開したテヒニク論を批判的に消化し,彼独自のテクノロジー概念を開発していった.ヴェブレンはテクノロジーを技術者共同体で共有され,工業生産に用いられる知識の集合として概念化するとともに,これを科学からは自律的な知識領域とした.彼はさらに,経済や社会をも含めた全体の一要素としてテクノロジーを理解し,これを利用する人間の主体性を強調,技術決定論的なテクノロジー理解を否定した.ヴェブレンのテクノロジー理解はゾンバルトやドイツ語圏エンジニアの議論を継承したものであるが,現代の技術史研究コミュニティの共通見解となっているものに非常に近い.
第9章と第10章ではヴェブレンがどのように読まれたか,またヴェブレンのテクノロジー概念が後続の学者たちによってどのように取り入れられ,形を変えていったかが扱われる.20世紀初頭から戦間期にかけてヴェブレンの著作はアメリカの知識層に広く読まれ,テクノロジーという語そのものは徐々に広まっていった.しかし第9章で詳細に論じられている通り,ヴェブレンがテクノロジー概念に込めたニュアンスはほとんど継承されなかった.革新主義時代の代表的アメリカ人歴史家として知られるチャールズ・ビアードは,テクノロジーという語彙は継承しつつも,テクノロジーは人間とは関係なく自律的に発展すると主張するとともに,その進歩こそが歴史の駆動力であるとする技術決定論を打ち出した.さらに,1929年の大恐慌の後,「技術的失業 technological unemployment」が社会問題として議論されるようになり,この議論からテクノクラシー運動が派生して猛烈に流行すると,テクノロジーという言葉は狭い学者サークルを超え,一般的な語として広く人口に膾炙するようになる.例えばテクノクラシー運動の中心人物であったハワード・スコット(ヴェブレンからの影響を度々公言していた)もまた,ビアード同様にテクノロジーを社会変革の駆動力として再定義し「テクノロジーによって人間の熟練労働は不要になり,人間の労働そのものが脇に押しやられていく」と主張した.スコットのテクノクラシーは「資本主義を熱力学を基礎とする経済システムによって置き換え、熱力学を理解した専門科学者が経済システムを管理する」という突拍子もないアイデアであって,1932–33年一時的に流行するとすぐに廃れていった.とはいえテクノクラシー運動とそれが引き起こした議論を通じて,テクノロジー概念はヴェブレンの意図とは違う形で広く普及していくこととなった.
続く第10章はヴェブレンの広義の同僚であった社会科学者たちがテクノロジーをどのように理解したかが論じられる.本章ではまず,第二次世界大戦までに、テクノロジーは生産・輸送・通信などといった活動の物質的手段を指す語彙として,社会科学全体で一般的な用語となっていったことが確認される.興味深いのは,社会学者たちがヴェブレンとは独立にドイツ語圏のテヒニクをめぐる議論を翻訳・吸収し,結果としてドイツ語圏のテヒニク理解の対立がアメリカのテクノロジー理解の対立にそのまま継承されたという指摘である.ヴェブレンがゾンバルトからの影響を強く受けていた一方,20世紀前半を代表するアメリカの理論社会学者タルコット・パーソンズはゾンバルトの論敵であったマックス・ヴェーバーのテヒニク理解を独自に吸収し,テクノロジーを「目的合理的な理性の働き」の意味で用いた.加えて1930年代には「テクノロジーの社会学」という研究潮流が発生したが,その論者たちは発明(invention)とテクノロジーを同一視することで,概念的混乱をいっそう深めた.
この混乱に更に輪をかけたのが,応用科学としてのテクノロジーという,今日まで続くもう一つのテクノロジー理解が登場したことである.第11章は戦間期を中心として,サイエンスとテクノロジーの関係がどのように論じられたかを扱っている.テクノロジーが「技術工芸学」,サイエンスが「体系的知識」「学問」を意味した19世紀まで,両者の関係など自明であって問題にならなかった. しかし20世紀にはいってテクノロジーが「工業生産に用いられる知識」の意味になり,サイエンスが「自然科学」の意味になると,テクノロジーを自然科学の応用すなわち「応用科学(applied science)」として理解する立場が急速に広まる.しかし応用科学の概念はそれ自体多義的であり,テクノロジー概念の混乱を加速させた.とはいえ,「テクノロジーとはサイエンスの応用である」とはいうものの,戦前においては主流であったのは「実験科学が物質的実践の限界を押し広げるものである以上、サイエンスは基本的にテクノロジーの進歩に依存している」(アーネスト・ローレンス)といった理解であり,テクノロジーが応用科学であることはテクノロジーのサイエンスに対する従属を意味してはいなかった.
しかし両者を対等なパートナーとして理解する立場は第二次大戦を経てテクノロジーをサイエンスに従属させる立場に取って代わられる(第12章).第二次大戦は「物理学者の戦争」と言われ,サイエンスの勝利として一般には理解された.しかし,アメリカを第二次大戦の勝利に導いたとされる兵器(原爆やレーダーなど)の開発において,解決すべき問題はサイエンスではなくテクノロジーとエンジニアリングの領域にあった(そもそも核分裂を発見したのはドイツ人化学者とオーストリア系ユダヤ人物理学者であってアメリカ人ではない).ではなぜ,このような誤解を招く描像が戦後を支配してきたのか.これに対し,シャッツバーグは兵器開発の詳細が機密扱いされた結果,技術者の役割が見えにくくなったという事情に加え,冷戦期のイデオロギーを大きな理由として挙げる.シャッツバーグによれば,ソ連の科学史家たちは唯物史観の立場を科学史にも適用し「あらゆる科学は実践から生じ,その内容は社会の技術的・経済的段階によって決定される」という立場を採用していた.赤狩りの嵐が吹き荒れるなか,西側世界(特にアメリカ)ではマルクス主義を思わせる記述はタブーとなり,結果としてテクノロジーに積極的な意義を認めようとする立場は主張しにくくなってしまったのである.これに対する対抗言説として,1950年代以降はヨーゼフ・シュンペーターの議論をテクノロジーと結びつけた技術革新論(technological innovation)が影響を持ったが,しかしこれも「純粋科学」の発展が「応用科学」たるテクノロジーの発展をもたらすという理解(この理解は極めて問題含みであり,ほとんど誤解といってもよい)と結びつき,サイエンスに従属する「応用科学」としてのテクノロジー概念が定着するに至る.序章に述べたような概念的混乱は,こうした歴史の結果であった.
コメント
以上紹介してきたように,本書は2000年以上に渡ってテクノロジーという概念の来歴をたどり,今日の概念的混乱の由来を解き明かした重要な著作である.どの時代を研究するにしても,「その時代・場所においてその言葉は何を意味したか」に繊細であることは今日の歴史研究の大前提であり,ここでシャッツバーグが展開している概念史は現代的な技術史研究のインフラを整備したものとして高く評価することができる.
本書は筋の通った技術史の通史であるという点においても貴重な存在である.技術史という分野は個別的なトピックについての優れた著作は数多くあるものの,分野の専門化・細分化の結果として分野の全体像を把握するのは困難になりつつある.そのような状況にあって,本書は21世紀以降大きな存在感を獲得するに至った言説分析的な研究トレンドを踏まえた,最新版の技術史通史となっている.技術史研究者はもちろん,この分野に関心のある一般読者にも広く推薦したい著作である.
概説的な通史であると同時に,本書(特に7章以降)は技術史研究としてもオリジナルな成果を含む.とりわけ本書に特徴的なのは,社会科学の文脈で扱われてきたテクノロジー概念について,相当の労力を費やして論じているということである.しかしよく考えてみると,いつの時代も,概念について真剣に論じてきたのは実践家よりもむしろ哲学者,歴史家,あるいは社会科学者だった.現場の技術者はいつの時代も概念遊戯にはさしたる関心を持たない(仮に実践家がそうした概念的な主張を行う場合,その背後には大抵の場合政治的な関心が隠れている).ゾンバルトやヴェブレン,パーソンズといった社会科学者を,アリストテレスやベイコン,百科全書派の哲学者の延長上で論じるという視点を提示した点はシャッツバーグの重要な貢献であると思われる.管見の限り,こうした技術理解の系譜に光を当てた著作は他に類例がなく,この点もまたシャッツバーグの独創として評価することができる.
ただし,本書にも問題がないわけではない.次に述べるように,扱われている対象の選択や与えられている評価には多少の偏りがあると言わざるを得ないからである.
内容紹介からは省いたものの,シャッツバーグは序文と結論部で本書執筆のモチベーションがはっきりと現状のテクノロジー理解への批判にあるとしている.彼はゾンバルトやヴェブレンらの延長上にあるテクノロジーの文化的理解を支持しており,またこうした理解が広まっていかなければならない,というふうに考えている.彼によれば「テクノロジー概念の歴史的批判は、テクノロジーに対する私たちの理解を変えるのにも役立つ.そして、テクノロジーに対する私たちの理解を変えることは、実際のテクノロジーを変革するための一歩となる」.そして彼は「本書は(…)人間的な目的のためのテクノロジーを形成していくための第一歩として、現在への介入を試みたものである」(p. 235) と述べた上,巻末にはそのための6カ条のマニフェストを掲載している.
しかし,こうした思想的コミットメントの結果として,いくつかの重要な論点が見落とされてしまっていることは否定できない.例えば,ゾンバルトらに代表される「テクノロジー=テヒニクの文化的理解」という立場がなぜ戦後に至って退潮することになったか,という問題に関する分析は相当甘くなっている.シャッツバーグはゾンバルトやドイツ語圏のエンジニアたちのテヒニク論を高く評価しているが,彼らは歴史的にはテヒニク即ち工業技術に善や美といった徳性を付与しようとする思想運動に連なるもので,ナチズムの形成要因となった「反動的モダニズム」2の一部をなす.フランクフルト学派のマルクーゼやハーバーマスなどを中心に,大陸系の哲学の伝統が「テクノロジーの文化的理解」に対して批判的となったのは,こうした歴史的背景にもよると評者は考えているが,その辺りの歴史的な事情についてはほぼ言及がない.
また,記述されている対象の選択にも若干のバイアスがある.特に,テクノロジー概念の歴史を書くのであればその担い手であったエンジニア,及びその知識であったエンジニアリング=工学についても論じるべきと思われるが,これについては19世紀ドイツ語圏のエンジニアに若干言及があるのみである.しかし,この文脈から行くと本来であればフランスもまたドイツと同等かそれ以上に重要な検討対象となるはずである.こうした記述の偏りはおそらく本書の成り立ちに起因している.本書は2006年に発表されたヴェブレン論(第8章)3を中核とし,これを拡大して一つの通史に発展させたものである.そうした行きがかり上,本書は「19世紀以降のアメリカを中心とした,英語のtechnology概念の歴史」となっており,表題から想定されるほど射程の広いものとはなっていない.ただしエンジニアを対象とした研究としては既に優れた研究がいくつか出ており,technology 概念だけでも語るべきトピックが無数にある以上,多少のバイアスは仕方のないところではあろう.
概念史や言説分析的なアプローチは21世紀に入って以降技術史業界においても重要な方法論の一つとなってきており,本書が昨今の技術史研究の潮流を正しく反映した物となっていることは既に触れた.しかし本書は同時に概念史の困難をもさまざまな形で体現しているように思える.詳しく分析対象の議論を紹介したのち,シャッツバーグはしばしば「この議論がどの程度テクノロジー言説に直接影響したのかは評価が難しい」という注意書きをつける.結局,テクストをいくら分析しようとも,それがどのように読まれ,受け入れられたのかを示すにはテクスト分析の手法では限界がある.結局,個々の論者の議論は追えても,それがどのように受容されたのか(されなかったのか)を集合的言説レベルで記述するというのは非常に困難である.シャッツバーグはGoogle ngram などを用いて語の使用頻度を分析し,用例が少ない場合によってはサンプル対象となっているテクスト原文をも参照して用例ごとの意味を確認することまでしている.しかし用例が多くなってくれば,このような細かい意味のニュアンスを逐一辿ることは(いくら人文情報学の分野が発展しているとはいえ)現実的でなくなる.仮にそうした定量的研究が出来たところで,言説変化の因果関係を論じるための方法論は未だ提示されていない.概念史という研究潮流は実りの多い展開であって現在も研究が進んでいるが,こうした方法論的な限界を抱えている点は注意しておくべきであろう.
多少のバイアスや問題点はあれ,本書が扱っている内容は技術史家に限らず多くの人文系研究者にとって興味深いものであろう.そもそも,2000年以上のスケールを扱う歴史を,誰にとっても満足のいく形で書き上げることなど誰にもできるはずがない.本書の成果と不足を踏まえつつ,さらなる研究の発展を期待したいところである.
文献案内
まず技術史(ここではもっぱらアメリカの技術史学界のそれを念頭においている)という分野の研究史について簡単に触れておきたい.80–90年代以降,かつては大きな存在感を占めていた個別の技術の内的発展(例えば蒸気機関や発電機,航空技術など)を辿るアプローチは退潮し,技術を広く社会・経済・文化的な文脈の中で捉えようとするアプローチが主流となった.研究史的には,Wiebe E. Bijker, Thomas P. Hughes, and Trevor J. Pinch (Eds), The Social Construction of Technological Systems: New Directions in the Sociology and History of Technology (Cambridge, Mass.: MIT Press, 1987) がこうしたいわゆる「社会的構成」的アプローチの普及に大きな役割を果たしたとされる.こうしたアプローチで書かれた研究史上重要な成果としては,上記の論文集所収の論文の他に,例えばトマス・ヒューズの電力史やドナルド・マッケンジーの誘導ミサイル開発史といった仕事がある(Thomas P. Hughes. Networks of Power: Electrification in Western Society, 1880-1930 (Baltimore: JHU Press, 1983); Donald A. MacKenzie Inventing Accuracy: A Historical Sociology of Nuclear Missile Guidance. (Cambridge, Mass.: MIT Press, 1993) など).
「テクノロジーの社会的構成」が西側の学界で一定のインパクトを持ったのは,本書評でも紹介したように,「応用《科学》たるテクノロジーが社会的に構成されている」という主張が戦後アメリカの言説空間の中では主張しにくいものであったという事情もあったと見られる.とはいえ,社会と技術の相互関係は左翼的なサークルにおいては英語圏でも途切れずに論じられ続けてきた.例えばDavid F. Noble, America by Design: Science, Technology, and the Rise of Corporate Capitalism (New York: Knopf, 1977) は今尚技術史研究コミュニティで頻繁に参照される古典的研究であるが,本書はマルクスの影響を公言しつつ「技術と社会,文化を明確に区別して、あたかも全く別のものでできているかのように扱う習慣」を全面的に批判し,第二次産業革命以降の技術史と産業資本主義史を「社会的生産という単一の過程の別個の側面」として論じている.上で名前を挙げたマッケンジーにも,マルクスを論じた興味深い論文がある(Donald MacKenzie. Marx and the Machine. Technology and Culture 25.3 (1984): 473-502.).そもそも「科学が社会的に構成されている」という主張とは異なり,「技術が社会的に構成されている」というのはほとんど自明であって,本来であればあえて声高に主張するまでもない.この立場が流行したのは,冷戦時代が終わりに近づき,技術と社会・経済・政治などとの関係性が論じやすい環境が現れつつあったことの反映であったとも考えられる.
技術史は科学史や経営史,一般歴史学など隣接分野との関連も深く,きわめて裾野が広い分野である.技術の内的発展を辿る古典的な技術史研究も続けられている一方で,ここ数十年の間にはジェンダーや人種,階級といった視点を取り入れた文化史的アプローチに基づく研究も一般的なものとなった.対象・方法論ともにあまりにも多様な分野であるがゆえに,技術史の分野全体を概観する著作というものは非常に少ない.強いて挙げるならば,「古い技術」「現用技術」の視点から20世紀技術史を概観したDavid Edgerton, The Shock of the Old : Technology and Global History since 1900 (Oxford: Oxford University Press, 2007) は現在の英語圏での技術史業界の関心のあり方を典型的に示しており,現代的な技術史研究の成果に興味のある向きには最初に推奨したい著作である.またThomas J. Misa, Leonardo to the Internet: Technology and Culture from the Renaissance to the Present, 2nd ed. (Baltimore: JHU Press, 2011) も,テクノロジーと社会の関係および両者の相互規定という視点から書かれたバランスの取れた通史となっている.
この分野について,日本語で書かれた適当な入門書や訳書は見当たらない.これも強いて挙げるならば,だいぶ古いが坂本健三『先端技術のゆくえ』(東京: 岩波書店, 1987)が社会における技術のあり方について古代から現代までをコンパクトに論じている好著である.三輪修三『工学の歴史―機械工学を中心に』(東京: 筑摩書房 2012)も古典的なトピックを簡潔にまとめており参考になる.また,橋本毅彦『「ものづくり」の科学史―世界を変えた《標準革命》』(東京: 講談社 2013)は,90年代以降の研究潮流を踏まえつつ日本語で書かれた数少ない技術史研究書であり,手に取りやすく内容も面白いという稀有な著作である.ただし本書は「標準」という視点から機械工学・製造技術史を論じた著作であって,概説的な「技術史入門」ではない.とはいえ技術史という分野に関心のある向きには広くお勧めできる著作である.なお本書と関連して互換性部品や工作機械,生産技術などのトピックについて論じた著作として,デーヴィッド・ハウンシェル(和田一夫・金井光太郎・藤原道夫訳)『アメリカン・システムから大量生産へ―1800-1932』(名古屋: 名古屋大学出版会 1998)があり,これも名著である.なお日本語の「技術」概念の歴史としては飯田健一『技術』(東京: 三省堂 1995)という小著がコンパクトながら大変勉強になり,お勧めである.
概念史的アプローチで書かれた最近の技術史関連の研究としては,評者の把握している範囲では Benoît Godin. Innovation Contested: The Idea of Innovation over the Centuries. (New York and London: Routledge, 2015) 及び同著者によるModels of Innovation : the History of an Idea (Cambridge, Mass.: MIT Press, 2017) や,Ronald Klein, The Cybernetics Moment: or Why We Call Our Age the Information Age (Baltimore: JHU Press, 2015) などが優れている.今日ではテクノロジーをイノベーション概念と同一視する傾向も見られ,Godinの著作はシャッツバーグの著作と併せて読むといっそう理解が深まる.本書でも度々言及されているapplied science 概念についても近年まで活発に研究されていた.例えばIsis vol. 103, No.3 (2012) ではapplied scienceをテーマとした特集がなされており,シャッツバーグはその中にも登場している.
概念史という方法論についても最後に簡単に触れておきたい.このアプローチの理論的支柱とされるのはラインハルト・コゼレックやクエンティン・スキナーであり,必ずと言って良いほど参照されるのが, Reinhart Koselleck. Futures Past: On the Semantics of Historical Time (New York: Columbia University Press, 2004) [原著: Vergangene Zukunft: Zur Semantik geschichtlicher Zeiten (Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1979)] とQuentin Skinner. Meaning and Understanding in the History of Ideas. History and Theory 8.1 (1969) [クエンティン・スキナー(半沢孝麿・加藤節訳)『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(東京: 岩波書店, 1990)所収]の2つの文献である.歴史研究の方法論として利用する以上,「概念史とは何か」というのはそれ自体検討すべき問であるが,本書評が紹介したような概念史実践編的な著作において,こういった「歴史理論」分野の著作は導入部に名前が触れられる程度であり,研究実践を強力に規定しているとは言いがたい.少なくとも実践家の間では,概念史は「概念の意味内容の時間変化を辿っていく歴史学の方法論」というような,ゆるい意味で用いられているように見受けられる.このようなゆるい意味で考えると,概念史は概念の数だけ,ほとんど無限に展開していくことができる.現在も手を変え品を変え,様々な概念を対象にこうした研究が進んでいるが,この研究潮流はしばらく続くと見られ,評者としては今後も動向を注視して行きたい.
謝辞
本書評の執筆にあたっては,井口智博,稲葉肇,都留俊太郎,苗村弘太郎の各氏から有益なコメントを受けた.記して感謝したい.
注
1Leo Marx. “Technology: The Emergence of a Hazardous Concept.” Technology and Culture 51.3 (2010): 561–577.
2ジェフリー・ハーフ(中村幹雄・谷口健治・姫岡とし子訳)『保守革命とモダニズム: ワイマール・第三帝国のテクノロジー・文化・政治』(東京:岩波書店 1991)[原著: Jeffrey Herf. Reactionary Modernism: Technology, Culture, and Politics in Weimar and the Third Reich. (Cambridge; New York: Cambridge University Press, 1986)]
3Eric Schatzberg. “ ‘Technik’ Comes to America: Changing Meanings of ‘Technology’ before 1930.” Technology and Culture 47.3 (2006): 486–512.
出版元公式ウェブサイト
シカゴ大学出版局
https://press.uchicago.edu/ucp/books/book/chicago/T/bo28911204.html
評者情報
河西 棟馬(かわにし とうま)
2021年3月よりVirginia Polytechnic Institute and State University, Visiting Researcher. 専門は第二次産業革命期以降の技術史(特に通信技術史)および戦前日本技術史.主な論文・著作に、Prehistory of Switching Theory in Japan: Akira Nakashima and his Relay-Circuit Theory (Historia Scientiarum 29.1, 2019), Conceptualizing Engineering as an Applied Science: Hidetsugu Yagi as a Promoter of Engineering Research (PHS Studies 14, 2020), 「情報概念の形成:1920年代における物理学と工学の接近」(『現代思想』48巻2号, 2020)がある.趣味は登山と音楽と映画.
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