Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

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2022年7月31日

Claudia Benthien, Jordis Lau, Maraike M. Marxsen, The Literariness of Media Art

Routledge, 2018年

評者:谷本 知沙

Tokyo Academic Review of Books, vol.48 (2022); https://doi.org/10.52509/tarb0048

要約

本書はドイツ・ハンブルク大学教授クラウディア・ベンティーン氏ら(重点領域:ドイツ文学、文化理論など)研究チームによる、メディア・アートと言語の関わりについての研究書である。「メディア・アート」という名称は一般に、制作や展示にデジタルメディアを活用した美術作品の総称として知られている。しかし「メディア」の原義に鑑みれば、そもそも芸術表現の基盤となる媒体や素材は「メディア」であり、芸術はすべて「メディア・アート」なのではないかという疑問がわくかもしれない。「メディア・アート」という語の背景には、特に1950〜60年代以降に登場してきたコンピューターやヴィデオをはじめとする同時代のデジタル技術を駆使した芸術作品を、既存の芸術表現(絵画、彫刻など)から区別する包摂的な名称として徐々に定着してきたという歴史的経緯がある。この作品の基盤である「メディア」は、社会におけるデジタル技術の発展に伴って刻一刻と変化していく。つまり、「メディア・アート」は既存の芸術表現と異なり、基盤となるメディアそれ自体が一つに限定され得ず、また固定的でない(しかも、常に新しい技術が使用されるとも限らない)という特徴を持っている。そのため、「コンピューター・アート」「ヴィデオ・アート」という具合に、このアートを使用メディアに即して個別に捉えてしまうと、アーティストたちの実践が目指してきたものやその可能性に対する俯瞰的な視座を得にくくなってしまう。

そのため本書では、以上のようなメディア・アートのジャンルをめぐる議論や芸術全体における布置(既存の芸術表現に対して主流か・非主流かなど)についての論争には立ち入らず、むしろその境界を無化するような実践を理論的に追いかけようとする。そこで本研究が着目するのはメディア・アートと言語の密接な関係であり、そのさい鍵概念となるのがタイトルにもなっている「文学性(literariness)」である。

第1章では、メディア・アートの研究史やメディア・アートを取り巻く問題の素描を通じて、本書の立ち位置とアプローチの理由説明がなされる。ベンティーンらが強調するのは、メディア・アート作品の美的戦略に対する「文学性」という概念の適用可能性である。「文学性」は、詩的言語を日常言語から分かつ特徴を特定するために、20世紀初頭にロシア・フォルマリストらが導入した概念である。しかし本書は、「文学性」を認めることによってメディア・アート作品も「文学」だと主張しようとしているのではない。テリー・イーグルトンが指摘するように、文学であれその他の芸術であれ、その芸術が芸術であることは常に文脈に依存する。ベンティーンらが「文学性」という概念において重視するのは、言葉がその実用的な機能を後退させたときの「美的余剰(the aesthetic surplus)」(25)1である。日常的な使用の反復によって習慣化した言語に対して、私たちの感覚は鈍化してしまう。だが、例えばある言葉遣いがそのような日常的使用からずれていたり異なっていたりすると、私たちはその逸脱ゆえに驚かされたり違和感を覚えたりする。その驚きや異和を感じる瞬間、わたしたちの知覚は活性化させられる。ベンティーンらは、そのように受け手の知覚を刺激する仕方で使用された言語が「詩的言語」であり、それが作品の「文学性」を成り立たせているとするならば、メディア・アート作品における、鑑賞者の知覚を刺激するような言語使用にも「文学性」を認めることができると主張する。つまり、言語を採り入れたメディア・アート作品には、何らかの逸脱によって鑑賞者の知覚を刺激・活性化させ、言語を別の仕方で「もう一度見てみよう(take a second look)」(1)と思わせる戦略を認めることができるものが数多くあるというのである。

第2章では、本書が依拠する理論的枠組みが示される。「文学性」における言語の美的余剰という特徴は、複数の論者の間で互いに少しずつ異なる概念とも接点を見出すことができる。本章ではそれらとの接点を示すことで、「文学性」におけるより具体的かつ詳細な特徴を特定するとともに、それが文学という領域に限定されないものであることが理論的に示される。具体的には、ミハイル・バフチンの「ポリフォニー」、ロマン・ヤコブソンによる「記号の触覚性」、ヤン・ムカジョフスキーの「前景化」、ジュリア・クリステヴァの「間テクスト性」などである。

第3章〜第5章は、個々の作品分析がその中心となる。作品分析では、第2章での理論的整理を踏まえ、メディア・アートの「文学性」が4つの異なる次元──声およびスクリプトの採用、文学ジャンルの探求、文学作品のアダプテーション──から検討され、それぞれの項目が各章に対応するように構成されている。第3章では、声やスクリプトの採用が目立つメディア・アート作品に焦点があたる。声の効果、スクリプトの取り込みのいずれにおいても重要な点は、言語の物質性と意味との間の往来である。ここで取り上げられるメディア・アート作品には、コミュニケーションが目的となる言語使用においては意識されにくい言語の音声や文字における物質性を前景化させるような多様な戦略が観察される。それは例えば執拗な反復(音声)や、さまざまなレイアウト・フォントの使用などである。

第4章では、メディア・アート作品と文学ジャンルの関係に焦点があたる。メディア・アート作品の中には、文学ジャンルを研究し、批判的に取り入れるものが多く見られる。作品分析の方法として、ベンティーンらがここで文学ジャンル(詩、戯曲、散文)の参照というやや時代遅れとも思えるような方法を採用するのは、各作品がどのジャンルであるのかを判定するためではない。それがあくまでもメディア・アート作品における言語使用の捉え難さを解きほぐす発見ツールとなるからである。まず、理論的背景としてフォルマリストたちがジャンルをどのように理解していたかが参照される。そしてメディア・アート作品が文学ジャンルとどのような類似・異同関係にあるかが分析される。その際文学ジャンルは常に、メディア・アート作品の美的戦略としての逸脱の程度を測る尺度であり、その多様な戦略がわたしたちの知覚をさまざまに刺激する可能性を含んでいる。

第5章では、具体的な文学作品を参照・引用するなどして取り入れているメディア・アート作品に焦点があてられる。とはいえ、メディア・アート作品では必ずしも元になる文学作品との関係が明らかにされていない。ここで参照されるのはアダプテーション理論や翻訳論である。アダプテーションや翻訳では一般に元になるテクスト、いわゆる「オリジナル」に対する忠実性がその完成度の尺度となりうるが、メディア・アート作品では「オリジナル」と、「オリジナル」の派生物としての二次創作の間にある階層性は問い直され、突き崩される。アダプテーション理論や翻訳論においても、オリジナルと二次創作、オリジナルと翻訳の間に忠実さや階層性よりもむしろ相互参照、相互依存の関係が重視されるようになってきた動向があり、ベンティーンらはその潮流にメディア・アート作品における実践との一致を見出している。

コメント

現代アートの展覧会に足を運んだことのある人なら誰でも、結局消化不良なまま会場を後にした経験が一度はあるのではないだろうか。特に本書が取り上げるような、音響効果と映像を組み合わせた作品の展示では、奇声や騒音としか思えないものに耐えられず、早々にその場を立ち去るということもあったかもしれない。本書はそのように「極端に複雑であったり、はたまた極端にミニマリスティック」(274)であったりするメディア・アート作品を、文学との関係から紐解こうとするものである。タイトルから本書の内容を予想すると、あたかもメディア・アートを文学という既存の評価基準に当てはめ、その基準にかなうかどうかによって作品の価値を判断しようとしているかのように思われるが、それは誤解である。その意味では、タイトルがやや簡潔すぎるようにも思う。とはいえ、文学を研究領域とする私(評者)でも、馴染み深いものからの逸脱、変形という具体的な着眼点を持つことができ、個々の対象をよりじっくり観察してみようと思えた点で本書は非常に説得力のあるものであった。このように文学研究の視座からアプローチする可能性を模索することができたのは、常に学際的な研究を推進してきたベンティーンらの姿勢に由来するものだろう。

筆頭著者のクラウディア・ベンティーン氏は、ドイツおよびアメリカで心理学、ドイツ文学、アメリカ研究、美術史、文化理論等を学び、1998年にベルリン・フンボルト大学で博士号を取得。その博士論文により1999年にヨアヒム・ティブリウス賞最優秀賞を受賞している。その後、2004年に大学教授資格論文を提出し、2005年よりドイツ・ハンブルク大学で教授(ドイツ近現代文学)を務めている。またアメリカで客員教授を務め、イギリス、フランスに研究滞在するなど、国際的に研究活動を行っている。関心領域は、17世紀から21世紀のドイツ文学、アメリカ文学、美術、現代演劇、現代アートなどと幅広く、常に領域横断的な研究を進めている。ベンティーン氏はこれまで数多くの単著や論文を発表しているが、日本では、田邊玲子氏による邦訳で『皮膚 文学史・身体イメージ・境界のディスクール』が紹介されているのみである。目下ベンティーン氏は、ハンブルク大学で欧州研究会議(ERC)による支援を受けた研究プロジェクト「デジタル時代における詩(Poetry in Digital Age)」(研究期間:2021年〜2025年)を率いている。文献案内でも紹介するように、ベンティーン氏が率いる各研究プロジェクトはその視点を少しずつずらしながらも、互いの連関が必ず保たれている。それは、同じ作品事例を再度別の角度から考察しているという点からも明らかだろう。そこには、縦割り的な分野の視点では捉えきれないものを掬い上げようとする姿勢が感じられる。

メディア・アートの中で言語は、様々な仕掛けによって習慣化した日常的使用から逸脱する。それによって鑑賞者は、言語の物質的特徴に至るまで注目したり意識したりするようになる。本書はその点にメディア・アートの「文学性」を認めることで、芸術表現における、基盤メディアに基づくカテゴリーの差異の自明性をも問い直している。つまり、本書の研究は、文学の外部と思われる領域に文学を成立させているものを見出すことで、芸術実践の境界を問い直す可能性を示そうとしている。この試みは、メディア・アートの理解を深めるだけではなく、文学が多様なフォーマットへ広がる可能性も視野に入れながら、文学という形態の現代的意義を再考することにもつながるだろう。またそれに伴って、メディア・アート作品を通時的かつより広い文脈の中に置いて検討する可能性にも開かれている。本書でも言及されているように、メディア・アート作品のコンセプト的・美学的先駆は20世紀初頭のダダイスト、未来派、オーストリアやドイツのコンクレート・ポエジーなどにも認めることができる。ただし、本書は個々の作品における文学性の検討がその中心課題であったために、残念ながら通時的な視点による作品の比較検討や特徴の変遷などへの言及は少なかった。この点については、今後さらなる研究の展開を期待したい。

文献案内

本書でも言及されているアダプテーション理論・翻訳論に関しては、ベンティーンの編著Übersetzen und Rahmen: Praktiken medialer Transformationen(翻訳と枠組み──メディア転換の実践)に詳しい。これはベンティーンが率いていた過去のプロジェクトの成果論文集である。収録されている論文では、本書でも言及されているCia Rinneのarchives zaroumが翻訳論の観点で論じられている。テーマとして関連のあるベンティーンらの編著としては他にも、Handbuch Literatur & Visuelle Kultur(ハンドブック 文学&視覚文化)などがある(いずれもドイツ語文献、未邦訳)。

メディア・アートについての日本語文献には、白井雅人編著『メディアアートの教科書』がある。ただし本書の出版は2008年のため、メディア・アートの歴史的背景を理解するには良いが、具体例が古くなってしまっている。馬定延著『日本メディアアート史』(2014)や久保田晃弘・畠中実編著『メディア・アート原論 あなたは、いったい何を探し求めているのか?』(2018)では最新の動向を踏まえた議論が展開されている。

参考文献

  • Benthien, C., Klein G. 2017, Übersetzen und Rahmen: Praktiken medialer Transformationen, Paderborn: Fink.
  • Benthien, C., Weingart, B. 2014, Handbuch Literatur & Visuelle Kultur, Berlin/ New York: De Gruyter.
  • Bishop, C. 2012, The Digital Divide: Contemporary Art and New Media, Artforum, https://www.artforum.com/print/201207/digital-divide-contemporary-art-and-new-media-31944 (2022年4月27日アクセス). 邦訳は、クレア・ビショップ 2016,「デジタルという分水嶺」,『美術手帖』(11),126–141頁.
  • クラウディア・ベンティーン 2014,『皮膚 文学史・身体イメージ・境界のディスクール』,法政大学出版局.
  • テリー・イーグルトン 2014,『文学とは何か──現代批評理論への招待(上)』,岩波書店.
  • 白井雅人(編) 2008,『メディアアートの教科書』,フィルムアート社.
  • 久保田晃弘・畠中実(編) 2018,『メディア・アート原論 あなたは、いったい何を探し求めているのか?』,フィルムアート社.
  • 馬定延 2014,『日本メディアアート史』,アルテスパブリッシング.
  • 馬定延 2021,「アートとメディア」,門林岳史・増田展大(編)『クリティカル・ワード:メディア論』所収,フィルムアート社,142–150頁.

1 本文からの引用は以下、括弧内に頁数のみを記す。

出版元公式ウェブサイト

Routledge

https://www.taylorfrancis.com/books/9781351608718

評者情報

谷本 知沙(たにもと ちさ)

現在、慶應義塾大学文学研究科後期博士課程に在籍。専門はドイツ現代文学、特に、多和田葉子のドイツ語・日本語作品を中心に研究。主な論文に、「翻訳者の痛み──多和田葉子の『文字移植』における翻訳不可能性」(『慶應義塾大学独文学研究室紀要 研究年報』第39号,2022年),「多和田葉子の「越境」──混合文字詩「Die逃走des月s」を読む」(平田栄一朗、針貝真理子、北川千香子(編)『文化を問い直す──舞台芸術の視座から』,彩流社,2021年)。

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