Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712


2026年1月23日

Alessandra Bravi, Ornamenta Urbis : opere d'arte greche negli spazi romani

Bari : Edipuglia, 2021年

評者:氷見野 夏子

Tokyo Academic Review of Books, vol.78 (2026); https://doi.org/10.52509/tarb0078

概要

本書は著者アレッサンドラ・ブラーヴィがハイデルベルク大学に提出した学位論文の内容に基づく。なお、ドイツ語でも書籍として出版されており(Griechische Kunstwerke im politischen Leben Roms und Konstantinopels, Berlin and Boston : Walter De Gruyter, 2014)、そちらは本書の内容に加え(I-VII章)、各章を要約した章(VIII章)と、古代末期における新都コンスタンティノープルを扱った章(IX-XI章)が加わる。本書は古代ローマにおける美術品、とりわけギリシア美術の収集と展示を、近現代の「ミュージアム」と同じ枠組みで見ることへの反論となっている1。その背景として、ミュージアム・スタディーズや、モノの収集行為一般に対する文化人類学的なアプローチが、近年古代ギリシア・ローマ社会に対しても試みられつつある点が挙げられる。しかし、近現代のミュージアムないしコレクションという枠組みを古代に当てはめることの是非に関しては、議論を欠いてきたため、本書は重要な問題提起をしている2

序文は著者の指導教官でもあり、古代ローマ美術史研究において1970~80年代に多大な影響を与えたトニオ・ヘルシャーが執筆している。著者自身が認めているように、ヘルシャーの考え方はこの本にも色濃く反映している。ただし、ヘルシャーによる大著Römische Bildsprache als semantisches System (Heidelberg : C. Winter, 1987)では乏しかった地誌的側面、つまり場所の歴史性と機能が重点的に論じられている点が特筆される。

序文の後に著者自身による導入部が続き、本論は11章からなる。結論に当たる章がないのが惜しまれる。導入部では本書のアプローチと対象とする範囲を明らかにしている。著者は古代ローマにおける美術品を、近現代の美術館におけるように、中立的なホワイトキューブでの審美的鑑賞という点から評価することに異を唱え、絵画彫刻はそれが置かれた場所の特性に応じて、古代ローマの慣習に従って意味を付与されたと主張する。ギリシア美術をローマにもたらしたのは、シチリアやギリシアを征服し戦利品として絵画彫刻を持ち帰った将軍や皇帝で、こうした権力者は自身の名を冠する建物やモニュメントをローマに建て、絵画彫刻で荘厳した。

著者は、ローマの公共空間におけるギリシア美術が、権力者の自己表象として機能したと考えており、絵画彫刻はその主題によって選ばれ、個々の場所が持つ歴史性や機能に相応しい形で意味を付与されたと論じた。すなわち、ギリシアの名だたる画家や彫刻家の作品は、ローマでもっぱら専門的知識に基づいた美術鑑賞の対象となったわけではなく、むしろフォルム(広場)や神殿といったローマの公共空間が持つ伝統的な機能に合致する形で選択され、奉納者の政治的、宗教的メッセージを伝えたとする。調査対象は、クラウディウス・マルケッルスによるシチリア島のシラクサ征服(紀元前212年)から、ウェスパシアヌス帝による「平和の神殿」奉献(75年)までの間に、ローマの公共空間に設置された、ギリシアの絵画彫刻である。ギリシアからもたらされた大量の美術品はほとんどが現存しないため、扱われる事例は専ら文献資料に依拠する。

最初の2章は本書のアプローチにおいて基礎となる諸概念を説明している。第1章ではローマにおけるギリシア美術を扱った研究史を概観しながら、本書の立脚点を明示する。とりわけ1970年代以降の、トニオ・ヘルシャーTonio Hölscher, パウル・ツァンカーPaul Zanker, エウジェニオ・ラ・ロッカEugenio La Rocca, フィリッポ・コアレッリFilippo Coarelliらによる美術品の政治的解釈が本書でも取り入れられている。これらの研究を踏まえ、著者はギリシア美術がローマにおけるデコールム(decorum: 場に応じた相応しさ程度の意)という基準に従って選択、受容されたとの立場を再提示する。続く第2章ではこのデコールムについてより詳しく論じており、よく知られたキケロの手紙を参照している。キケロは、自身の邸宅をアテネから輸入した彫刻で装飾するべく、友人知人に手配を頼んでおり、その中で図書館やギュムナシウム(体育館の意だが、学究の場にもなり得た)にはアテナやヘラクレスの像が相応しいと述べている(『アッティクスへの手紙』第1巻第4, 10書簡)。著者はキケロの手紙を根拠に、古代ローマでは場の機能に応じて、美術品が主題によって選択されたという見方を補強する。

第3章から第11章までは、時代ごとに個別事例を見ていく形となる。以下、扱われている豊富な事例のすべてを網羅すると冗長になりすぎ、全体の流れが分かりにくくなると思われるので、各章から選択的に事例を紹介しつつ概観する。ローマは紀元前509年まで王政だったが、同年王を追放して共和政となる。前3世紀に第二次ポエニ戦争でカルタゴに勝利すると、地中海における優位が確立した。この戦争で戦場の一つとなったシチリア島の豊かなギリシア都市シラクサから、将軍クラウディウス・マルケッルスがローマに持ちかえった美術品が第3章冒頭で扱われる。これを皮切りに、美術品になじみの薄かったローマ人は、戦利品としてヘレニズム世界の絢爛たる美術品を目にするようになったというのが、古代ローマ美術史の定説となっている。しかし、著者はギリシアの絵画彫刻がローマで美術鑑賞の対象となったというより、むしろローマの公共空間が持つ伝統的な機能に合致する形で選択され、読み替えられたとする。

例えば、前146年にはルキウス・ムンミウスがコリントスを征服、略奪する(第3章4節)。ムンミウスは、プリニウスや歴史家ウェッレイウス・パテルクルスによってギリシア美術に不案内である粗野なローマ将軍として描写されており、象徴的な逸話としてアリスティデス作《ディオニュソスとアリアドネ》の絵画を、ペルガモン王アッタロスが多額の金で購入したのに驚き、価値もわからずにその絵を手に入れたとプリニウス『博物誌』(第35巻24節)に伝えられる。しかし著者は、ムンミウスがこの絵を「ケレス、リベル、リベラの神殿」に奉納したことに着目し、将軍はローマのリベルと同一視されるディオニュソス神を描いた絵画を奉納物として選んだと論じている(pp. 44-48)。つまり、美術品を様式や審美的評価ではなく、主題によって選んだというのである。

共和政末期の前1世紀では、対外的にローマの地中海における覇権は確立しており、一方内部では派閥抗争が激化し、内戦に陥り共和政が瓦解する(第4, 5章)。第4章はカエサルの年長者で競争者となる大ポンペイウスが、カンプス・マルティウスに建てた劇場と柱廊を扱う。カンプス・マルティウスはローマ北西部の平野で、「マルスの野」の名前通り元は軍事訓練に用いられたが、前1世紀末にはアウグストゥスの右腕であるアグリッパがこのエリアを市民の娯楽施設群に一変させる(第8章参照)。ポンペイウスによる前55年の劇場奉献はその先駆といえる。

劇場の観客席を見下ろす位置には、女神ウェヌスの像が置かれた。著者は、この像がウェヌス・ウィクトリクス(勝利のウェヌス)としてポンペイウスのミトリダテス戦争勝利を暗示する一方、ウェヌスは庭園を司る女神でもあったので、付属の柱廊に備わった庭園と結びついて、人々の憩いの場を守っていたと分析する。古代ローマの社会生活では、オティウム(閑暇)とネゴティウム(仕事、義務)という二つの領域の対比が常套句となっており、庭園は前者に相応しい空間とみなされた。一方、劇場と反対側には元老院議事堂があり、政治的なネゴティウムに携わる場だった。ポンペイウスによる施設は、オティウムとネゴティウム両方の側面を有し、絵画彫刻はそれぞれの機能に対応する形で配置されていたとする。装飾を再構成する際に参照している史料は、紀元後1世紀後半のプリニウスや2世紀後半のキリスト教徒タティアノスの著作であり、ポンペイウスより年代が下る。この点で、どこまでがポンペイウス時代当初の装飾とみなせるのか疑問も残る。しかし、場の機能と装飾を多義的なものと想定する解釈は、空間全体を規定する統一的な装飾プログラムを想定した、あるいは詩人のように一部の文学的素養を持つ者の鑑賞体験に限定した先行研究(p. 64)よりも説得力があるだろう。

第5章はファルサロスの戦いでポンペイウスに勝者したユリウス・カエサルによる建設、奉納活動に焦点を当てる。カエサルに関しては、前章のポンペイウスとの競争と、次章以降で本書全体の三分の一ほどを割いて扱われるオクタウィアヌス(アウグストゥス)への継承という観点から、前後の流れにおいて重要な位置を占める。カエサルは古い「フォルム・ロマヌム」に付け加える形で新たにフォルム(広場)を建設しており、ウェヌス・ゲネトリクス(母なるウェヌス)神殿を設けた。フォルムは柱廊を備えた長方形の空間で、商売、行政、信仰、裁判や見世物など多様な市民生活の場だった。このウェヌス神殿に、カエサルはティモマコス作の二枚の絵画《メデイア》と《アイアス》を奉納した。自身の息子を殺す東方の女性メデイアは理想的な母たる女神ウェヌスの真逆であり、狂気に駆られ自害して果てるアイアスは、政敵ポンペイウスになぞらえられたとする。

カエサル暗殺後の第二次三頭政治を経て、紀元前31年にオクタウィアヌスがアントニウスと女王クレオパトラの同盟をアクティウムで破りローマの内戦は終結する。第6章はこの「アクティウムの戦い」直後の時期にオクタウィアヌスとその側近が奉献した建築や絵画彫刻を扱う。中でも、オクタウィアヌスは自身の住まいのあるパラティウム丘に、自らの守護神アポロ(ギリシア語ではアポロン)に捧げられた神殿を建てた。なお、オクタウィアヌスの住まい自体は比較的質素だったが、後に歴代皇帝の居所として拡張され、やがて「パラティウム」自体が皇帝の住まいを意味する語となる。

神殿にはミュロンによる《竪琴を弾くアポロ》、リュシアス作の《四頭立て馬車に乗るアポロとディアナ》、およびケフィソドトス、スコパス、ティモテオスによるレトとその双子アポロとディアナの像があり、クラシック時代から初期ヘレニズム時代にかけてのギリシアの名だたる彫刻家によるアポロのイメージが氾濫していた。また、神殿の柱廊を装飾する《ダナオスの娘たち》の像は詩人プロペルティウス(第2巻第31歌3~4行)やオウィディウス(Amores⦅恋の歌⦆第2巻第2歌4行;『悲しみの歌』第3巻第1歌62行)に歌われている。ダナオスの50人の娘たちは、ダナオスの兄弟でエジプト王であるアイギュプトスの50人の息子たちに嫁ぐが、父の命を受け、一人を除いてそれぞれの夫を殺害する。彼女たちは罰として底のない器を使って果てしなく水汲みすることを課せられた。《ダナオスの娘たち》の像は、道徳の欠如や征服された属州の暗示として否定的に解釈されることが多かったが、著者はむしろ、儀式にも使われる器を持った純潔の乙女たちの像が、神殿におけるピエタス(敬虔さ)の雰囲気を強めたという興味深い意見を出している。

紀元前27年に「アウグストゥス」の称号を元老院から与えられたオクタウィアヌスが、紀元後14年に没するまでの長い統治期間に第7, 8, 9章が当てられる。第7章はアウグストゥスとその縁者、そして側近がキルクス・フラミニウス周辺の神殿や建築群に奉納した絵画彫刻について扱う(キルクスとは戦車競技場のことである)。このエリアは、既に前2世紀には戦勝将軍の自己顕彰の場としてモニュメントが建立されていたことが第3章で論じられており、著者が導入部で宣言した通り、場所の持つ特性が時代を超えて連続していたことが示唆される。例えば、フルウィウス・ノビリオルは前187年にギリシア西部のアンブラキアを征服後、「ムーサたちのヘルクレス」神殿を奉献し、戦利品である9体のムーサたちのブロンズ像を奉納した(第3章2節)。この神殿を囲む柱廊は、オクタウィアヌスの親類であるマルキウス・フィリップスが、前33年のヒスパニアでの戦勝における戦利品の利益を使って再建した。柱廊にはゼウクシスによる《ヘレナ》やアンティフィロスによる《バックス》、《子どものアレクサンドロス》、《牡牛に襲われ恐怖するヒッポリュトス》、テオロスによる《トロイア戦争》といったギリシア絵画が並んでいた。著者はトロイア戦争やアレクサンドロス大王という主題が、神殿の奉献者であるフルウィウス・ノビリオルと、柱廊を再建したオクタウィアヌスの縁者双方の軍事的偉業を記念したと解釈した。

また、アポロ・メディクス神殿は、ガイウス・ソシウスによって再建されたが、実際にはオクタウィアヌス/アウグストゥスの戦勝を記念しているとされる。この神殿の破風を飾っていたとされるクラシック時代の彫刻群は現存しており、チェントラーレ・モンテマルティーニというカピトリーニ美術館の分館に展示されている。本書の主題であるローマの公共空間を荘厳するギリシア美術として、まとまって作品が残っているほとんど唯一の例でありながら、議論は1985年にエウジェニオ・ラ・ロッカが提出した復元案3を紹介するにとどまり、図版も掲載していない。ラ・ロッカは、彫刻群を英雄ヘラクレスとテセウスが、神話上の女性の戦闘民族であるアマゾン族と戦う「アマゾノマキア」として解釈しているが、その後の研究では反論も出ており、解決を見ていない。

一方、第8章はアウグストゥスの右腕であるアグリッパによるカンプス・マルティウスでの公共事業を扱う。カンプス・マルティウスは、前述の通り(第4章、ポンペイウス劇場)元は軍事訓練が行われる平野だったが、アグリッパによって浴場や人工の池、森が設けられ、民衆の憩いの空間に生まれ変わった。アグリッパはローマの古い水道を修復し、新たに建設したことでも知られ、これらの施設は増大した水の供給の恩恵を受けている。アグリッパは自身が建てた浴場に、リュシッポス作のブロンズ像《アポクシュオメノス》(垢を掻く人)を設置した。なお、この像はのちに皇帝ティベリウスが、あまりに気に入ったため自身の私室に持ち去り、浴場には代わりの像を置いたところ、ローマの民衆は激怒して劇場で大声を上げて返還を要求したため、やむなくティベリウスは像を元に戻したという。この逸話は、ローマで美術品が公共空間を荘厳すべきものと(少なくとも建前上)みなされ、有名作品の私有化は非難の的となった、という説明の代表的な例として知られる。

第9章は「アウグストゥスのフォルム」の絵画彫刻を検討する。アウグストゥスはカエサルによる「ユリウスのフォルム」(第5章)に付け加える形で自ら新たなフォルムを建てた。フォルムの正面に位置する戦神マルスの神殿には、クラッススがパルティアに奪われアウグストゥスが取り返した軍旗が奉納されており、「アウグストゥスのフォルム」にはアエネアスとその子孫のユリウス一族、共和政時代の偉人の像、およびロムルスと戦勝将軍の像が並んでいた。ローマの歴史と偉業を呼び起こすこの政治的空間の中で、アウグストゥスは画家アペレス作のアレクサンドロス大王を描いた二枚の絵画を奉納しており、一枚はカストルとポルックス、および勝利を表すウィクトリアとともに描かれ、もう一枚では戦争の擬人像が大王に伴っていたという。アレクサンドロスとアウグストゥスによる戦争と征服活動が重ね合わされたと考えられる。

第10章はアウグストゥスの後継者ティベリウスが奉献した神殿を扱う。ただし、奉献年は後10年とアウグストゥスの生前、つまりティベリウスが皇帝に即位する前であり、両者の時代を媒介するモニュメントとみなせる。この「コンコルディア神殿」は横長の特異なプランを示し、著者はギリシアの絵画彫刻が整然と配置される様を「ミュージアムにおける展示に一見似ている」と認める。そのうえで、著者はミュージアムとの違いとして、専門家が様式的知識を駆使して作品を鑑賞する場ではなく、その場の共通理解、訪問者の社会通念に根ざしていた場だったとし、神殿という信仰の空間であった点を強調する。

一方、最後の第11章は紀元後75年にウェスパシアヌス帝によって奉献された「平和の神殿」を検討する。近年の発掘成果も踏まえ、先行研究をもとに神殿内の彫刻展示が再構成される。神殿はウェスパシアヌスによるユダヤ戦役勝利を記念して建てられ、戦利品が奉納された。ペルガモン王アッタロスが作らせたガリア人群像もこの神殿に移されたとされ、征服と勝利という政治的テーマが認められる。他方で、神殿には水路の並ぶ柱廊があり、ウェヌス像が見守っていた。「平和の神殿」の空間構成は前述のポンペイウスによる柱廊(第4章)が前身であるとされ、同様に複合的な機能を持った空間だったと考えられるだろう。

コメント

本書はローマの公共空間にあったギリシア美術について、豊富な文献資料を渉猟して議論を展開しており、資料集としても有用である。他方で、解釈についてはやや一面的に思われる箇所も散見される。例えば第8章では、アグリッパがカンプス・マルティウスの浴場に設置した《アポクシュオメノス》に関して、運動選手が政治家と並んでネゴティウム(義務)の領分に属したと主張し、元々軍事訓練の場であったカンプス・マルティウスの、身体のメンテナンスをする浴場という空間に置かれることで、この像が市民の義務を果たすために理想的な身体を備えた姿であり、かつアグリッパによる民衆への恵与行為の象徴としてみなされたという。しかし後者はともかく、前者のネゴティウムに結び付けた解釈は疑問が残る。浴場だけでなく劇場や競技場といった娯楽施設が並ぶ、まさに民衆のオティウム(余暇)に捧げられた空間の中で、著者が述べるような解釈をとる訪問者がどの程度いたのか。著者は奉納者個人の政治的意図に基づいて、場の絵画彫刻が持った機能を推測しているが、ポンペイウス劇場の議論で著者自身述べているように、場所を訪れるのは多様な人々であったはずである。

解釈の根底にあるのは、作品の機能は場所のコンテクストによって規定されるという著者の立場である。この見方については、後述の文献案内にも挙げたJane Fejferによる批判に一定の妥当性があるだろう。すなわち、確かに古代ローマ社会に対し近代のような、作品から感情的距離を置き、もっぱら美的鑑賞に専念する態度を投影するのは一種の時代錯誤だろう。しかし、著者の立場は作品が持つ物質性や造形的特質、とりわけモノのエージェンシーを過小評価している、との指摘である。アルフレッド・ジェル(Art and Agency : An Anthropological Theory, Oxford : Clarendon Press, 1998)が提唱した、美術作品を社会的エージェンシーを発揮するものと捉える文化人類学的アプローチは、近年では古代ギリシア・ローマの美術史と考古学に対しても応用されている。今後は、美術作品を含むモノが社会や場所に働きかける作用と、著者が明らかにしたような、場所がモノを選び、読み替えを促す作用とを双方向的なものとして捉えていくことが望ましいのではないか(文献案内も参照)。

構成について、第10章で扱われる「コンコルディア神殿」がティベリウスによって紀元後10年奉献、第11章の「平和の神殿」がウェスパシアヌスによって75年に奉献されたが、間の60年余り、カリグラ、クラウディウス、ネロという三人のユリウス=クラウディウス朝の皇帝が扱われていない。アウグストゥスに関する文献資料が豊富なのはわかるものの、とりわけネロに関しては、ウェスパシアヌス帝が「平和の神殿」に移したギリシア彫刻のかなりの部分は、元々ネロが自身の「黄金宮殿」に集めたものだったことを考えれば、紙幅を割いても良かったのではないか。「黄金宮殿」は皇帝の住まいということで公共空間から外れるという判断だろうが、実際には公私の空間はそう明快に二分できるものではない。また本書が場所に着目する以上、同じローマの中で「黄金宮殿」から「平和の神殿」への移動が、美術品の位置づけや見られ方をどう変えたのか、掘り下げても良かったのではないか。とはいえ、既に膨大な事例を扱う本書の範囲からはやや外れるテーマかもしれない。

体裁面では、時折誤植がみられる。また、扱われている作品がほとんど残っていないことを考慮しても、もう少し図版が多いと読みやすかったのではないか。

本書は登場する彫刻や絵画の主題と、それらが置かれた場所の性格(政治の中心地であるフォルム、信仰の場である神殿、歴史的に戦勝記念モニュメントが建立されてきたキルクス・フラミニウス付近など)に関心が集中し、作品の様式的側面や、見る人に応じた多様な解釈の可能性を等閑視しているとの指摘は免れない。しかし、明確かつ一貫したアプローチのもと、古代ローマの公共空間とギリシア美術という、圧倒的な研究蓄積を誇る広大な対象を、膨大な文献資料を参照し縦横に論じている点で労作といえる。ローマという場所とギリシアで作られたモノの関係を考えるうえで、今後参照すべき重要な文献といえるだろう。また、本書の内容自体は非常に専門的なものの、古代ギリシア・ローマに限らず現在のミュージアム制度が成立する以前の、特定の場所における造形物の集積を、歴史的背景を踏まえどういう枠組みで捉えればよいのかという問題に取り組むうえでも、本書は意義のある試みだと考える。

文献案内

本書の序文を書いているTonio Hölscherの著書は、古代ローマにおけるギリシア美術を、主題やコンテクストに応じた意味を伝える媒体と捉えるアプローチを確立しており、本書の理論的背景を理解するうえで欠かせない。ここではRömische Bildsprache als semantisches System, Heidelberg : C. Winter, 1987(英訳:The Language of Images in Roman art, Cambridge : Cambridge University Press, 2004)とVisual Power in Ancient Greece and Rome. Between Art and Social Reality, Oakland : University of California Press, 2018を挙げておく。後者では、本書でも何度か言及した、近現代のミュージアム制度を古代に投影する立場への反論が展開される。また、前者と同時期にアウグストゥス時代におけるイメージの政治利用を論じたPaul ZankerのAugustus und die Macht der Bilder, München : C. H. Beck, 1987(英訳:The power of images in the age of Augustus, Ann Arbor : University of Michigan Press, 1988)も基本書である。

本書の議論をさらに先に進めようとした研究として、Gianfranco Adornato, Gabriella Cirucci, Walter Cupperi (eds.), Beyond “Art Collections” : Owning and Accumulating Objects from Greek Antiquity to the Early Modern Period, Berlin and Boston : Walter de Gruyter 2020が挙げられる。特にJane Fejferによる章が研究史をまとめており、近年の研究動向に本書も位置づけられている。古代におけるコレクションやミュージアムを論じた欧文文献についてはこちらを参照されたい。本稿で紹介したBraviの著作では、方法論に関する議論は簡潔だったが、Fejferの論考を参照することで本稿でも触れた、美術品の収集と展示に関する古代と近現代における枠組みの違いという問題をさらに深く検討できる。この問題が未解決であることも言及しておく。なお、次に挙げるBraviによるドイツ語版の著作では、コンスタンティノープルにおけるキリスト教と「異教」美術の問題を論じるにあたって、方法論の面で新たな議論を付け加えている。一方、Gabriella CirucciやGianfraco Adornatoによるケーススタディは、ローマ世界におけるギリシア美術というテーマを、本書のように文献資料のみではなく、現存する作品を通じて検討しており、本書に対する批判的な補完とみなせる。他にも、ローマ時代に制作された美術品の収集や、古代だけでなく中世、近世に関する論考を含む。

冒頭でも挙げた、著者によるドイツ語版の著作(Alessandra Bravi, Griechische Kunstwerke im politischen Leben Roms und Konstantinopels, Berlin and Boston : Walter De Gruyter, 2014)は、本書の内容に加え、330年にコンスタンティヌス大帝によって建設され、皇帝の名を冠するコンスタンティノープルについても論じている。現在のイスタンブールに位置するこのローマ帝国の新しい都は、既にあるビザンティオンという都市を大幅に拡張する形で建てられた。その際、コンスタンティヌスは新都に欠けていた歴史と威容を補うべく、ギリシア美術の名品をギリシアやローマ自体からもたらし、「第二のローマ」とした。キリスト教が大きな役割を果たしたコンスタンティノープルに関しては、異教の絵画彫刻はもっぱら審美的価値によって収集、鑑賞されたとしばしばみなされてきた。しかし著者は、4世紀に新都の住人となったエリート層や中間層にとって、異教時代のローマのように、ギリシア美術は戦勝記念モニュメントをはじめとする政治的メッセージを伝えるものとして受け取られたと論じた。ローマにおける75年の「平和の神殿」奉献から250年以上後の新都建設への議論の移行はやや唐突であり、両者の間の時代について記述があればなお良かったのではないか。とはいえ、本書でもっぱらローマを対象に掘り下げた、場に即した美術品の政治的機能という着眼点を、新都コンスタンティノープルに応用しているのは興味深い試みである。なお、コンスタンティノープル建設とその政治的背景については、田中創『ローマ史再考 なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか』(NHK出版、2020年)を参照。

近年、美術作品をはじめとするモノのエージェンシーと、モノが置かれる場所との関係を、モノの移動という観点から探究する研究が、文化人類学において展開し、古代ローマの考古学でも採用されつつある。Rosemary A. Joyce, Susan D. Gillespie (eds.), Things in Motion : Object Itineraries in Anthropological Practice, Santa Fe : School for Advanced Research Press, 2015は、北米とヨーロッパを中心に、中南米とアフリカも含めたケーススタディを集めている。研究史と近年の理論的動向についてはMiguel John Versluys, "Understanding objects in motion : an archaeological dialogue on Romanization," Archaeological Dialogues, vol. 21.1, 2014, pp. 1-20およびAlexander A. Bauer, “Itinerant Objects,” Annual Review of Anthropology, vol. 48, 2019, pp. 335-352を参照。

また、西洋における美術コレクションについては、遠山公一、金山弘昌編『美術コレクションを読む』(慶應義塾大学出版会、2012年)、および『西洋美術研究』No.8 特集「アート・コレクション」(2002年)において、古代から近世、近代まで幅広く論じられている。

古代ローマの都市空間と地誌については、英文ではFilippo Coarelli, Rome and Environs : An Archaeological Guide, Berkeley : University of California Press, 2014がガイドブックとして便利である。

古代ギリシア・ローマ美術史全般に関しては、芳賀京子、芳賀満『西洋美術の歴史1 古代』(中央公論新社、2017年)が近年の研究動向を踏まえ通覧している。

なお、本書の前半で分析される共和政末期の混沌とした世情は、ローマ随一の歴史家サルスティウスの著作『ユグルタ戦争』および『カティリーナの陰謀』に生き生きと描写されている。歴史的正確性はともかく、読み物として面白い。邦訳は栗田伸子訳(岩波書店、2019年)が文庫版で手に入りやすいだろう。小川正廣訳(京都大学学術出版会、2021年)は詳細な脚注がついている。

1なお、日本語ではミュージアムは美術館と博物館に訳し分けられるが、著者のいう「玄人の美術趣味を持ったエリートが、博学な目で美術品をじっくり見る」空間(p. 9)というのは前者を指すと言えるだろう。

2J. Fejfer, “Displacing Artifacts : Towards a Framework for Studying Collecting in the Ancient Roman World,” in G. Adornato, G. Cirucci, W. Cupperi (eds.), Beyond “Art Collections” : Owning and Accumulating Objects from Greek Antiquity to the Early Modern Period, Berlin and Boston 2020, pp. 29-54. 文献案内にも掲げた通り、古代におけるミュージアムや収集に関する近年の研究動向についてはこちらを参照のこと。

3E. La Rocca, Amazzonomachia : le sculture frontonali del tempio di Apollo Sosiano, Roma 1985.

出版元公式ウェブサイト

https://edipuglia.it/catalogo/art1717/

謝辞

本書評の執筆に際して、東京大学の小松誠氏からコメントをいただき、内容を改善することができました。ここに記して感謝いたします。残る本書評の誤りや不備については、すべて評者自身に帰せられるものです。

評者情報

氷見野 夏子(ひみの なつこ)

東北大学文学研究科美学・西洋美術史研究室准教授。専門は古代ローマ美術史。特にイメージ、モノ、場所の関係性に関心を持っている。主な研究業績は「ポンペイ、「黄金の腕輪の家」の二つの壁画工房―庭園画の制作状況と図像プログラムの考察―」(『美術史』第192冊、2022年、pp. 187-202)、「古代ローマの庭園における色石彫刻―ルーヴル美術館蔵のベイサナイト製《獅子像》(LL 30/N 199/Ma 1355)を中心に―」(『美術史』第200冊、2026年3月出版予定)、「キルクスか、庭園か ―― ローマ、「サルスティウス庭園」の谷の建築と彫刻装飾 」(『地中海学研究』XLIX、2026年出版予定)、Displicebat ei habitare in palatio. Horti Sallustiani: Topography, Textual sources and sculptures (Doctoral Thesis, Scuola Normale Superiore di Pisa, Academic Year 2023/2024, January 2025)、"Three Classical Niobids from the Horti Sallustiani : Augustan Pedimental Group or Hadrianic Ensemble?," in Gianfranco Adornato, Suzan van de Velde, Miguel John Versluys (eds.), Itinerant Greek Sculpture in Roman Italy and Greece and the Temple of Apollo Sosianus on the Campus Martius in Rome, Brill. [入稿済み]。

ウェブサイト

https://www.sal.tohoku.ac.jp/jp/research/researcher/profile/---id-204.html