Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

2026年10月15日

水戸部由枝『近代ドイツ史にみるセクシュアリティと政治 —性道徳をめぐる葛藤と挑戦』

昭和堂, 2022年

評者:瑞秀 昭葉

Tokyo Academic Review of Books, vol.84 (2026); https://doi.org/10.52509/tarb0084

水戸部由枝氏による『近代ドイツ史にみるセクシュアリティと政治』(昭和堂、2022年)は、19世紀後半から20世紀初頭のヴィルヘルム期ドイツの市民社会を舞台に、政治社会とセクシュアリティの関係性を解き明かした実証的な大著である。本稿の目的は、この優れたセクシュアリティ史研究を、近年の帝政期研究における議論や、クィア・ヒストリーの視座と接合することにある。それにより、本書の到達点を評価するとともに、運動内部のミクロな力学に関する構造的な課題を浮き彫りにする。

書籍の要約

本書は、「セクシュアリティの領域で作動する権力メカニズムを解きほぐし、そのメカニズムに組み込まれていく人びとの態様とそのメカニズムに抗う人たちの姿を浮き彫りにすること」(水戸部、2頁)」を課題として掲げ、広範な言説分析と地域史的な実証を組み合わせた、重層的かつ緻密な構成をとっている。その具体的なアプローチは、「ドイツ・ヴィルヘルム時代(1890~1914年)に、主に市民社会で展開された性道徳をめぐる論争から、国家・社会における性道徳の形成プロセスを明らかにし、さらには個人の身体的・心性的な性に歴史的にアプローチすることにより、セクシュアリティと政治社会との関係性を探る(水戸部、2頁)」というものである。その際、個人と国家、そしてその間に位置する社会組織(中間団体)の関係が問われる。

第Ⅰ部では、ヴィルヘルム時代のドイツ帝国全体に波及した性道徳をめぐる議論が概観される。まず第1章では、急激な産業化と都市化を背景に、社会秩序の維持を理由に問題化された管理売春制度と、それに対するドイツ廃娼運動の相克が描かれる。続く第2章では、ブルジョワ女性運動の急進派ヘレーネ・シュテッカーに焦点を当てる。彼女が提唱した「新しい倫理」がいかに市民社会の二重道徳の欺瞞を暴き、女性の性的衝動や身体の自己決定権を肯定するに至ったかが考察される。さらに、こうした思想が自由婚や自由恋愛、ひいては堕胎合法の訴えとして結実していくプロセスが詳述される。第3章では、フロイト派の精神分析学者オットー・グロースのエロス論がヴェーバー・サークル等の知識人層に与えた心理的・理論的影響を分析し、第4章では、社会民主党(SPD)における産児制限をめぐる議論―「出産ストライキ」論争(1913年)―を通じて、階級闘争の論理の中に埋没させられた女性労働者の切実な性の問題が浮き彫りにされる。

本書の白眉である第Ⅱ部では、南西ドイツのバーデン大公国というミクロな地域史へと焦点を絞る。第5章から第8章にかけ、ドイツ連邦諸国家のなかでも、際立って自由主義的であったバーデン大公国の政治的・社会的特徴が分析される(第5章)。ここでは、ルイーゼ大公妃の庇護のもと、市民団体「バーデン女性連盟(BFV)」が、政府と強固な協力関係を結びながら専門教育や救貧事業などの社会福祉や慈善活動を介して、行政へ参入していったプロセスが実証的に描かれている(第6章)。

同時に本書は、バーデンの女性運動と政府の協力関係が孕んでいた構造的問題にも考察を加える。バーデンの女性運動は、ルイーゼやその支持者が標榜する「母性」や市民的性道徳観に抵触するような、急進的な性改革を展開し得ないという制約を抱えていた。

その象徴的な表れが、売春問題への対応である。ドイツ全土で急進的な廃娼運動が広がりを見せていたのとは対照的に、バーデンでは過激な闘争は回避された。代わりに、ブルジョワ女性諸団体と社会改革諸団体が協力して、邦議会に対して公的娼家の閉鎖を求めて請願を提出するという、制度の枠内での改革運動が展開された(第7章)。

加えて、穏健派カミーラ・イェリネクの活動の分析を通じて、女給問題が売春問題の一部として問題化された際の限界をも鋭く描き出している。イェリネクがアニミールクナイペ(バー・キャバレー)の女給も含めた女給労働状況の改善と保護を訴えたのに対し、多くのブルジョワ女性運動家やドイツ禁酒同盟は、アニミールクナイペの女給を「潜在的な売春婦」とみなした。その結果、アニミールクナイペの女給たちは市民社会の連帯から排除されていった(第8章)。

さらに、本書の議論に奥行きを与え、現代的な文脈へと接続させているのが四つの「補論」である。補論1では、ベストセラー女性作家マルガレーテ・ベーメの作品を取り上げ、当時の市民社会で隠蔽されていた性的搾取や売春、女給の闇といった社会問題の実情を小説世界から暴き出す。補論2では「錯綜するプロレタリア女性運動」として第4章で見た「出産ストライキ」論争の背景を、SPD指導者たちの女性観、女性解放思想、ならびにプロレタリア女性運動の特徴から明らかにする。そこでは、階級闘争と女性解放の狭間で揺れるプロレタリア女性運動の複雑な実態が整理される。また、補論3では、バーデン大公国の統計資料に基づき、その人口動態や教育環境といった政治的・社会的・経済的な固有性が実証的に裏付けられている 。そして補論4では、1970年代の東西ドイツにおける妊娠中絶論争に触れ、ヴィルヘルム時代に議論された新しい性道徳が、自己決定、ならびに私的領域における権力問題と関連しながら具体化していく様子を考察している 。

終章では、本書で検討したヴィルヘルム期のセクシュアリティをめぐる諸議論が、社会国家の形成過程における「包摂と排除の力学」として再定義される。社会国家の存続には、国家による私的領域への介入が不可欠であり、性の領域もまたその例外ではなかった。そして、この介入構造を女性運動家も含む市民層自らが支えていた事実が浮き彫りにされる。ブルジョワ女性運動の主流派は、市民的母性に基づく規範の枠内にとどまり、それを超えるジェンダー秩序を提示するには至らなかった。その一方で、シュテッカーらが唱えた、市民的性道徳そのものを根底から揺さぶる新しい性道徳の主張からは、第一波フェミニズムから第二波フェミニズムの自己決定権をめぐる権利の主張へと連なる連続性が確認できる、と著者は強調している。

評者によるコメント

1. リヒターの民主化史観への応答

まずは、本書を帝政期研究として位置付けることで、その学術的貢献を示したい。本書は、近年論争を巻き起こしているヘートヴィヒ・リヒターの民主化史観に対する、極めて有力な実証的批判として機能しているのではないだろうか。リヒターは、帝政期ドイツに「大衆民主主義の根(Richter, Aufbruch, S.8-9)」を見出し、男子普通選挙と女性も参加した「市民社会の改革の推進力」とが組み合わされることで「国民的民主主義」と「強い君主制」が同時に育まれたとする、単線的な進歩史観を提示している。そこでは、近代民主主義の歩みが単なる政治闘争としてではなく、肉体的暴力の減少や身体の保護、そして他者の苦痛に対する「同情」の広がりを伴う、エラーを含みながらの「学習プロセス」として描き出される。リヒターのこの見取り図の中では、ヴィルヘルム期の女性たちが福祉や公衆衛生を通じて政治空間に進出した「政治の家庭化」のプロセスもまた、社会の野蛮な暴力を馴致し、他者への救済や保護を政治に持ち込んだ包摂の改革として極めて肯定的に評価される(Richter, Demokratie, S.160-162)。

しかし、このような帝政期を進歩的かつ調和的に描くリヒターの楽観的な歴史観に対し、ジェンダー史家ウーテ・ダニエルは痛烈な批判を浴びせている。ダニエルは、実際の政治的プロセスや権力闘争を度外視し、市民社会の進歩的・改革的な側面ばかりを抽出したリヒターの叙述を「半分の真実」に過ぎないと一蹴する。さらに、近代の植民地主義や帝国主義といった「暗い側面」の原因をすべて「大衆の力」や「大衆の政治化」に求める論理の歪みを鋭く批判する。

この批判的視座を補助線とするとき、水戸部の実証研究がいかに有力なリヒター批判として機能するかが一層鮮明になる。リヒターは売春問題を「身体の自由」の観点から位置付ける。リヒターによれば、アンナ・パプリッツやリダ・グスタヴァ・ハイマンといった先進的な女性運動家は、売春を女性の尊厳を蹂躙する最たるものとしてみなし、女性の肉体的解放という論理に基づいてこの問題に取り組んだとされる(Richter, Aufbruch, S.57)。

しかし、これまで概観した通り、水戸部が明らかにした実態はより重層的である。急進派の動向に限れば、売春を「身体の自由」や「肉体的解放」として位置づけるリヒターの解釈は有効である。急進派のハイマンやシュテッカーは、売春および管理売春制度の是非を、禁欲や婚姻の枠内ではなく、性道徳改革の問題へと接続させたためだ。彼女たちは、性の領域における男女平等の確立を目指し、婚姻外の性的交渉・自由婚(事実婚)をも正当な関係性として認めるよう社会に働きかけたのである(水戸部、55–56頁)。しかし、パプリッツら穏健派は、売春の原因を道徳的制約の弛緩に求め、むしろ男女の性道徳観の改善を要求した。したがって、市民的性道徳に立脚した婚姻関係を社会に敷衍させることで売春問題の解決を図ろうとした穏健派の立場は、リヒターのいう「身体の自由」の論理とは一線を画するものである(水戸部、52頁)。

ここで確認されるのは、下層女性—娼婦や女給—への単純な「同情」の広がりなどではない。むしろ、市民的価値観を規範として社会全体を規律化しようとする、市民層女性による高度なヘゲモニーの追求であり、帝政期ドイツにおけるミリュー(社会的・文化的層)分断の一側面であろう。水戸部の緻密な分析は、女性運動における言説の拮抗を浮き彫りにすることで、単純な「包摂による改革」という物語を鋭く批判しているといえる。

さらに、自由主義国家として名高いバーデンの女性解放運動でさえも、政府との協力関係の中で、母性を基準とした政府の性道徳規範にそぐわない下層女性の冷酷な「排除」という代償の上に成り立っていたという本書のパラドックスの提示は、近代特有の社会国家の「規律化の暴力」を捉えたものとして高く評価される。

加えて付言するならば、リヒターは女性運動家が自らを世界的な「廃止論者(»Abolitionistinnen«)(※評者注:廃娼論者と奴隷制廃止論者のダブルミーニング)」、すなわち売春を奴隷制と同等の不正義と捉え、それと戦う闘志として自認していたと指摘しているが(Richter, Aufbruch, S.57)、これには留保が必要である。売春政策について欧州の国際比較研究を行っているマルテ・ケーニヒの研究が示すように、帝政期ドイツではすでに、「純潔で文明化されたヨーロッパ女性」を性的に搾取し汚染するユダヤ人という反ユダヤ主義の図式が観測されており、女性運動内部にも反ユダヤ主義的なレトリックが浸透していた。パプリッツの出版物においても、少女を売買する業者には暗黙のうちにユダヤ系の名前が与えられ、主犯格がユダヤ人であるという偏見が再生産されていたという。また、急進派のケーテ・シルマッヒャーも公然とこうした言説を支持した人物として名指しされている1。そのため、奴隷解放思想と廃娼主義を並置することで、女性解放運動を奴隷解放運動に連なる「民主主義的」な運動としてのみ捉えるリヒターの視座は、帝政期ドイツの女性運動が内包した「暗い側面」を見落としてしまうであろう。

2. 残された課題と今後の展望 —クィア・ヒストリーの視座と「沈黙の力学」

本書の分析は極めて示唆に富むが、さらに議論を深めるための課題を一点だけ指摘したい。それは、同性愛とクィアという視点の欠落である。本書では、ヴィルヘルム時代に展開した様々な性道徳をめぐる議論—女性労働、結婚や子育て、自由恋愛や自由婚、出生率や乳児死亡率、産児制限、売買春や性病—が紹介されるが、取り上げられた主題の選定理由がやや不明確である。ヴィルヘルム期には、ポルノグラフティの流通や青少年の保護、そして同性愛についても活発な議論が展開されたが、これらが等閑視されているのはなぜか。とりわけ、皇帝ヴィルヘルム2世とその側近たちの同性愛関係が取り沙汰された「オイレンブルク事件」(1906–1909)は、当時の政治とセクシュアリティをめぐる議論の最重要結節点であろう。

水戸部氏が高く評価したシュテッカーも、同性愛という主題において決して無関係ではない。シュテッカーは、性科学者マグヌス・ヒルシュフェルトと強固な協力関係を築いており、1912年にはヒルシュフェルトが率いた同性愛者の権利擁護組織「科学的ヒューマニズム委員会(WhK)」の理事にも就任している。シュテッカーが堕胎や自由恋愛と同様に心血を注いだテーマであり、ヴィルヘルム期に高まりを見せた同性愛問題が議論の俎上に載っていない点は惜しまれる。

シュテッカーは、女性同性愛をも処罰の対象に含めようとした1909年の刑法250条草案が提出された際にも、国家が個人の私的な性生活に干渉することに反対し、これを強烈に批判している。だがその一方で、エリザ・ハインリヒの研究が実証するように、彼女の思想の根底には「正常な愛、男女の愛、親であることが最も高く、最も追求すべきもの (Stöcker, S.111)」とする強固な異性愛規範が鎮座していた点も看過できない(Heinrich, S. 255)。まさに水戸部氏が論じた堕胎や売春の問題と関連づけながら、シュテッカーは1911年の論文で次のように論じている。女性は、自然な愛の欲求を満たそうとすれば「市民的な死(Stöcker, S.113)」に直面するため、偽善的な道徳によって完全な禁欲を強いられている。その結果、堕胎や売春への転落といった脅威に立ち向かう勇気のない一部の女性たちが、他の女性との親密な結びつきの中に「愛の代替品(Stöcker, S.113)」を見出すに至るのだ、と(Heinrich, S.255)。彼女は女性同性愛を、二重道徳が生み出した哀れな副産物に過ぎないと位置づけていたのである。

さらにシュテッカーは、自身のような異性愛者を「幸福に、つまり正常に生まれついた者(Stöcker, S.119)」と特権化する一方、同性愛者を「人生に見放された人々(Stöcker, S.120)」とみなし、そのあるがままの状態を「不可侵のものとしておく(Stöcker, S.120)」べきだとも記述している。そのため、「同性愛をも肯定的に捉えていた(水戸部、83頁)」という本書の指摘には再考の余地がある。この異性愛規範と優生学的思想に囚われたもう一つの排除への目配りがない点は、本書の課題であろう。

加えて、より本質的な問題として指摘すべきは、穏健派をはじめとする主流派女性運動による「沈黙の力学」が看過されている点である。これは、女性運動が社会の中で置かれていた位置にも関係する。女性運動はどのようなダイナミズムのもと、特定の性的主題に関する主張を行い、新たな性道徳を形成したのであろうか。ハインリヒによれば、当時の女性活動家たちの多くは、女性同士で親密な同居関係を営んでいた。その背景には、未婚で職業を持つ女性が増加し、家父長制的な結婚に縛られず経済的な自立と連帯を求めたことや、男性に頼らない新しいライフスタイルを模索したという社会事情があった(Heinrich, S.121)。実際、穏健派を代表するヘレーネ・ランゲとゲルトルート・ボイマーや、急進派のアニータ・アウクスプルクとリーダ・グスタヴァ・ハイマンといった運動の指導者たちも、女性のパートナーと生活を共にしており、彼女たちの関係はリスペクタブルな関係として尊敬されていた(Heinrich, S.125, S.159)。

しかし、女性たちが公的空間に進出し自立した生活を営むにつれ、彼女たちは社会からの激しいバックラッシュに晒されることとなった点も肝要である。しばしば、反フェミニストや性科学者たちは、女性運動と「異常な性」を結びつけて病理化した。1912年に組織された「女性解放と闘うドイツ同盟」等の反フェミニスト勢力は、女性運動家を「男おんな」や「ウルニンデ(女性同性愛者)2」、「不妊のオールドミス(sterile Jungfern)3」といった蔑称で激しく攻撃した。

こうした激しいバッシングと病理化の脅威、そしてオイレンブルク事件が引き起こしたホモフォビックな社会的パニックによって、1900年頃には見え始めていた同性愛非犯罪化への兆しは一転した。同性愛を国家や社会への脅威とみなす言説が急速に力を得て厳罰化へと向かった。その結果、刑法175条のもとで犯罪化されていた男性同性愛に加え、女性同性愛までその処罰適用を拡大する刑法250条草案が提出されるに至ったのである。この法改正の動きは、女性同士の親密な絆を「異常な性」として白日の下に晒し、密告や恐喝、社会的信用の完全な剥奪という恐怖を女性たちに植え付けることとなった。

これに対し、主流派女性運動は「内なる議論と外への戦略的沈黙」という政治的な実践で応じた。ドイツ女性団体連合(BDF)の内部においても、刑法250条草案に反対する意見が多数を占め、幹部間で激しい議論が交わされたという事実が観測されている。しかし、ボイマーら指導部は、機関紙での公然とした反対意見の掲載は意図的に回避し、議論を封殺したのである。ハインリヒが指摘するように、この「戦略的沈黙」は、公の場で議論を深めることで運動の基盤である女性同士の親密なネットワークが同性愛と結びつけられ、死守してきたリスペクタビリティを完全に失うことを未然に防ぐための必死の防衛戦術だったのである(Heinrich, S. 263–267)。

さらに、外部からの病理化に対抗し運動のリスペクタビリティを守るため、運動内部の女性同性愛者を切り捨てるという残酷な力学も働いていた。例えば1904年、女性同性愛者を公言したアンナ・リューリングはWhKでの演説において、女性運動内における同性愛者の貢献を主張し、運動の無関心さを鋭く批判した(Rüling, S.131–151)。しかし、ミナ・カウアーをはじめとする指導的女性運動家たちは、同性愛と運動が関連付けられることを激しく拒絶し、彼女を異端として排除したのである(Heinrich, S. 199)。

その意味で、本書が主眼とする女性運動において、女性同性愛をめぐる議論は中心的争点ではないものの、決して周縁的な問題でもなかった。女性運動家が社会の中でどのような位置に置かれ、性に関する議論の中でも「何を語り、何をあえて語らなかったのか」。この「戦略的沈黙」と内部排除の力学まで見通すことができれば、本書の議論はさらに深まったのではないだろうか。本書の緻密な分析が、こうしたクィアな視点を取り込むことでさらなる深化を遂げることを今後の展開とともに強く期待したい。

文献案内

本書のテーマに関心を持った読者に向けて、いくつか関連文献を紹介したい。

1. 近代ドイツのジェンダー史・セクシュアリティ史を知る国内研究

  • 川越修『性に病む社会 —ドイツ ある近代の軌跡』(山川出版社、1995年)
  • 川越修・姫岡とし子・原田一美・若原憲和編『近代を生きる女たち ―19世紀ドイツ社会史を読む』(未來社、1990年)
  • 田村雲供『近代ドイツ女性史 ―市民社会・女性・ナショナリズム』(阿吽社、1998年)
  • 馬場わかな『近代家族の形成とドイツ社会国家』(晃洋書房、2021年)
  • 姫岡とし子『近代ドイツの母性主義フェミニズム』(勁草書房、1993年)
  • 姫岡とし子・川越修編『ドイツ近現代ジェンダー史入門』(青木書店、2009年)
  • 星乃治彦『男たちの帝国 -ヴィルヘルム2世からナチスへ』(岩波書店、2006年、)
  • 三成美保『ジェンダーの法史学 -近代ドイツの家族とセクシュアリティ』(勁草書房、2005年)
  • 弓削尚子『はじめての西洋ジェンダー史 -家族史からグローバル・ヒストリーまで』(山川出版社、2021年)
  • 若尾祐司『近代ドイツの結婚と家族』(名古屋大学出版会、1996年)

2. 近代ドイツのジェンダー史・セクシュアリティ史を知る邦訳文献

  • ウーテ・フレーフェルト著、若尾祐司・原田一美。姫岡とし子・山本秀行・坪郷實訳『ドイツ女性の社会史 —200年の歩み』(晃洋書房、1990年)
  • ジョージ・L・モッセ著、佐藤卓巳・佐藤八寿子訳『ナショナリズムとセクシュアリティ —市民道徳とナチズム』(柏書房、1996年)
  • トーマス・キューネ編、星乃治彦訳『男の歴史 -市民社会と「男らしさ」の神話』(柏書房、1997年)

3. リヒターによる帝政史研究

  • Hedwig Richter, Aufbruch in die Moderne: Reform und Massenpolitisierung im Kaiserreich, Berlin: Suhrkamp 2021.

参考文献

  • Daniel, Ute: Rezension von: Hedwig Richter: Aufbruch in die Moderne. Reform und Massenpolitisierung im Kaiserreich, Berlin: Suhrkamp 2021, in: sehepunkte 21 (2021), Nr. 6.
  • Dollard, Catherine L.: The Surplus Woman: Unmarried in Imperial Germany, 1871–1918, New York/Oxford: Berghahn Books, 2009.
  • Gatzka, Claudia C.: Weimar in der »demokratischen« Tradition des Kaiserreichs?, in: Alexander Gallus / Ernst Piper (Hrsg.), Die Weimarer Republik als Ort der Demokratiegeschichte, Bonn: bpb, 2023, S. 40–60.
  • Heinrich, Elisa: Intim und respektabel. Homosexualität und Freundinnenschaft in der deutschen Frauenbewegung um 1900 (Sexualitäten in der Geschichte 1), Göttingen: V&R unipress, 2022.
  • König, Malte: Der Staat als Zuhälter. Die Abschaffung der reglementierten Prostitution in Deutschland, Frankreich und Italien im 20. Jahrhundert, Berlin: De Gruyter, 2016.
  • Richter, Hedwig: Aufbruch in die Moderne. Reform und Massenpolitisierung im Kaiserreich, Berlin: Suhrkamp, 2021.
  • Richter, Hedwig: Demokratie. Eine deutsche Affäre. Vom 18. Jahrhundert bis zur Gegenwart, München: C.H.Beck, 2020.
  • Rüling, Anna: Welches Interesse hat die Frauenbewegung an der Lösung des homosexuellen Problems?, in: Jahrbuch für sexuelle Zwischenstufen 7 (1905), S. 131–151.
  • Stöcker, Helene: Die beabsichtigte Ausdehnung des § 175 auf die Frau, in: Die Neue Generation 7 (1911) Heft 3, S. 110–122.

注

1例えば、1892年に出版されたアレクサンダー・ベルクの文書『ユダヤ人売春宿』では、国際的な「少女売買」がユダヤ人に支配された領域であると名指しされ、彼らが「純潔なヨーロッパ人女性」を標的にして搾取していると激しく非難された。19世紀末には、古くからの「ユダヤ人の高利貸し」のイメージが「ユダヤ人の少女売買業者」という新たな偏見と完全に結びついて社会に定着していたのである(Malte, S.349–350)。なお、女性運動内部の反ユダヤ主義に関しては、本書の101頁掲載の脚注10において、1910年以降、シルマッヒャーが反ユダヤ主義的傾向を強めたことは指摘されている。

2「ウルニンデ(Urninde)」とは、19世紀ドイツの法学者・性科学者カール=ハインリヒ・ウルリヒス(Karl-Heinrich Ulrichs)が提唱した女性同性愛者を指す造語。ウルリヒスは同性愛を、男女のいずれにも還元されない存在とし、女性同性愛を「女性の肉体に宿った男性の魂」として理論化した。この呼称は、プラトンの『饗宴』に登場する愛の女神アフロディテ・ウラニアに由来する。当時、女性同性愛を指す用語としては、この「ウルニンデ」のほかに、文学的な「サッフィッシェ・リーベ(サッフォー的愛)(Sapphische Liebe)」、医学・法学的な「トリバディー(Tribadie)」などが混在していた。19世紀後半からは、現在も用いられる「ホモゼクシュアリテート(Homosexualität)」という学術用語が登場し、女性の場合は「女性同性愛(weibliche Homosexualität)」として、性科学的カテゴリーの一つに位置づけられるようになった。

3Jungferは直訳すると、若い娘、処女などの意味があるが、ここでは文脈を踏まえて「オールドミス」と訳出した。

出版元公式ウェブサイト

昭和堂(http://www.showado-kyoto.jp/book/b599963.html)

評者情報

瑞秀 昭葉(たまひで しょうは)

東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程在籍。専門はドイツ近現代史。とりわけ、帝政期ジェンダー・セクシュアリティ史、感情史、文化史。19世紀後半から20世紀初頭ドイツの異性愛規範の生成過程について、同性愛解放運動の視点から研究している。主な論文に、「19 世紀末から20 世紀初頭ドイツにおける男性同性愛と友情の境界 : オイレンブルク事件をめぐる同性愛解放運動の活動に関する考察 」(『ヨーロッパ研究』22号、2023年)など。

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