Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

2021年5月2日

Soraya de Chadarevian, Heredity under the Microscope: Chromosomes and the Study of the Human Genome

University of Chicago Press, 2020年

評者:山口 まり

Tokyo Academic Review of Books, vol.16 (2021); https://doi.org/10.52509/tarb0016

本書は、第二次大戦後の細胞遺伝学の歴史、特にヒト染色体に関する歴史研究のモノグラフである。著者のSoraya de Chadarevianは、カルフォルニア州立大学ロサンゼルス校の科学史教授である。彼女は、20世紀以降の生物学史を専門とし、生命科学におけるマテリアル・カルチャーや立体モデルなどの視覚表現に注目した研究を行っている。主な著作として、分子生物学にかんするDesign for Life: Molecular Biology after World War II (Cambridge, Cambridge University Press, 2002)がある。

本書には、細胞遺伝学分野ではよく知られている研究者、たとえば、Jérôme Lejeune (1926–1994)やMichael Court Brown (1918–1968)らが登場し、研究者らの移動や交流に伴い、その舞台はイギリス、フランスとアメリカに及ぶ。戦後の細胞遺伝学研究のおける重要トピック、たとえば、ヒト染色体の数は46本であるということが明らかとなったこと(それまでは48本と信じられていた)、染色体異常症(ダウン症など)の発見はもちろんのこと、細胞遺伝学における科学実践、研究者コミュニティ、ヒト染色体研究と医療との関係、科学的知見の社会的影響、そして分子生物学との関係がカバーされ、扱う内容は幅広い。

本書で扱われる1950年代以降の細胞遺伝学に関する生物学史研究は、これまでほとんどなかった。第二次大戦後の生物学史での注目トピックは、なんといっても1953年のDNAの二重らせん構造モデルの発表だろう。これを機に、生物を原子・分子レベルで研究する分子生物学は、20世紀生物学の主流となった。Nature誌に発表された彼らの論文[1]の最終部分には、遺伝コードについても言及されている。その後、遺伝コードの解読が進められ、世界的プロジェクトとして1990年に発足したヒトゲノム計画によりヒトのゲノムの解析が行われ2003年に終了した。一方、細胞遺伝学については、Chadarevianが引用しているように、1970年代から1990年代には、分子生物学者が「細胞遺伝学は死んだ」と宣言したほどだった。本書では、細胞遺伝学は「死んで」などいなかったことが明らかにされる。

内容紹介に入る前に、細胞遺伝学について簡単に述べておこう。細胞遺伝学は、細胞の構造と機能に注目して遺伝現象を研究する分野である。この研究分野では、主に顕微鏡が用いられてきた。細胞遺伝学の名前は「細胞」と「遺伝」という言葉が組み合わされたものであるが、細胞学と遺伝学のそれぞれの源流は異なる。細胞学は、細胞の働きや形態に注目し生命現象を明らかにする研究分野であるが、17世紀 Robert Hooke (1635–1703)によるコルクの観察にまでさかのぼることができるだろう(コルクの顕微鏡像に見いだした小部屋のような構造にCell(細胞)と名づけた)。19世紀に細胞分裂の顕微鏡観察で確認された構造体には染色体と命名された。細胞の減数分裂や受精時の染色体の働きによりメンデルの法則が説明できることが示され、遺伝子は染色体上にあるという染色体説が唱えられた。一方、遺伝学は1900年のメンデルの法則の再発見後、研究が本格化する。特に、ショウジョウバエの研究により遺伝子は染色体上に位置することが示された。こうして、17世紀に起源をもつ細胞学と20世紀に本格化する遺伝学とが結びついたのである。

内容紹介

第1章では、戦後、核爆発による放射線の影響を観察するために染色体が研究されたことが述べられている。原爆による放射線の影響について調査されたが、被爆者らの白血病患者数の増加が報告され、細胞内の染色体の異常が認められた。水爆実験は人々に不安を抱かせ、染色体の観察によりその影響がモニターされた。さらに、環境汚染による健康被害が懸念され、健康状態をモニターするために染色体の観察が行われた。

第2章では、染色体異常と医療との関係が確立していく経緯が示される。1959年に、ダウン症候群、ターナー症候群、クラインフェルター症候群といった病気が染色体の異常であることが明らかにされた。染色体研究と臨床との結びつきが生まれ、成人だけではなく、出生前診断も行われるようになる。バー小体を用いた性染色体異常の検査が実施された。出生前診断の結果に基づく中絶については、宗教観に基づく立場から反対する研究者もいた。染色体異常症の診断では、正常と異常の区別が複雑なものであるため、ヒト染色体の標準化の試みがあった。そこでは図だけを示す方法に対して、長さといった定量的情報も示すべきという意見が出されたが、多くの反対にあった。1970年代以降、染色体の視覚表現に対する注目が集まったが、それらの記載方法は完全に標準化されることはなかった。

第3章は、「XとY」というタイトルがつけられ、性染色体にまつわる、社会的(暴力的犯罪)、文化的(スポーツ)側面が明らかにされる。染色体の異常が疾病だけではなく精神疾患も起こすことがあると明らかにされると犯罪者の染色体も検査された。1960年代にXYYを持つ男性は攻撃的であるとされ、特に殺人事件では、メディアが書き立てたことも手伝って、精神疾患と染色体異常との結びつきに注目が集まった。一方、XYYを持つ男性に対しては、犯罪者といった否定的な捉え方だけではなく、競技では好意的な捉え方がされたという。染色体分析を使って、男性か女性かを判定する方法が、スポーツ界に取り入れられた。当初から、細胞遺伝学者らは、染色体分析による性別確認に対しては「本当の性」の指標として利用できないとして批判的であった。

第4章では、染色体検査が大きな集団に対して実施され、特に集団細胞遺伝学とよばれる分野が登場する。ここでは、集団を対象とするヒト染色体研究について2つのトピックが紹介される。一つ目は、コンピューターの導入である。1960年代には、膨大なサンプルを検査するために、コンピューター処理がすすめられた。この時期、コンピューターによるパターン認識の研究が進められており、染色体の顕微鏡像もその対象となったのである。しかし、コンピューターだけではすべての染色体の認識ができず人間の助けが必要だった。2つ目のトピックは、集団としての人種を対象とする染色体の研究である。人種によって染色体数が異なるという考えは、1920年代から多くの人々に信じられてきたが、1956年にヒトの染色体の数が46本であることが確定すると、その後さらに詳しく人種の染色体の調査研究が行われた。

第5章では、1960年代から70年代における細胞遺伝学と分子生物学の関係が描かれる。Chadarevianは、細胞遺伝学については顕微鏡像を扱うグループ、分子生物学をX線回折解析法などの数学的手法を用いるグループと特徴づける。両者の歩み寄りはほとんどなく、すでに述べたように、当時生物学を席巻していた分子生物学とは違い、細胞遺伝学は時代遅れとみなされていたことも両者の歩み寄りを阻んでいたが、ついに両者は融合する。たとえば、染色体の構造研究では、細胞遺伝学研究の知見が分子生物学者らの研究を助け、1980年代に細胞遺伝学者らが作成した染色体マッピングデータベースは、ヒトゲノム計画の影響でデータはそのままの形では維持されなかったものの、それらのデータは、ゲノム解読に欠かせない情報であった。細胞遺伝学による顕微鏡技術と分子生物学の技術の両方がヒトゲノム研究に貢献したのである。さらに、顕微鏡法の発展により両者は融合したことが述べられている。

コメント

評者は、科学実践(特に実験や顕微鏡像解釈)について関心があるため、第5章で述べられている、細胞遺伝学者らと分子生物学者らとの科学実践の違いに注目し、2点述べておきたい。まず、細胞遺伝学は分子生物学者らからは古いとされたが、世界的大型プロジェクトであったヒトゲノム計画を完成させるには欠かせない情報を提供していたという点が興味深い。細胞遺伝学者らと分子生物学者らが用いる研究手法、つまり対象を把握するための情報内容が異なるために、両者の相補的関係は意識されていなかったが(一部の研究者は両者の重要性を理解していたが)、コミュニティとしてその両者の関係について気がつくためには、大きなプロジェクトの存在が必要だったといえるのではないかと思う点である。

もう一点は、細胞遺伝学と分子生物学の融合についてである。2つの研究伝統の融合とは、Galisonが20世紀素粒子物理の歴史研究で明らかにした図式である。彼は、泡箱などの図像を解析するイメージ派と定量的計測と計算のロジック派とが研究伝統としてあり、それらは20世紀後半に技術的発展により融合したと分析した[2]。Chadarevianは、その図式が20世紀後半の遺伝学研究(細胞遺伝学と分子生物学)にも当てはまるという。この図式は他の研究分野でもみられそうである。20世紀後半以降、像と定量情報とがデジタル技術によって融合し、その技術の影響は科学コミュニティや研究実践におよぶことが歴史的に明らかにされているのである。

本書で少し残念なのは、序章で示される、顕微鏡法の実践に関わる重要かつ興味深い論点、すなわち染色体の顕微鏡像の表現に関する議論である。手描きの図と顕微鏡写真について、写真の有用性を主張したJoe Hin Tjio(1919–2001)は、手描きを使う方法は、顕微鏡下でみたものに対する主観的な解釈方法であるのに対して、顕微鏡写真は決定的な証拠を提供すると主張していたが、実は写真に修整を加えていた、というものである。Chadarevianは、Tjioが顕微鏡写真を修整しているため、「写真の“機械的客観性”」(p.7)からは程遠いと述べる。この手書きの主観性と写真の客観性の対立構造を理解するため、そしてChadarevianが程遠いといった意味を十分理解するためには、この「機械的客観性」という科学史の概念をもう少し丁寧に説明する必要があるだろう。

「機械的客観性」は、科学図像の客観性について手法と時代による変化にかんする研究で述べられている[3]。すなわち、写真が科学研究に導入される前は、4つの目(研究者の目と画家の目)で、観察対象が「自然に忠実に」描かれているとされたが、そこには主観が入らざるをえなかった。写真技術が導入されると主観を排除したそのままを映し出した「機械的な客観性」が担保されることとなった。ただし、写真でもX線写真などの解釈では「訓練された判断」が必要になったとされる。Chadarevianは、こうした写真の「機械的客観性」について言及しているのである。彼女は第4章で、コンピューターの導入では人間のオペレーターが、染色体の塊を分けたり重なったりした「微妙な」仕事で機械を「支援した」(p.128)と述べている。そのオペレーターは訓練された目を持つ人間であることは忘れてはならないだろう。コンピューターによるパターン認識の限界は、訓練された判断を持つ人間の暗黙知の領域を示すものということもできそうである。

第5章に、FISH(Fluorescence in situ Hybridization, 蛍光in situ ハイブリダイゼーション)について、細胞遺伝学と分子生物学の融合の一つとして述べられており、その技術は1990年代初期に初めて開発されたと書かれている(p.151)。この技術は、現在染色体異常の検出に標準的な技術である。蛍光を使った検出方法は1970年代に最初に発表され、1980年代にはすでにFISHは用いられてきたが、FISHが研究と診断に広く応用・導入された1990年代初頭からFISHに関する論文数が急増した[4]。FISH関連でも1章書けることはできそうだが、Chadarevianは従来の方法との違いについて注で少し説明するのみである。FISH技術の変遷にともなう細胞遺伝学研究の変化など、もう少し丁寧に描かれていれば、細胞遺伝学と分子生物学の融合についての理解が深まったと思われる。

本書は、科学図像、標準化、実験対象の認識など、科学史研究で、特に21世紀以降注目されている論点が押さえられている。標準化については、定量化や正常と異常の違いなど、より詳しい研究が進められればさらに興味深いことが見出されるのではないだろうか。さらに、出生前診断、スポーツ競技における検査、人種問題など社会的影響、倫理的問題についても扱っているが、これらもより深い研究を促すトピックを提供していると思われる。

細胞遺伝学について、とりわけヒト染色体の研究についての歴史的研究はほとんどなく、今後この分野の研究が行われる際には本書は参照されるべき著作である。英語は読みやすく、掲載された図版も豊富で、登場人物の様子がわかるだけではなく、像として示される染色体の写真や図をみると、特に1950年代から80年代にはいかに細胞遺伝学研究において図像が重要であったことが実感できるだろう。

文献案内

  • 科学図像研究の入門として
  • 橋本毅彦『図説科学史入門』ちくま新書、2016年

7つの科学研究分野で使用された科学図像を紹介しながら歴史をたどる。あとがきで科学図像に関する近年の歴史研究の紹介もある。

  • 光学顕微鏡の歴史研究として
  • Jutta Schickore, The Microscope and the Eye: A History of Reflections: 1740–1870 (Chicago: Chicago University Press, 2007).

光学顕微鏡が、19世紀に観察方法としてその信頼性を獲得した経緯が示されている。

  • 生物学の通史として
  • ミシェル・モランジュ『生物科学の歴史‐現代の生命思想を理解するために』、みすず書房、2017年。

生物学の歴史(「事実の確認」)だけではなく、「時代を越えて」や「現代との関係」といった項目が設けられており、考えさせられる記述もある。

謝辞

本書評作成にあたっては、稲葉肇氏から有用なコメントをいただきました。ここに感謝いたします。また、TARB編集委員の横路佳幸氏と飯澤正登実氏にも大変お世話になりました。感謝申しあげます。

参考文献

  1. J. Watson and F. Crick, “Genetical Implications of the Structure of Deoxyribonucleic Acid,” Nature, 171 (1953): 964–967.
  2. Peter Galison, Image and Logic: A Material Culture of Microphysics (Chicago: Chicago University Press, 1997).
  3. Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity (New York: Zone Books, 2007).
  4. D. Huber, L. Voith von Voithenberg, and G.V. Kaigala, “Fluorescence in situ Hybridization (FISH): History, Limitations and What to Expect from Micro-scale FISH?,” Micro and Nano Engineering, 1 (2018): 15–24.

出版元公式ウェブサイト

シカゴ大学出版局

https://press.uchicago.edu/ucp/books/book/chicago/H/bo47674227.html

評者情報

山口 まり(やまぐち まり)

現在、総合研究大学院大学特別研究員。専門は、科学史。特に原子分解能を持つ顕微鏡(ミュラー型顕微鏡、透過型電子顕微鏡、走査型透過電子顕微鏡、走査型トンネル顕微鏡)の歴史の比較研究、気体分子の構造の歴史を研究している。主な論文に、Mari Yamaguchi, “The Strategy for Acceptance of the Scanning Tunneling Microscope: Observations of the Si(111)7x7 Reconstructed Surface, 1959–1986,” Historia Scientiarum, vol.20, no.2 (2010): 123–146. がある。趣味は、バラを育てること。

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