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2021年9月30日

M. R. グレゴリー、J. ヘインズ、K. ムリス編『子どものための哲学教育ハンドブック:世界で広がる探究学習』

小玉重夫監修,豊田光世、田中伸、田端健人ほか訳,東京大学出版会,2020年

評者:山﨑 かれん

Tokyo Academic Review of Books, vol.32 (2021); https://doi.org/10.52509/tarb0032

はじめに

昨今、「子どものための哲学(P4C1)」と呼ばれる実践が日本でも注目を集めている。1970年代のアメリカで始まったこの運動は、学校や地域など様々な場で実践され、哲学対話をはじめとした様々な活動を通して子どもを哲学に向かわせてきた。最近の日本では学習指導要領の改訂ともあいまって、子どもを探究の主体とする新たな教育の手立てとして期待されている。

本書は、2017年刊行のThe Routledge International Handbook of Philosophy for Childrenに収録された論文の中から19篇を選んで翻訳したものであり、世界中の研究者や実践者による論文集の形をとる。序章で「学級やその他の学びのコンテクストに哲学を取り入れること、あるいは道徳や政治的領域、さらには哲学に子どもたちの声を取り入れることによって呼び起こされる重要な哲学的・教育的論議に対して、洞察を生み出すことを試みる」(p. 2)と述べられているように、本書では哲学を取り入れた教育実践を広く「P4C」と呼ぶ。たとえば、哲学的問いを題材に子どもたちが対話を行う哲学対話や、哲学的内容に関わる役を子どもが演じる哲学劇、理科の授業で実施した実験結果を哲学的議論の俎上にのせることを試みる授業実践など、多様な実践がP4Cとして紹介されている。

P4Cは実施方法からして多岐にわたる実践であり、その全容を知ることは難しい。そのような中で本書は、拡大、成熟しつつ続いてきたP4Cを振り返る一つの総括となっており、多様な実践から引き出された哲学的・教育学的洞察は、複雑で定形のないP4Cの姿を繊細に読者に伝えるだろう。

本書の概要、構成

本書にはP4Cに関する19本の論文がテーマごとに5部に分けられ、400頁近いボリュームで収録されている。ここでは各部の内容をかいつまんで紹介するが、各論文の内容は多岐にわたるため、読者には実際に本書を手に取ることをおすすめする。

第Ⅰ部 「子どものための哲学」の民主的特性

P4Cでは「哲学探究の共同体(the community of philosophical inquiry)」というアイデアが重視される。第Ⅰ部では、哲学探究の共同体は、複数の人間で共に問いを探究し、発言の自由を担保しながら協働する枠組みを示すものであり、子どもたちに民主的社会における市民としてのふるまいを身に付けさせる教育実践の一つのモデルであるということが提示され、それを踏まえてP4Cの活動を行うためのいくつかの課題が検討される。たとえば、文化、人種、民族などに多様性が存在する共同体でのマイノリティの負担やマジョリティの当惑、異なる属性を持つ者同士が民主的社会を構築するための道筋、教師の権威を規定する「権限共有モデル」といったテーマが検討対象となっている。

<第Ⅰ部収録内容>

  1. 哲学探究の共同体——民主的社会の発展に向けた教育学的提案(E. エチュヴェリア、P. ハナム)
  2. 「立ち入るべきではない領域」——探究の共同体のなかの差別と当惑(D. チェティ、J. スイッサ)
  3. 市民の教育——熟議の教育論を追究するハワイのP4C(A. S. マカイアウ)
  4. デモクラシーと哲学——哲学探究の共同体における権威の性質と役割(O. ミショー、R. ヴァリタロ)

第Ⅱ部 子どものための哲学における子どもと幼年期

幼年期の子どもを対象としたP4Cは数多く実践されている。哲学と幼年期の子どもという、かけ離れてみえる存在を結びつけることは本当に可能なのだろうか。ここに収録されている論文は、理論と実践の両面からその可能性を確信させる。理論の面では、最近の発達理論からはP4Cの教育実践を支持する結論が導かれ、幼年期の子どもにとってもP4Cの実践が重要であると論じられる。実践面では、幼児を対象とした哲学劇が紹介され、子どもたちが哲学的なテーマをはらむロールプレイを通して自ら哲学的概念に向かうようになることが示されている。

<第Ⅱ部収録内容>

  1. 子どものための哲学と発達心理学——歴史的考察(L. グリーン)
  2. 幼児期と教育、そして哲学——時間の問題(D. ケネディ、W. O. コーハン)
  3. 幼年期における哲学劇(S. スタンレー、S. ライル)

第Ⅲ部 実践における探究の共同体——認識論とペダゴジー

P4Cにおける探究の共同体は、認識論と学習理論の双方にとって必要な実践であり、それらと重要な関係を持つ。第Ⅲ部では、徳認識論やプラグマティックな認識論とP4Cの関係が論じられ、P4Cの認識論的貢献が理論的に明らかにされる。そうした検討のうちには、探究の共同体の統制的理想としての合理性や教師のマインド・セットの変容に関する論考も含まれる。

<第Ⅲ部収録内容>

  1. 子どものための哲学と認識論的徳を備えた主体の育成(R. ガスパラトゥー)
  2. プラグマティストの認識論と思考力の育成(P. エラートン)
  3. マインド・セットの変容——探究の共同体としての教室での教師の専門的な学び(V. M. バウムフィールド)
  4. 共同体として思考する——合理性と感情(M. コスタ-カルバージョ、D. メンドーサ)

第Ⅳ部 学校での哲学

いかにして哲学は学校教育に導入されるのだろうか。第Ⅳ部では学校での哲学の実践と、それを遂行するための教員養成が論じられる。数学や理科の授業に哲学探究の手法を導入する事例やイギリスでの哲学教育に関する調査からは、探究の共同体の応用可能性や、既存の教科の哲学的側面に着目しながら「哲学的に教える」授業の有効性が示される。また、教員養成にも注目が向けられ、教室での哲学の成功のためには教師と哲学者の間のパートナーシップが鍵となり、教師が哲学を学び実践する必要性が説かれている。

<第Ⅳ部収録内容>

  1. 理科と算数/数学の授業で子どもと哲学する(K. カルバート、M. フェルスター、A. ハウスバーグ、D. ミアーヴェルト、P. ネヴァーズ、S. パールマン、T. スプロッド)
  2. 哲学を教えることと哲学的に教えること(L. ルイス、R. サトクリフ)
  3. わたしと哲学って何の関係があるの?——教員養成において哲学と教育の相乗効果を起こすために(S. D. チェスターズ、L. ヒントン)

第Ⅴ部 子どものための哲学の研究と手法

P4Cに関する調査研究は世界中で様々に行われている。そうした研究としてここでは、人種や民族的な立場性、実践者同士での相互扶助、哲学と批判的思考の関係、探究の共同体に基づいたアプローチによる教師と生徒の思考の変容、学習に対するメタ認知と経験の再構築、教室における教師のあり方といったP4Cにとって重要な問題を検討されている。

<第Ⅴ部収録内容>

  1. 誰が話し、誰が聞くのか——子どものための哲学における立場性を真剣に取り上げる(A. リード-サンドヴァル、A. C. シークス)
  2. 子どものための哲学の研究と実践の発展——ハワイで実践した国際的な交換日記とセルフ・スタディ(A. S. マカイアウ、J. C-S. ワン、K. ラグーナデン、L. レン)
  3. 幼児教育と初等教育における対話的批判的思考とは——哲学的実践の子どもたちへのインパクト研究(M-F. ダニエル、M. ギャノン、E. アウリアック-スラスカルチック)
  4. 探究の共同体によるカリキュラムでの思考の再構築(K. ニコルス、G. バーク、L. ファインズ-クリントン)
  5. 教員のための哲学——無知・創出・即興の間で(W. O. コーハン、M. サンティ、J. T. ウォズニアック)

コメント

前でも述べたように、本書はこれまでの数十年にわたり発展と成熟を遂げたP4Cの現在を知ることのできる一冊だ。日本では、P4Cというと、いわゆる哲学対話の実践が強くイメージされるように思われるが、本書は対話以外の手法や他教科への応用などP4Cのさまざまな可能性を提示してくれる。

さらには、P4Cの実践が従来の教師や学校のあり方を揺るがしかねないことを示唆する論考も複数掲載されており、P4Cがたんに一つの授業にとどまる活動なのではなく、教育現場全体(そして、P4Cに参加した経験が民主的社会における適切な態度を養うという点で社会全体)を変容させていく力まで持つことを提示する点で興味深い。個別的な実践に根差しながら広い視野を持った本書の論考は、P4Cの今後の展開に多くの貢献を与えるだろう。

さて、P4Cは実践あっての運動であり、気になるのは本書が実践に与える示唆である。評者は中学校でP4Cの授業を実施しているが、本書を通読することで喚起される論点について、実践者の立場からコメントをつけたい。

P4Cの枠組みは適切か

前でも述べたように、本書は哲学を取り入れた教育実践を広く「P4C」と呼んでいる。そうはいっても、どのようにして哲学は教育実践に取り入れられるのだろうか。

本書を読む限り、P4Cに哲学的性格を付与する要素は少なくとも二つありそうである。一つは「問い」であり、もう一つは「探究方法」だ。本書では、子どもたちが哲学的問いに取り組む実践に関する記述(たとえば、第7章では哲学的問いで扱われる概念(美、権力など)に関わる役を劇で演じることで、子どもが哲学的問いに取り組む実践が示されている(p. 127))と、哲学的方法で探究する実践に関する記述(たとえば、第12章では理数の授業で哲学的探究の様式を応用する実践が紹介されている。また、第13章では伝統的な哲学概念への注目は教育上の重要な点を見落とす行為であり、教育では哲学的探究を実践すること自体が重要だと論じられている(p. 235))の両方が見受けられる。ここからすると、少なくとも、哲学的問いか哲学的探究のいずれかを導入した実践はP4Cと呼ばれているようである。つまり、異なる要素によって哲学的性格を付与された実践であってもまとめてP4Cと呼ばれうるのだ。しかし、問いが哲学的であることが重視された実践と、探究方法が哲学的であることが重視された実践とでは、違う種類の教育効果を結実させるのではないか。

この分析が正しいとするならば、本書で提示されるP4Cの包括的な枠組みの持つ意義が問われる。序章での「P4Cを本質主義的とみなすことや単一的な取り組みだと特徴づけること、あるいは一つの『プログラム』として理解することは、誤解を招く」(p. 7)という記述を鑑みると、本書はゆるやかな枠組みの中でP4Cを理解するよう促している。

確かに、哲学を教育に導入する実践を一括りにP4Cと呼称することは、実践例やP4Cコミュニティの構成員を増やすことにつながり、学会や本書のような論文集を組織しやすくなるなどといった点で一定の実利を生むということはあるかもしれない。しかし、上での評者の分析が正しくて、P4Cに含まれる実践が共通の教育効果を持つのではなく、それぞれの実践の形式に対応して異なる教育効果を持つのだとしたら、P4Cの包括的な枠組みは問題をはらむように思われる。たとえば、P4Cは特定の効果を結実させると期待されて教育現場に持ち込まれるが、このときに、P4Cが包括的な枠組みで理解されていると、とにかくP4Cを採用すればよいとされて、望む効果とは関係しない実践が行われることにつながりかねない。

もちろんここでの分析が不適切な可能性もある。たとえば、哲学的問いと哲学的探究の間に不可分の関係を見出して、むしろP4C全体が共通に持つ教育効果が存在すると主張することも可能かもしれない。そうした点を含め、教育の文脈において、P4Cの包括的な枠組みがどれほどの意義を持つのかについてはさらなる考察が加えられても良いだろう。

P4Cと哲学の関係

上ではP4Cの哲学的性格を規定するものとして、哲学的問いと哲学的探究を挙げた。それでは、P4Cの実践において哲学的問いとはいかなる問いであり、哲学的探究とはいかなる探究なのだろうか。本書を通して読んだとき、これらの疑問に対して明瞭な答えは得られない。異なる著者による複数篇の論文からなる本書の構成からして、これを指摘するのはフェアではないかもしれないし、そもそもP4Cという実践の本性はある程度ファジーなものとして捉えられるべきということも了解しているが、あえてこの部分を(ごく浅くではあるが)検討してみたい。

前者の疑問について言えば、哲学的問いを学問としての哲学が扱う問いとする記述もみられる(たとえば、p. 251)が、それは学問としての哲学が扱う問いとは何かという新たな疑問を呼び込むだろう。さらに、そうした哲学的問いとは何かが明らかになったとしても、哲学的問いの中に、P4Cに相応しい哲学的問いとそうでない哲学的問いの区別はあるのか、という点も実践上重要になる。たとえば、歴史や差別に関わる問いを知識が十分でない子どもに提示して自由な発言を促すことは場合によっては不適切かもしれない。また、ここでは紙幅の都合で詳しく記さないが、形而上学的な問いの扱いも子どもたちの間に対話を成立させづらいという点で実践上難しいことがある。

後者の、哲学的探究とはどのようなものであり、哲学的でない議論や話し合いと何が違うのかという点も本書を読むときに浮かび上がる疑問である(たとえば、第9章では科学的探究を特徴づける「探究価値」と哲学的探究の関係について考察されているが、哲学的探究固有の特徴や、それを子どもが実践する方法は十分には明らかではない)。たしかに、哲学対話などの多くの実践事例も示されていることから、哲学的探究について比較的ゆるやかな理解しか持たなくても、それらを形式的に踏襲することで実践は可能である。むしろ、この疑問が切実であるのはそれとは異なる場面においてである。それは哲学的探究の様式を採用することで得られる教育効果が哲学的探究に固有であるのかどうかを検討する場面だ。P4Cを導入する教育上の狙いにとって、哲学的探究が固有に持つ要素が本質的なのではなく、他の探究様式も持つような要素が本質的であると示される可能性もある。そうだとしたら、哲学にこだわりすぎることで、教育や授業内容の可能性が狭められてしまう恐れがあるのではないか2

このように、本書からは、哲学と教育実践の関係について、さらなる検討と整理を必要とすることがうかがい知れる。実際に教育現場でP4Cが実践される際には、哲学に馴染みのない教師が題材や方法の選択肢が色々ある中から、なんらかの教育効果を狙って「哲学的であるようなもの」を実際に選びとることになる。この実情を考慮したとき、(P4Cを単一の目的にもとづく一義的な実践としてみなすのは適切でないとしても)P4Cの実践が哲学的であることの意味や重要性がもう少し整理されて共有されてほしい(また、本書でこういった点について言及が多いのは第Ⅲ部だが、第Ⅲ部は哲学を専門外とする読者にとっては相当に難解であるように思われる)。おそらく、そのほうが現場での導入の際に職員室からの理解が得られやすく、実施する教員自身もP4Cの実践を形だけのものにはせずに、その意義と可能性を存分に生かしながら実施できるのではないかと予想する。

参加者の多様性へのさらなる目配り

参加者の多様性に関する考察は民主的社会への貢献を射程に捉えるP4Cの実践にとって重要な事項である。第2章、第3章、第15章では、多様な参加者からなる哲学探究の共同体が検討されている。ただし、そこで示される多様性の検討は人種や民族における少数者への配慮であり、いずれの参加者も探究に参加する能力は持つことが前提とされる。しかし、学校などの教育現場には、それ以前に「探究に参加する能力を持たない」子どもがいる可能性が高い。

教室での探究の参加者には、様々な認知の特性3を持つ子どもが含まれるだろう。本書ではいくつかのP4Cの実践手法が示唆されてはいるものの、現状のP4Cにおいて中心的な活動となるのは、参加者間の音声的な対話である。P4Cの実践では、「自由」や「平等」、「正義」といった視覚的図像を思い浮かべづらい内容について対話がなされ、複数の参加者から提出された意見が複雑な議論構造を形成することがままある。こうした内容を音声情報だけで理解、思考し、発話することは誰にとっても困難が伴うものであるが、特に聴覚やワーキングメモリの認知処理を苦手とする子どもにとっては、対話の内容を理解し、やりとりに参加すること自体不可能に近いのではないか。さらには、こうしたとき、その子ども自身が対話に参加できなくなるだけではなく、その子どもの集中が活動から逸れることが他の子どもにも影響を与え、探究の場の成立自体を難しくすることは容易に想像される。

他者の認知世界を想像することは難しい。P4Cを導入しようとする教員や研究者は、対話的実践にそこまでの困難を感じないような認知能力を持つからこそ、良かれと思って導入するのだろう。しかし、その探究活動に参加する能力を持たない子どもがそこに存在する可能性にも注意が向けられてほしい。もしかしたら、黙っている子どもは黙っていたくてそうしているわけではなく、霞のように散っていく他者の声を掴めずに置いていかれているのかもしれない。もちろん、他の科目の授業でもそうした事態は起こりうるだろう。しかし、哲学探究の共同体の理念からして、特にP4Cはそうした子どもまでをも包摂した実践の実現により注意深く取り組むべきなのではないか。

学校外での自由参加的な実践ではP4Cに参加したいと望んで来る参加者だけを想定すれば良いだろう。しかし、学校などの教育現場でのP4Cでは参加者がスクリーニングされないことが多い。教育現場には、様々な子どもがおり、そこには「探究に参加する能力を持つ/持たない」という違いまで存在しうる。教育現場におけるP4Cについて考えるとき、その次元に存在する多様性にも目配りが必要であるように思われる。

文献案内

P4Cを立ち上げたマシュー・リップマンの著書として代表的なものは次である。

  • マシュー・リップマン 2014, 『探究の共同体——考えるための教室』, 河野哲也・土屋陽介・村瀬智之訳, 玉川大学出版部. (Lipman, M. (2003). Thinking in Education. Cambridge University Press.)

学校でのP4Cの実践については、次のような本がある。まず、学校の授業でP4Cを実践する著者によるものとして次が丁寧である。

  • 土屋陽介 2019, 『僕らの世界を作りかえる 哲学の授業』, 青春出版社.

次の本は、学校での探究型の学習において哲学対話を実践する方法を詳しく提案している。自分たちの頭で考えて完結する実践にとどめず、調査研究や文献収集を含めた探究型学習の過程に哲学対話を位置づけているという点でも注目に値する。

  • 河野哲也 2021, 『問う方法・考える方法 「探究型の学習」のために』, ちくまプリマー新書.

哲学対話や哲学プラクティスの入門書では次がわかりやすく、また実践の雰囲気も掴める。

  • 梶谷真司 2018, 『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』, 幻冬舎新書.

他にも、p4c japanのWebサイト上では多くの文献が紹介されており、こちらも参照されたい。

謝辞

本稿の執筆に際して、千葉将希氏、藤原諒祐氏より有益なコメントをいただきました。ありがとうございました。

1子どもが哲学探究の主体となる実践には目的や流派によって様々な呼称が用いられるが、本稿では、本文にしたがい「子どものための哲学(P4C)」に統一した。

2子どもの哲学における「対話」が固有にもつ特徴を考察した研究として、たとえば土屋(2013)がある。

3聴覚での情報処理に困難を抱える特徴的な例として、ADHD(注意欠陥・多動性障害)やASD(自閉スペクトラム症)、APD(聴覚情報処理障害)などが挙げられる。また、障害と診断される程度に問題を抱えていなくても、どういった認知処理が得意/苦手であるかという認知能力の差は存在し、それが教室での対話の実践に影響を与えることは哲学探究の共同体を成立させる上で考慮すべき事項であるように思われる。

参考文献

  • 土屋陽介, 2013, 「子どもの哲学における対話の『哲学的前進』について」, 『立教大学教育学科研究年報』, 56号, 77–90頁.
  • 福島邦博, 川崎聡大, 2008, 「総説 聴覚情報処理障害(APD)について」, 『音声言語医学』, 第49巻, 1号, 1–6頁.

出版元公式ウェブサイト

東京大学出版会

http://www.utp.or.jp/book/b517255.html

評者情報

山﨑 かれん(やまざき かれん)

東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士三年。日本学術振興会特別研究員(DC2)。専門は、心の哲学、科学哲学。主な論文・著作に、「実現関係を論じる二つの立場とその対立」(『哲学・科学史論叢』第22巻, 2020年)がある。P4Cや哲学対話とは無縁の研究生活を送っていたが、突然の打診を受けて、2020年度より都内の中学校にて「哲学対話」の授業を担当している。

researchmap:https://researchmap.jp/karenyamazaki

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