Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

2021年12月3日

宮岡礼子『曲がった空間の幾何学:現代の科学を支える非ユークリッド幾何とは』

講談社,2017年

評者:中島 啓貴

Tokyo Academic Review of Books, vol.37 (2021); https://doi.org/10.52509/tarb0037

概要とコメント

「三角形の内角の和は180度である」これは誰もが小学校で習う基本的な図形の性質である.しかし,これが成り立たない世界もあると聞いたらどうだろうか.実は,三角形の内角の和は空間の曲率(曲がり具合)によって変わる.本書のまえがきでも説明されているが,例えば地球上で三角形を描くと,地球の曲率に由来して三角形の内角の和は180度よりも大きくなるのである.

本書は,このような曲がった空間について初学者向けの面白く易しい解説から始まり,最後には世紀の難問であるポアンカレ予想の説明までをカバーする大胆な構成となっている.三角形の内角の和についての事実は,紀元前3世紀頃にはユークリッド著「原論」に記されている一方で,ポアンカレ予想は2000年代に入ってから証明されている.すなわち本書は,二千三百年以上に亘って進歩してきた幾何学の叡智をわずか200ページ強で楽しく読めてしまう素晴らしい一冊となっている.サブタイトルにある「非ユークリッド幾何」であるが,これはまさに曲がった空間の幾何のことである.非ユークリッド幾何は,ユークリッドの原論において平らな空間の幾何がまとめられてから約二千年間の時を越えて1800年代にやっと提唱された.約二千年の間発見されなかった画期的な空間概念をぜひ楽しんでいただきたい.

予備知識としては高校数学程度が仮定されているが,章や節によっては予備知識をさほど気にせず読むことができるだろう.例えば3,4,5章などは高校数学との関連性が薄い話題である.一方,大学学部レベルの数学やさらに先の話題もあるため,大学数学に馴染みの無い読者は込み入った話には深入りせずお話として楽しむという読み方もあるかもしれない.

なお「線形代数学」や「ベクトル解析」について知っていると本書を読み進めるうえで役に立つ.これらについては数多くの書籍が出版されているので自分に合ったものを見つけると良い.

要約

第一章 はじめに

はじめの章は「曲がっていない空間」についての説明である.曲がっている空間を考察する前に,まず曲がっていない空間とは何かを振り返ろう.曲がっていない空間は,高校までの数学では平面図形や空間図形の単元で扱っているものであるが,ここではもう少し違った視点から説明している.例えば,曲がった空間と平らな空間の関係についてである.地球は丸いが,日常生活を送る上では地面は平らだと思って差し支えないので高校までの高校までの数学では普通平らな空間における図形を扱っている.このように,曲がった空間を調べる際には平らな空間で近似することが有効である.そのことからまず第一章では平らな空間の扱い方を説明している.3節は線形空間についての説明であるが,内容が少し抽象的かつこの本を読む上では特に後の支障はないので飛ばしてしまっても構わないように思う.詳しくは最後の節にて述べる.

第二章 近道

この章では曲がった空間における最短経路について考察している.平らな空間においては直線が最短経路だが,曲がった空間においてはそもそも直線という概念が存在しないため新たな概念が必要となる.曲がった空間における直線に対応する概念は「測地線」と呼ばれる.これは横にぶれない線のことである.最短経路は自然と測地線になるが,測地線だからといって最短経路とは限らないところが面白いところである.実際,地球上で航空機を運航する際には大圏航路が最短線となっているが,大圏航路と逆方向に進みぐるっと地球を回るルートも測地線である.このルートは二点が互いに対蹠点の位置にない限り最短線とはならない.植物のつるの軌跡や登山のルートの例えも興味深い.

第三章 非ユークリッド幾何から様々な幾何へ

この章では,曲がった空間の典型例である球面や双曲平面を例にして,曲がった空間の扱い方や考え方について説明している.曲がった空間は,歴史的にはユークリッド幾何の5つの公理のうちユークリッド第一公理から第四公理は満たすが,第五公理が成立しない世界を考えることで考察されてきた.すなわち,第五公理が成立する空間が平らな空間で,成立しない空間が曲がった空間ということである.そして,そのように考察できる空間が球面や双曲平面である(球面については第五公理以外も少し修正しておく必要がある).なお現代数学ではユークリッドの公理にとらわれず,曲がった空間をリーマン多様体という概念を用いてより自由に表現することができる.この章では球面や双曲平面から自然にリーマン多様体への導入を図っている.

リーマン多様体は,物理学においてアインシュタインの一般相対性理論へ応用されたことで有名である.その話題に関連して,3–5節ではまず特殊相対性理論の舞台であるミンコフスキー空間について触れている.

第四・五章 曲面の位相

これらの章では,位相(トポロジー)について曲面を例にして説明している.この章では計算をあまり行わないので計算が苦手な方も気楽に楽しく読めるのではないだろうか.位相幾何学は図形をぐにゃぐにゃ変形させて考える幾何学の分野である.長さや面積など細かいことは気にしない.大まかな繋がり方だけを考えるのである.図形たちには長さや面積という情報を捨ててしまっても残る性質がある.それが位相の考え方である.位相についてあまり触れたことのない方には,この考え方はとても新鮮なものに映ると思う.またリーマン多様体においては,位相でまず空間の繋がり方を指定してから,そこに長さの情報を付加することで,曲がった空間を表現している.その意味で,位相は曲がった空間を理解する上で重要である.

第六・七・八章 曲がった空間を考える

これらの章では,いよいよ曲率をもった空間について扱う.まずは古くから研究されている,3次元空間の中の曲面について解説がある.六章と七章では曲面に定まる二種類の主要な曲率である,ガウス曲率と平均曲率の意味について知ることができる.また本章では「ガウスの驚愕の定理」や「ガウス写像」といった定理や概念の概要が説明されている.

第九・十・十一章 ガウス-ボンネの定理

ガウス-ボンネの定理は曲面論における最も重要な定理の一つである.この定理は微分幾何的な量である曲率の積分と,位相幾何的な量であるオイラー数をつなぐ点から意義深いものとなっている.また,曲面の内在的な量,外来的な量の話も重要である.これは,曲面の中に住んでいる人にとって,曲面の外を考えなくても面が曲がっていることが分かってしまうという話題である.これはガウスの驚愕定理に由来し,リーマン多様体という概念の誕生に繋がっていく.

第十二章 石鹸膜とシャボン玉

この章では,石鹸膜とシャボン玉について曲面の観点から説明している.石鹸膜については,シャボン玉を作るときに使用するような枠に張った膜を想像するとよい.石鹸膜やシャボン玉の形には平均曲率と呼ばれる曲率が深く関連している.石鹸膜とシャボン玉はどちらも平均曲率が一定になっており,特に石鹸膜は平均曲率が0となっている.平均曲率が0の曲面は極小曲面と呼ばれ,曲面の面積の極小値を与えている.

二章の近道の話は長さの最小や極小について考えていたが,この章で出される話題は面積が最小となるような形に関するものである.その意味で,この章の話は二章の話の次元をひとつ上げたものになっている.また,極小曲面は正則関数という性質の良い複素関数を用いて表すことができることについても説明している.

この章では,多くの綺麗な図とともに極小曲面の概要について知ることができる.ほぼ計算が出てこない章なのでお話としても読めると思う.

第十三・十四章 行列の作る曲がった空間

これらの章では,最終章のポアンカレ予想の説明へ向けて3次元の曲がった空間について説明している.ポアンカレ予想は3次元空間に関する問題であるから,その準備となっている.3次元の曲がった空間には行列を使って表すことができるものがあり,そのような空間について学べる.

第十五章 ポアンカレ予想

この章では,世紀の難問「ポアンカレ予想」について説明している.この問題が1904年に提唱されてから2006年に解決されるまでに百年以上の時を要していることからも,いかに難しかったかがうかがえる.この予想はロシアの数学者ペレルマンが解決したが,その手法があまりにも独創的だったため,ペレルマンがいなければさらにかなりの年月にかけて未解決となったことだろう.その手法がなぜ凄いのかについて少し触れておく.ポアンカレ予想はトポロジーの分野の問題,すなわち空間の大まかな繋がり方に関する問題である.その主張には曲率や長さなどの概念は現れない.しかし,ペレルマンはあえて空間に曲率を考え,曲率を用いてうまく空間を変形することでポアンカレ予想を解いたのである.

線形代数学について

本書は,幾何学に関する内容であるが線形代数の内容についてもある程度のページを割いて説明している.一章の1–3節は線形空間についての説明であり,これは理系学部の1年生が例年かなり苦戦する内容である.これについては本書を読み進めるうえでそこまで重要ではないので,第一章でここまで抽象度を上げる必要はなかったように評者は思った.

補足しておくと,線形空間というのは要は平らな空間である.定義に当てはまってさえいれば,2次元,3次元に限らずもっと高次元の空間も線形空間と呼ぶ.さらにいえば無限次元でもよい.この次元の高さが,想像することを難しくしている.私が学部一年生に説明する際はまずは2次元や3次元で考えることでイメージしてみようとアドバイスしている.もう一つの難しさは,その定式化である.線形空間は公理を設定することで定義されるため,その定義の方法に馴染みのない読者はあまりピンと来ないかもしれない.公理による定式化は歴史的にはユークリッドの原論が始まりと思われるが,高校までの数学ではあまり触れられないためここで苦戦する学生が多いように思われる.現代数学においては公理による定式化が普通であるので,抽象的な数学を学ぶうえではこの考え方を身につけることは非常に重要である.

謝辞

本書評の執筆に際して,数川大輔氏より有益なコメントをいただきました.大変感謝いたします.

出版元公式ウェブサイト

講談社

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000226672

評者情報

中島 啓貴(なかじま ひろき)

現在,東北大学IEHE学習支援センター助教.専門は測度距離空間の幾何学.主な論文には,独自の観点から等周不等式の極限操作にアプローチしたIsoperimetric inequality on a metric measure space and Lipschitz order with an additive errorなどがある.

researchmap:https://researchmap.jp/hiroki_nakajima_math

HP:https://hiroki-nakajima.github.io/