Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

2022年1月24日

James D. Watsonほか,『ワトソン遺伝子の分子生物学 第7版』

中村桂子(監訳),東京電機大学出版局,2017年

評者:吉田 裕介

Tokyo Academic Review of Books, vol.39 (2022); https://doi.org/10.52509/tarb0039

イントロダクション

今回書評を書かせていただく書籍は、DNAの2重らせんを発見したことでノーベル生理学・医学賞を受賞したジェームズ・D・ワトソンが中心となって書かれたものである。DNAの2重らせんの発見は、生物が子孫へと性質を引き継ぐために必要な因子(遺伝子)の正体がDNAであることを証明する最後の1ピースであり、のちの分子生物学の方向性を決定づけたものであった。本書『遺伝子の分子生物学』は、この研究の当事者の視点から、2重らせんの発見に至る過程とその後の分子生物学の発展について詳細に解説したものとなっている。

分子生物学とはそもそもどのような学問かというと、生命現象を分子のレベル、特に核酸やタンパク質といった巨大分子の振る舞いから解き明かす学問である。この分野が確立したことは生物学のありかたを一変させるほどのものであり、その意義は計り知れないのだが、理解の助けとしてまず生物学の多様性と歴史に触れておきたい。

記録に残っている中での合理的思考に基づいた生物学の起こりは、紀元前の古代ギリシャにおいてだったとされる。これに関わる特に有名な人物はアリストテレスであり、彼は約500種もの動物を明確に区別した。さらにはそれらの差異だけでなく共通項も詳細に考察し、先進的な分類方法を確立していた。例えば、当時イルカは海の動物ということで魚と同じ枠組みに入れられていたが、魚と違って温血であること、肺を持ち呼吸をすること、そして胎生であることから陸上の動物の一種に分類した。このような生物の詳細な分類はすなわち「博物学」の起こりであった。

中世においては合理的思考に基づく多くの学問の進歩は停滞することになった。当然生物学も停滞を余儀なくされる。いわゆる暗黒時代と呼ばれる時代である。近代科学が成立してくるのは長い時を経た17世紀付近であるが、生物学もこのころ同時に蘇り、現代生物学に続く多様な生物学の分野が誕生することになる。一つは生物を解剖して得られた知見をもとにした「生理学」である。これは体を構成する様々な器官がどのような役割を持ち、機能することで生命活動を維持しているかを解き明かす学問である。もう一つは生体内における化学反応を解明する「生化学」である。これらはそれまで信じられてきた、生命は神秘的であり無機物を司る法則とはまったくことなる法則から成り立っているという考え方、すなわち生気論から、生命は複雑であるが無機物が従う法則(例えば物理学や化学)に従う精巧な機械であるという考え、すなわち機械論の萌芽へとつながった。

またその後、レーウェンフックにより高性能な顕微鏡が発明されたことにより肉眼では見ることのできない微生物が発見されたことで「微生物学」が生まれ、更にはフックにより生物の最小単位である細胞が発見されることになる。この発見が19世紀に「細胞学」を生み出し、そして動物のような多細胞生物が一つの細胞(卵)からどのように体を形成するかを解明する学問「発生学」の誕生につながった。

古代においてアリストテレスから始まった「博物学」も18世紀にリンネの手によって大きな飛躍を迎える。リンネは、類似した生物の種を【属】というカテゴリにまとめ、さらに類似した属を【目】に、類似した目は【綱】に...という形で広いグループから狭いグループへと分けていくといった、生物種を階層によって分類する体系を確立した(「分類学」)。これを木の枝のように並べて記述すると、あたかも隣接する種が共通する祖先をもち、徐々に階層を深くしてきたかのような図表が得られる。これは系統樹と呼ばれまさに生物種の進化の考えにつながるものであった。そして19世紀にチャールズ・ダーウィンが自然選択という考えにより進化の仕組みを説明することに成功し、生物が共通の祖先から派生してきた可能性を示唆した。自然選択説というのは、同じ種のグループである生物も個体によって差があり、その個体差が子孫へと受け継がれる(遺伝する)とすれば、生存と繁殖においてより有利な個体差が集団を占めるようになるという説である。

ただしこの説にはまだ疑問の余地があった。祖先から子孫へと形質を受け継ぐというのは経験的には正しいように思えるが、その際に伝わるなにかしらの因子については見当すらついていなかった。またそのような因子があったとしても、両親の性質が異なる場合、子供のもつ性質は黒い絵の具に白い絵の具を混ぜて中間の灰色になってしまうようにどんどん薄まっていき集団内に残らないのではないかという疑問もあった。この疑問への最初の解答はメンデルのエンドウの研究によって示された。メンデルはエンドウの親株から娘株へと花の色、丈の長さ、さやの形状などがどのように受け継がれるか統計をとりそれらのパターンを明らかにした。そしてその統計的なパターンが成立するには、「子へ伝わる因子を両親はそれぞれ2つペアで持っており、生殖時に親はその因子の片割れをそれぞれ子に受け継ぐ」と考えることが最も合理的であり、このことから子へと伝わる因子、すなわち遺伝子の存在に確証がもたれるようになった。なおこの2つのペアは染色体と呼ばれる。

遺伝子が存在するということは明らかとなったが、その実態については論争が巻き起こった。遺伝子の正体についてのもっとも有力な説は、当時、体内でのあらゆる化学反応に関わっているとされたタンパク質であった。一方で、遺伝のメカニズムに深くかかわると思われていたウィルスの成分や染色体から、タンパク質のほかにリン酸を含む核酸と呼ばれる物質が認められたことで、核酸も遺伝子本体の候補として挙がることとなった(染色体は主にタンパク質と核酸で構成される)。そして、タンパク質のみに含まれる硫黄原子と核酸のみに含まれるリン原子を、それぞれ同位体と呼ばれる化学的な性質は同じだが互いに区別できる原子に置き換えた巧妙な実験により、遺伝子の正体は核酸であると結論付けられた。

最後に残った謎は、核酸が遺伝子として娘細胞へと情報を受け渡すシステムであった。遺伝子として利用される核酸は、DNA(デオキシリボ核酸)と呼ばれるリン酸基が結合したある種の糖から構成される鎖であることが分かった。そこでDNAの構造を明らかにしようという動きが起こり、1953年にワトソンとクリックがDNAがらせん状に2本組み合わさっている2重らせんモデルを提唱した。このモデルはそれまでに発表されていたあらゆる証拠を説明できるものであり、さらには遺伝のメカニズムも合理的に説明できるものであった。2本に組み合わさるらせん状のDNAは互いに相補的な配列となる鎖となっており、1本ずつに分かれてもその1本の情報を使って元の2本鎖をつくることができる。このようにして複製を作り上げて子孫(娘細胞)へ継承することが遺伝の基本メカニズムである。

こうしてDNAが遺伝の主役であり、タンパク質が生体内化学反応の中心であることが明らかとなったことで、これら生体内巨大分子の役割や関わりについて扱う「分子生物学」の分野が花開くことになった。中でも重要なのはDNAとタンパク質との関係が明らかになったことである。簡単に言ってしまえばDNAはタンパク質の設計図であり、あるDNAからその配列に対応したタンパク質が作られることになる。そしてそのタンパク質は対応した化学反応を制御する働きと、生物の体自身を構成する働きをもつ。つまり生体内の化学反応や体の構成はDNAの配列により決まっているということであり、生物にまつわる現象の多くがDNAの配列に還元できることを示唆している。そのため生物学のあらゆる分野に分子生物学の知見を適応でき、例えば「生理学」「生化学」「細胞学」ではDNAおよびタンパク質の働きから現象を説明できるようになり、「分類学」では外見や性質による分類でなくDNA配列による進化の時系列も含めた分類が可能となった。すなわち分子生物学はすべての生物学分野の根本原理をつかさどっており、どの分野に携わることになろうとも分子生物学の知識は今や必須となっているのである。

以上が分子生物学が誕生した流れであるが、生物学全体におけるこの学問の重要性を理解していただけたなら幸いである。この分子生物学の基礎知識を網羅しているのが本書『遺伝子の分子生物学』である。生物学に関わろうとするならばぜひ手元に置いておくことを勧めたい。

要約

本書は5部、22章から構成されている。

第1部 歴史

 最初の部では、遺伝子、染色体、DNA、タンパク質の関係が明らかになる過程について解説している。ここで登場する、分子生物学において最も重要な概念がセントラルドグマであり、セントラルドグマとは染色体上の遺伝子からタンパク質が合成される一連の流れを示した概念である。簡単に説明すると、染色体を構成するDNAはmRNA(メッセンジャーリボ核酸)と呼ばれる特定遺伝子を含む自身のコピーを細胞内に作り出し、このm RNAを元にして含まれる遺伝子に対応するタンパク質が合成される、という流れになっている。最終的に作り出されるタンパク質は筋肉といった生物の体を構成するだけに止まらず、酵素として生体内の化学反応を制御しているので、セントラルドグマはDNAから生命現象が成り立っていることを示す重要な概念である。

第2部 巨大分子の構造と研究

 第2部では、主に前述したセントラルドグマに関係する分子であるDNA・RNA・タンパク質の構造と物性について解説している。またこれらの分子の解析方法・研究技術について最後にまとめて解説されており、分子生物学の研究を行ううえで必須な技術が網羅されているため大変有用である。

第3部 ゲノムの維持

 第3部では、生物種をその生物種たらしめる一連の遺伝子群、すなわちゲノムがどのように次世代へと受け継がれるかについて解説する。ゲノムは次世代へと受け継がれる際にその機能を損なわないよう維持されなければいかない一方で、生物の多様性と進化の原動力となる部分的な変化を必要とする。これらを両立する仕組みについて知るのがこの部の大きな目的である。

第4部 ゲノムの発現

 第4部では、セントラルドグマの一連の流れの中で、いかにしてDNAの塩基配列がタンパク質のアミノ酸配列に変換されるかを解説する。DNAは4種類の塩基しか持たないが、タンパク質を構成するアミノ酸は20種類にも及ぶ。一見すると20種類のアミノ酸に対して対応するDNAの塩基が足りず、DNAからタンパク質に変換するための情報が足りないように思えるがどう解決しているのだろうか?このことはこの部における大きなトピックスである。

第5部 調節

 第5部では、適切なタイミングで適切な量だけ遺伝子からタンパク質が作られる仕組みについて解説される。セントラルドグマの中でDNAからmRNAがコピーされることを転写と呼ぶが、転写は常に一定の頻度で同じ量だけ行われているわけではない。例えば食物を摂取した直後はその分解や取り込んだ栄養素の利用に関わるタンパク質を多く生み出すように転写が調節されることになる。この調節がいかにして行われているかがこの部のトピックスである。

(第6部 付録)

 最後に付録として分子生物学の研究を行ううえで知っておきたい事項が記されている。特に紙面の多くを占めているのが、研究で使われる生物についてである。分子生物学では研究対象に応じて様々な生物種を用いるが、中でも生命現象の解明にあたり頻繁に使用されてきた生物種がいる。例えば単細胞真核生物である出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)はパンの発酵に使われることでよく知られている生物であるが、真核生物がもつ主要な特徴を揃えているうえに多くの実験上の利点があるため真核細胞の実験モデルとしてよく使用される。こうした生物種がどのように分子生物学研究の中で役に立ってきたか、またこれから研究を行ううえでどのような用途で使用できるかといった問いに答えてくれるため、付録であるが重要な項目である。

文献案内

イントロダクションで軽く触れた生物史については、アイザック・アシモフ著『生物学の歴史』から多くを参考としている。アシモフはSF作家として現代でもよく知られており、特に彼のアイデアの一つであるロボット工学三原則(ロボットは人間に危害を加えてはならない。ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ロボットは、先の2つに反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない)は、現在のSFにも色濃く影響を残しているものでありご存知の方も多いのではないだろうか。彼は科学解説者としても有名で、『生物学の歴史』の他にも『アイザック・アシモフの科学と発見の年表』『化学の歴史』といった科学史を俯瞰する内容の書籍を多数執筆している。アシモフの『生物学の歴史』は生物学史の概観を手早く捉えるにはとても良い文献であるが、時代背景を含めより詳細に知りたい場合には、中村禎里著『生物学の歴史』も勧める。

『ワトソン 遺伝子の分子生物学』は分子生物学の解説に特化しているため、セントラルドグマにおけるタンパク質より下流の反応、すなわちタンパク質が相互作用する低分子化合物について扱う、いわゆる生化学の知見は少ない。そのため生化学および生化学と分子生物学との関わりを学びたい場合には『ヴォート生化学』を勧める。『ヴォート生化学』では、糖やアミノ酸といった化合物の生体内での反応だけでなく、それらがどのような遺伝子・タンパク質と関わり調節されるのかという分子生物学の視座を含んだ生化学を学ぶことができる。またこれらの知識からは当然、分子生物学を用いて人為的に生体内の化学反応を制御するという応用が考えられるが、このことを扱っているのが発酵学、醸造学という分野である。発酵学、醸造学というと酒や味噌など発酵食品を扱う学問のように思えるが、発酵というのは微生物の代謝を利用した化合物変換だと解釈でき、転じて化合物変換などに利用するための微生物代謝を扱う学問と捉えることができる。この分野の理解に役に立つ書籍の一つとして『遺伝子から見た応用微生物学』を名前だけではあるが紹介しておく。

参考文献

  • Isaac Asimov(2014).『生物学の歴史』(太田次郎訳).講談社学術文庫.
  • 中村禎里(2013).『生物学の歴史』.ちくま文芸文庫.
  • James D. Watson・他 (2017). 『ワトソン 遺伝子の分子生物学 第7版』(中村桂子・他訳). 東京電機大学出版局.
  • Donald Voet, Judith G. Voet(1992).『ヴォート生化学(上)(下)』(田宮信雄・他訳).東京化学同人.
  • 熊谷英彦・他(2008).『遺伝子から見た応用微生物学』.朝倉書店.

出版元公式ウェブサイト

東京電機大学出版局

https://www.tdupress.jp/book/b350337.html

評者情報

吉田 裕介(よしだ ゆうすけ)

2019年に京都大学農学研究科にて農学博士を取得。現在、大阪大学核物理研究センター特任助教。JST受託事業であるジュニアドクター育成塾に携わり、大阪大学主催で小中学生を対象とした研究支援プログラム「めばえ適塾」を運営している。現在進めている研究テーマは、天蚕(ヤママユ)の生育過程における放射性物質動態。主な研究論文は、Pantothenate auxotrophy of Methylobacterium spp. isolated from living plants. Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry. 2019;83:569–577 (https://doi.org/10.1080/09168451.2018.1549935)。2019年BBB論文賞受賞。

めばえ適塾ウェブサイト:http://www.rcnp.osaka-u.ac.jp/~mebae/

researchmap:https://researchmap.jp/yoshida_yusuke