2022年2月10日
Kenneth J. Hsü, Challenger at Sea: A Ship That Revolutionized Earth Science
Princeton University Press, 1992年
邦訳:高柳洋吉 訳『地球科学に革命を起こした船—グローマー・チャレンジャー号』
東海大学出版会,1999年
評者:松井 浩紀
はじめに
地球科学の研究において大きな比重を占めるのが試料採取や現場観測である.岩石や鉱物,化石などの試料採取のため,火山活動や地震活動,海洋循環などの現場観測のため,地球上のあらゆる場所が研究対象となる.山に分け入るのはもちろん,絶海の孤島や南極大陸にも足を運ぶ.貴重な試料や観測データの積み重ねが地球科学の理論を実証し,さらに新たな理論の提唱を促す.
本書で登場するグローマー・チャレンジャー号は,1968年から1983年まで深海掘削計画(Deep Sea Drilling Project: DSDP)の主力船として活躍した.海底の堆積物や岩石を採取することで,地球科学にまさに革命を起こした掘削船である.著者・訳者ともに第一級の地球科学者であり,本書は分野を横断して「大きいことを考える」地球科学の醍醐味を余さず伝えている.
要約
第一部「革命前夜」
第一章は地球科学研究における大テーマである「モホ面」についてである.地球の内部構造は地震波(P波やS波)の研究によって推定されてきた.特に,地球表層の地殻とその下部のマントルの境界は,発見者の名前から「モホロヴィチッチ不連続面:モホ面」と呼ばれている.1957年のアメリカ,海底を掘削してモホ面に到達しようという途方もない「モホール計画」が持ち上がる.地殻を掘削してマントルの岩石を直接手にできれば,地球内部の理解が格段に進むためである.しかしマントル掘削には様々な技術的困難が伴い,1966年にモホール計画は頓挫してしまう.一方,同計画がもたらした技術革新が,本書の主役であるグローマー・チャレンジャー号の冒険につながるのである.
第二章は過去の気候変動についてである.地球の過去に氷河時代(氷期)が存在したことは,スイスの平原や牧草地で見つかる迷子石(付近の岩石とは全く性質の違う石)によって提唱されてきた.気候が寒冷化したときに,氷河によって岩石が運ばれ,迷子石として残されたという考えである.19世紀の地形学の研究から,こうした氷期は少なくとも4回繰り返され,氷期の中間には温暖な「間氷期」が存在することも明らかにされた.その後,1950年代に古生物学者のエミリアニは,プランクトン化石の酸素同位体比(※)を分析し,過去の水温変動を復元した.(※同位体とは,陽子数と電子数は同じだが中性子数が異なる原子を指す.酸素原子の同位体は16O, 17O, 18Oが存在し,通常18Oと16Oの比を酸素同位体比として用いる.海生生物の化石が記録する酸素同位体比は一般に周辺の海水温に依存する.)彼が分析したのは全長約7 mの海底堆積物であり,氷期間氷期の詳細な変動が初めて明らかになった.さらに彼は,もし長さ100 mの海底堆積物が手に入れば,より完全な氷期間氷期の変動が復元できると考えた.また海底堆積物の研究によって,地球科学全般(海洋底,水圏,大気圏など)に重要な情報をもたらすこともできる.モホール計画よりも実現可能性が高い彼の提案が支持され,その後DSDPが始動し,掘削船チャレンジャー号が進水する.
第三章はメキシコ湾からバミューダ海膨にかけて行われた1968年の第1次航海についてである.掘削用やぐらを備えたチャレンジャー号は,最長で90日は運航できる燃料や食料などを積んでいた.約50人の船員と掘削チームに加え,20人程度の技術者と研究者が乗船した.掘削は24時間体制で行われるため,乗組員の多くは12時間交代で働く.主席研究者の1人は物理学者・地質学者のユーイングであった.航海に先立ち,彼は海洋の地震探査装置を使って,メキシコ湾の海底下に岩塩ドーム(※)のような構造を発見していた.(※海水などの蒸発によってできる岩塩層が上部の堆積層中に上昇したもの.岩塩ドームの頂上は石膏などの岩石で覆われている.)第1次航海において,ユーイングらはドーム状構造の頂上を掘削し,結晶質の石膏を発見した.そして海底下に岩塩層が存在することを初めて実証した.もう1つの成果は,海底下の音響反射面(硬い地層の上面)の正体を明らかにしたことである.バミューダ海膨の掘削で得られた試料から,非常に硬い地層が始新世(約5600〜3400万年前)の放散虫チャート(珪質の動物プランクトンである放散虫の化石からなる堆積岩)であることを発見した.
第四章は大陸移動説の実証についてである.気象学者ヴェーゲナ―の大陸移動説は,動植物の化石や氷河堆積物の分布に基づいていた.しかし,大陸が移動する原動力について十分な説明はできていなかった.1930~40年代,地球内部のマントルの対流がその原動力として示唆される.その後,海洋底の地殻熱流量の測定によりマントル対流は立証され,また海底地形の調査から大西洋中央海嶺(深海平原から数千メートル隆起した地形)の存在が明らかになった.こうした事実を基に地質学者のヘスは,平坦な頂上を持つ海山であるギヨーの形成過程(※)を説明し,「海洋底拡大説」を主張した.(※マントル対流の上昇してくる場が中央海嶺であり,そこで形成された火山島の頂上がやがて波で削られる.火山島はその後,中央海嶺から遠ざかるマントル対流によって運ばれ,対流が下降すると沈降してギヨーとなる.)一方,地球の磁場に関する研究が進展し,過去に何度も磁極が逆転していたことが明らかになった(正磁極である現在は方位磁針のN極が北を指すが,逆磁極では南を指す).放射性同位体の壊変に基づく陸上の岩石の年代決定から,過去約400万年間の地磁気極性反転が確立された.さらに海底の磁気異常の測定により,強く磁化した部分と弱く磁化した部分が帯状に分布する「地磁気の縞模様」が観測された.過去約400万年間の地磁気極性反転と縞模様の分布がよく一致した(正磁極と逆磁極が磁化の強弱に対応した)ことで,1960年代に海洋底拡大説および大陸移動説は実証された.しかし,全ての懐疑論者を納得させるには,より確実な証拠が必要であった.海洋底の年代を決定するために,チャレンジャー号の大西洋掘削が始まる.
第二部「決定的進展」
第五章は海洋底の年代を決定した1968年の第3次航海についてである.中国生まれの著者は,中国において科学革命が起こらなかったのは,儒教や表意文字が原因ではなかったかと考える.事実著者は第3次航海に乗船するまで,海洋底拡大説に懐疑的だった.同航海は大西洋中央海嶺を横断し,海洋底拡大説を検証するために実施された(中央海嶺から遠ざかるほど,海洋底の年代すなわち堆積物最下部の年代が古くなると予測される).最初の掘削地点で,古生物学者の斉藤常正とパーシバルは堆積物最下部の年代が約3800万年前であることを報告する.この年代は,海洋底拡大説で予測された値と全く一致していた.残り全ての掘削地点でも,予測された通りの年代が報告され,ついに海洋底拡大説が裏付けられた.著者も自らの誤りを認め,海洋底拡大説の正しさを確信する.
第六章は一転して,陸上地質の問題についてである.第3次航海の最中,著者はスイス・アルプスに産出するチャートや石灰岩などの堆積岩と斑れい岩(マグネシウムと鉄を多く含む火成岩)について思いを巡らす.アルプスの堆積岩と火成岩は,テチス海(ユーラシアとアフリカの間にかつて存在した海であり,地中海はその名残)の堆積物と海洋地殻であると考えられているが,海洋底拡大説の枠組みでどう説明されるのか? 地中海を掘削すれば,その答えを探ることができる.その後1970年,著者が中心となった第13次航海が実現する.最初の掘削地点は北大西洋・リスボンの西方で,アルプスで産出するような堆積岩と斑れい岩が回収された.すなわち,かつての大西洋とテチス海は一続きの海洋だったのである.
第七章は引き続き第13次航海の成果についてである.海洋底拡大説を前提として,1960年代にプレートテクトニクス説が提唱された.アセノスフェア(上部マントルの柔らかい層)を覆うリソスフェア(地殻と上部マントルの固い層)が多数のブロック(プレート)に分かれていて,プレートは互いに接近するか,離れ合うか,すれ違うかしているという考えである.第13次航海では,アフリカ・プレートの若い堆積物がヨーロッパ・プレートの古い岩石の下に押し込まれているという予測を実証するため,東地中海で掘削を行った.第四紀(過去約258万年間)の堆積物の下位に白亜紀(約1億4300万年前〜6600万年前)の岩石,さらに下位に鮮新世(約533〜258万年前)の堆積物が発見された.ヨーロッパ・プレートの白亜紀の岩石の下に,アフリカ・プレートの鮮新世の堆積物が発見されたことで,プレートテクトニクス説が実証された.
第八章はメランジ(様々な種類の岩石が複雑に混じり合った地質体)についてである.地質学の基本法則には地層累重の法則(一連の地層において上位の地層は下位の地層よりも新しい),地層の側方連続性の法則,地層同定の法則(それぞれの地層に含まれる化石によって上下の地層を区別でき,離れた地域でも地層を対比できる)などが存在する.しかし,著者が研究した北米のフランシスカン層群では地層の側方連続性はほぼ成り立たず,化石もめったに産出しなかった.従来の法則が適用できない地層に対して,著者はメランジという概念を提唱した.メランジが海洋プレートの沈み込みによって形成された構造的な変形岩類ならば,掘削によってその証拠を探ることができる.1971年の第18次航海においてワシントン州西方の太平洋岸やアラスカ海溝で掘削が行われ,実際に変形した堆積物が発見された.またしてもプレートテクトニクス説が確かめられたのである.
第九章は縁海(大陸の外縁にあって,島や半島で不完全に区画された海洋の一部分.例えば日本海やオホーツク海など.)についてである.プレートテクトニクス説が実証されるにつれて,縁海の起源についても議論が進んだ.プレートの沈み込みに伴い島弧(海溝の陸側に存在する弧状の島列)の背後で海洋底拡大が進行し,その結果形成された海盆(海底の凹地)が縁海であるという仮説である.海盆を掘削すれば海洋地殻が見つかるはずであり,地殻の年代を決定すれば海盆の形成史を明らかにすることができる.1969年の第6次航海と1973年の第31次航海においてフィリピン海域を掘削し,西フィリピン海盆で後期始新世の玄武岩が発見された.さらに,より東方のパレス・ベラ海盆やマリアナ海盆が,西フィリピン海盆よりも後に形成されたことが明らかになった.
第十章は太平洋のナウル海盆における1978年の第61次航海についてである.航海の目的は太平洋の古い海底を探すことであり,主席研究者の1人は地質学者のシュランガーであった.海底の地磁気の縞模様によれば,ジュラ紀(約2億100万年前〜1億4300万年前)の玄武岩が見つかるはずであった.しかし,どれだけ掘削を続けても岩石の年代は白亜紀のままであった.このように海底の年代が見かけ上若いことは,海洋地殻の形成後にプレート内火山活動が生じたことを示唆する.シュランガーは,プレート内火山活動の重なりを貫通して太平洋の古い海底に到達するため,1982年の第89次航海で再びナウル海盆を掘削した.またしても岩石の年代は白亜紀のままであった.しかしついに,1989年の第129次航海(チャレンジャー号ではなく,ジョイデス・レゾリューション号による掘削)でジュラ紀の海洋地殻が発見された.プレート内火山活動や海洋底拡大の理論が検証されたのである.
第十一章はホットスポット仮説(マントル深部に固定された熱源から上昇するプリュームによって火山活動が生じ,しだいにプレートが移動すると海山が線上に配列するという考え)についてである.天皇=ハワイ海山列を掘削してホットスポット仮説を検証するために,1977年に第55次航海が実施された.海山の掘削には技術的困難が伴い,掘削装備の不備も災いして,わずかな玄武岩試料しか得ることができなかった.それでも,ハワイから離れるほど海山の年代が古くなること,太平洋プレートが年間約8 cmの速度で移動していることが明らかにされ,ホットスポット仮説が実証された.
第十二章はトランスフォーム断層(海洋底拡大によって2枚のプレートがすれちがう境界)についてである.海洋底に存在する大規模な断層(断裂帯)について,ホットスポット仮説の提唱者でもあるウィルソンは,トランスフォーム断層の概念を考案した.太平洋や大西洋の断裂帯で生じる地震の観測によって,トランスフォーム断層の確かな証拠が得られた.さらに1972年の第22次航海では,インド洋のトランスフォーム断層と考えられた東経90度海嶺付近を掘削した(正確には東経90度海嶺はホットスポットによって形成された海山列).東経90度海嶺の掘削によって,最北端の火山が最も古いことが立証され,インドプレートの北方移動(インドが南極大陸から分離して北進を続けたこと)が確かめられた.
第三部「新領土の開発」
第十三章は南極圏での掘削についてである.エミリアニが求めた海底下100 mの堆積物は,チャレンジャー号の掘削にはあまりに軟らか過ぎた.その代わり,100 mより下位の固い堆積物を掘削することで,より古い時代の気候変動記録を入手することができた.1970年の第12次航海における北極圏付近の掘削によって,約250万年前の堆積物から漂流岩屑(氷山や海氷によって運搬された砂や礫)が発見された.少なくとも約250万年前には北半球に氷床が形成されていたのである.加えて,1972年の第28次航海や1973年の第29次航海において,南極圏での掘削が実現した.天候にも恵まれ,約2500万年前の堆積物から漂流岩屑が発見された.堆積物に含まれる有孔虫化石の酸素同位体比分析から,新生代(過去約6600万年間)の海洋表層水温や底層水温も復元された.新生代の初めは現在よりもはるかに温暖であり,南極大陸に氷は存在していなかったこと,その後約3400万年前に南極大陸に氷床が形成されたことが明らかにされた.
第十四章は白亜紀の黒色頁岩についてである.約1億4000万年前の白亜紀にアフリカは南アメリカから分離し,南大西洋が生れた.大西洋が狭い海湾だったときに海水が蒸発すれば岩塩が作られるはずであり,実際に南アメリカ海岸の掘削によって岩塩堆積物が発見されていた.1974年の第40次航海はアフリカの海岸で岩塩堆積物の掘削を目指したが,白亜紀の黒色頁岩(黒色泥灰岩)を掘り抜くことができなかった.黒色の堆積物は地中海では腐泥(サプロペル)として知られ,有機物が保存されている.その原因として底層流の停滞や高い生物生産による海底の酸素不足が考えられている.大西洋においても,白亜紀には底層水が無酸素に近い状態になったのである.
第十五章は過去の地中海についてである.地震探査によって地中海の海底下数百メートルに固い地層が発見されていた.浅い深度になぜ固い地層が存在するのか,1970年の第13次航海で掘削調査が行われた.共同主席研究員である著者は固い地層が硬石膏(蒸発した海水から沈殿した鉱物)やストロマトライト(浅い水中で藻類が形成する層状の堆積構造)からなることを発見した.かつて地中海は沙漠だった―約600万年前に生じた地中海塩分危機―という仮説は,その後1975年の第42A次航海で実証された.
第十六章は過去の黒海についてである.現在の黒海は海峡を通じて地中海とつながっている.地中海水と黒海の汽水(海水と淡水が混合した状態の水塊)が混合してできる水は重く,黒海の底はよどんで無酸素になっている.かつての環境を探るため,1975年の第42B次航海で掘削が行われた.堆積物中の植物化石から,少なくとも三大氷期が認められ,黒海周辺の植生がステップ(温帯~亜寒帯の乾燥気候下に発達する草原)と森林を繰返していたことが判明した.最近70万年間に陸源の泥が堆積した一方,それ以前は菱鉄鉱などの化学的な沈殿物が堆積していた.現在の黒海にはドナウ川から砕屑物が供給されているが,かつてドナウ川の流路は異なっていたのである.さらに下位の地層にはストロマトライトや浅海性の珪藻化石が発見され,黒海がかつて乾燥化した証拠も認められた.
第四部「仕上げながら新しい革命の種をまく」
第十七章は海洋地殻の掘削についてである.モホール計画こそ難しくても,海洋地殻をできる限り掘削することはできないか.陸上のオフィオライト(プレートの沈み込みに伴って陸側に乗り上げた海洋プレートの断片)の研究から推定された海洋地殻の層状構造を実証するため,複数回の掘削航海が実施された.失敗を繰り返しながらも,最終的に太平洋の海洋地殻(玄武岩基盤)を約1 km貫入することができた.モホ面(海底下約5 km)には及ばないものの,海洋地殻の層状構造を一部実証することに成功した.
第十八章は海洋縁辺域の掘削についてである.海洋縁辺域は,海洋リソスフェアの沈み込みが起こっている活動的な縁辺域と,それ以外の非活動的な縁辺域に区別される.1976年の第50次航海と1981年の第79次航海で非活動的な西アフリカ縁辺域を掘削し,三畳紀(約2億5200万年前〜2億100万年前)までさかのぼる地層の採取に成功した.採取した試料から,海洋底拡大の初期から現在にいたる大西洋の進化が明らかになった.一方活動的縁辺域については,複数の掘削航海の結果から,付加体ウェッジ(海洋底の堆積物がはぎとられて大陸側に付加された集合体)が認められる地域と,沈み込み削剥(大陸地殻の一部が折れて,海洋プレートとともに沈み込む現象)が生じている地域の2タイプが明らかになった.
第十九章は古海洋学についてである.化石によって堆積物の年代を決定する中で,上下の地層に年代差のあるハイエイタス(または不整合)が明らかになった.陸上侵食の影響を受けない深海底は,実際には底層流による侵食を受けていたのである.ハイエイタスはしばしば約3400万年前の始新世 / 漸新世境界に認められ,当時南極氷床が成長して南極底層水が形成されたと考えられている.また,一般に浅い海底には石灰質の軟泥が見られ,より深い海底には化石を含まない赤粘土が見られた.軟泥と赤粘土の境界となる炭酸塩補償深度(CCD)はプランクトンの豊富さと海水の腐食度(酸性度)を反映しており,海域によってCCDが異なること,さらに地質時代を通じてCCDが変動していたことも明らかになった.このような古海洋学の発達に,チャレンジャー号は大きな役割を果たしたのである.
第二十章は大量絶滅についてである.白亜紀にみられる恐竜の化石は,古第三紀(約6600〜2300万年前)には全く産出しなくなる.約6600万年前の白亜紀 / 古第三紀境界に恐竜が絶滅したとすれば,その原因は何であったのか.イタリアの地層の調査から,同境界においてプランクトンの化石群集も大きく変化した(大量絶滅した)ことが判明し,環境が激変した可能性が示されていた.1980年の第73次航海でチャレンジャー号は南大西洋の海底を掘削し,プランクトン化石の大量絶滅を認めた.そして古地磁気の研究から,イタリアと南大西洋の大量絶滅が同時に起きていたことが明らかになった.今日では隕石衝突が原因であると確かめられている同境界の環境変動の理解に貢献したのである.
エピローグではDSDPから国際深海掘削計画(Ocean Drilling Program: ODP)へ移行する過程を紹介している.チャレンジャー号は解体されたが,新たな掘削船ジョイデス・レゾリューション号にその役割は引き継がれた.DSDP当初よりも参加国が増加し,予算も増大する流れの中で,著者はODPが地球科学への貢献を続けるには,「大きいことを考える」研究者が重要だと指摘している.
コメント
地球表面の7割は海で占められていて,その海底を調査することは決して容易ではない.今日でも海底の地形に関して,火星の表面地形よりも分かっていないのが現状である.本書は1960年代に開始した深海掘削によって,海底の堆積物や岩石を直接入手することが可能となり,地球科学に革命がもたらされた歴史を克明に伝えている.中国生まれの地質学者である著者が「深海掘削計画についての私の履歴書」と記すように,本書はチャレンジャー号の科学的成果に留まらず,主席研究者としての興奮や苦悩,著者の友人でもある研究者の幸不幸,掘削船の運用面に対する問題提起なども含まれている(要約にはあえて含めていない).そのため,一般向けの書籍としては少し冗長に感じられる.しかし各章に科学的発見や成果にいたる研究史も記述されており,読者は本書を読むことで,革命前後の地球科学の概念に触れることができる(概念に親しむには地学事典などの参照が推奨される).海洋地質と陸上地質の両者を極めた著者の面目躍如たる文章は,かつて海の底であったスイス・アルプスを論じる第六章・第七章や,かつて干上がっていた地中海や黒海を論じる第十五章・第十六章などに散見する.また,第十章にみられる「単純な理論は優雅だが,地球史はある地域では驚くほど複雑である」という指摘は,地球科学研究の本質を捉えているように感じられる.
原書の出版から約30年が経過し,本書で取り上げられた広範なトピックについて,その後の科学的な進展は様々である.チャレンジャー号の掘削には軟らか過ぎた海底下100 mの堆積物(第十三章)は,技術革新によって今日の掘削船では欠損なく採取することができる.連続的な堆積物に基づいて,少なくとも過去約6600万年間の気候変動の詳細な記録が得られている[1].白亜紀 / 古第三紀境界の研究(第二十章)については,2016年の国際深海科学掘削計画(IODP)第364次航海で隕石の衝突クレーターを直接掘削することに成功した[2].クレーターの形成過程や大量絶滅後の生物回復について知見が得られている.一方,本書に度々登場するモホ面について,未だ到達することは叶っていない.日本の地球深部探査船「ちきゅう」を中心とする挑戦が今日まで継続されている.日本の貢献として,掘削試料を保管・管理および研究する高知コアセンター(高知大学と海洋研究開発機構の共同運営)も新設されている.さて,DSDPの始まりから50年以上の歴史を持つ深海掘削は,地球科学への大きな貢献を果たしてきた.2020年には今後の深海掘削について,2050年を見据えた科学的枠組みも公開された[3].著者がエピローグで指摘する「大きいことを考える」重要性はますます高まっている.
文献案内
同一著者の書籍として『地中海は沙漠だった』(邦訳:岡田博有,古今書院,2003年)が出版されている.チャレンジャー号第13次航海における研究成果の詳細に触れることができる.本書の主題である海洋地質学に関する専門書として,『The Sea Floor: An Introduction to Marine Geology』(E. Seibold & W. H. Berger, Fourth Edition, Springer, 2017年)があり,邦訳として『海洋地質学入門』(E. サイボルト・W. H. バーガー・新妻信明,シュプリンガー・フェアラーク東京,1986年)も出版されている.同じく専門書として,和書では『海洋底地球科学』(中西正男・沖野郷子,東京大学出版会,2016年)が挙げられ,探査技術や手法は『海洋底科学の基礎』(日本地質学会「海洋底科学の基礎」編集委員会(編),共立出版,2016年)にまとめられている.
また,恐竜絶滅の研究に関するノンフィクションとして『ダイナソーブルース』(尾上哲治,閑人堂,2020年)も興味深い.近年の地球科学研究のトピックとして『地磁気逆転と「チバニアン」』(菅沼悠介,講談社,2020年)や『チバニアン誕生』(岡田誠,ポプラ社,2021年)も一般向けの良書である.本書では取り扱われなかったより古い地球史については,『地球46億年気候大変動』(横山祐典,講談社,2018年)を薦める.
謝辞
東北大学の山下琢磨博士とTARB編集委員会には本書評を執筆する機会をいただいた. 国立極地研究所の石輪健樹博士と産業技術総合研究所の有元純博士には本書評の内容についてご確認いただいた.以上の方々に感謝申し上げる.
参考文献
- Westerhold, T. et al. An astronomically dated record of Earth’s climate and its predictability over the last 66 million years. Science 369, 1383–1387 (2020).
- Morgan, J. V. et al. The formation of peak rings in large impact craters. Science 354, 878–882 (2016).
- http://www.iodp.org/2050-science-framework
出版元公式ウェブサイト
プリンストン大学出版局
https://press.princeton.edu/books/hardcover/9780691637648/challenger-at-sea
東海大学出版会
出版社公式ウェブサイト上に該当ページなし
評者情報
松井 浩紀(まつい ひろき)
現在,秋田大学大学院国際資源学研究科助教.専門は微古生物学・古海洋学で,特に有孔虫化石を用いた後期新生代の古環境復元について研究している.これまで北大西洋,南太平洋,南極海などの研究航海に乗船している.趣味は読書と温泉巡り.
ウェブサイト:https://confidencein.blogspot.com
researchmap:https://researchmap.jp/hmatsui