Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

2022年4月24日

Olli Pyyhtinen, Simmel and ‘the Social’

Palgrave Macmillan, 2010年

評者:大窪 彬夫

Tokyo Academic Review of Books, vol.45 (2022); https://doi.org/10.52509/tarb0045

1. 概要と要約

本書は、タンペレ大学(フィンランド)社会科学部准教授、オッリ・ピューティネン(Olli Pyyhtinen)によるゲオルク・ジンメル(Georg Simmel, 1858-1918)の社会学及び哲学の研究書である。著者は1976年生まれで、2009年にトゥルク大学(フィンランド)で博士号(社会科学)を取得、2014年にタンペレ大学へ移った。本書の他、2016年にトーマス・ケンプル(Thomas Kemple)と共にThe Anthem Companion to Georg Simmel(Kemple & Pyyhtinen(eds.) 2016)を編集、ジンメル没後100年の2018年にThe Simmelian Legacy(Pyyhtinen 2018)を刊行するなど精力的な活動を行っている。

ジンメルは19世紀末から20世紀初頭に活躍したユダヤ系ドイツ人の哲学者、社会学者である。デュルケム、ウェーバーと並んで近代社会学の三大巨頭とされる人物である一方、ベルクソン、ディルタイと共に「生の哲学」の代表者としても知られている。

本書のタイトルSimmel and 'the Social'を日本語に訳すならば、おそらく『ジンメルと「社会」』あるいは『ジンメルと「社会的なもの」』となろう。本書評では後者の『ジンメルと「社会的なもの」』を採用したい。というのも、後述のように、このタイトルに含まれたthe socialという語を、著者は同じく「社会」と訳せるであろう「社会society」と明確に区別して使用しているためである。いずれの訳語を採るにせよ、本書の中心企図が、社会を社会たらしめるものという含意があるthe socialをジンメルに基づいて理解する点にあるのを見逃してはならない。同時に本書を読む者は、大前提として、「社会的なもの」が社会学にとって、古典的テーマであるだけでなく、現在においても盛んに論じられている核心的テーマである点を忘れてはならないだろう。

本書の構成をおおまかに確認しておこう。本書は八つの主要な章で構成されている。

まず、導入部である第一章では、本書の目的が、ジンメルの仕事を引き合いに出して、「社会的なものthe socialとは何か」という問題を再考する点にあると示される。著者は、ジンメルの「社会的なもの」という概念が、社会的行為者や社会的構造のような実質化された実体を拒否し、それらを動的関係とプロセスへと解消した点に画期性を見出す。そして、この地点から「社会的なもの」に基づく社会理論の再構築を目指すのである。その上で、ジンメルの「社会理論」の「プロセス主義」的な側面を説明すること、ジンメルの「社会理論」の「哲学的な背景」を明らかにすることという本書の二つのプログラムが提示される。

第二章では、「社会理論social theory」という概念が一般的に解明されると共に、社会的なものに関するジンメルの理論化の特徴及び重要な観点の輪郭が描かれる。本章では、社会学理論の三つのジャンル、すなわち「研究理論」「一般理論」「時代の診断」を区別し、「社会理論」を「社会の理論theory of society」と共に「一般理論」の下位ジャンルとして位置づける。この章では、「研究理論」が経験的資料に絡め取られているのに対し、「一般理論」は内部的には経験的証拠と結びついておらず、また直接的に依存しているわけでもないことが論じられる。むしろ、一般理論は構成の問題を、すなわち「社会的なものthe social」の理論と、「社会society」の理論を扱うのである。著者によれば、後者の「社会」は「国民国家」をモデルとし、社会をその中でその社会秩序が表現、維持、再現、強化、破壊される一種の「容器」として捉えるのに対して、前者の「社会的なもの」は領土的な国民国家の境界をも横断していく、動的な「相互作用」である。以上の整理に基づき、著者はジンメルの著作を「社会的なものの理論」にとっての重要な資料と捉え、これを社会的なものの本質、社会学の認識論的及び存在論的な前提、重要概念、研究対象の性質についての基礎的想定を研究するものと規定する。

第三章では、ジンメルのプロセス的思考の基本的な信念を、「関係論」「生の哲学」そして「生としての哲学」という三つに基礎づける。本章では、ジンメルのプロセス主義の哲学的基礎を探ることで、彼のプロセス重視の「社会的なもの」の概念が、彼の仕事のより広い文脈の中に位置づけられる。

第四章では、「社会的なもの」を「出来事event」と捉えるジンメルの見解が検討される。彼のこの見解は、社会形成が、その実体性と安定性においてではなく、プロセスの観点から理解されるべきものであることを示唆している。「社会的なもの」は、未完結で絶えず変化するプロセスである、動的な「相互作用」として理解されるのである。また、この章では、ジンメルの出来事には、「相互作用」と「生/形式の拮抗」という二つの主要な側面があると主張される。これらの側面に沿って、動的な社会的相互作用と静的な社会的形態との対立が独特な生命をなす「社会的なもの」の内的な拮抗性が明らかにされる。

第五章では、「関係」としての「社会的なもの」が、この関係の形式に関わる要素の「数」、すなわち「二人関係dyad」と「三人関係triad」という「二」と「三」に焦点を当てることで検討される。ジンメルにとって「社会的なもの」は、その最も単純な形では、「私」と「あなた」の二項間の相互作用であり、それは「共にあることbeing-with」として概念化される。それにもかかわらず二人関係には、「第三者」が常につきまとっている。この「第三者」は、二人関係に含まれたり排除されたりすると共に、超個人的な社会的全体の形成の契機となる。したがって、社会的関係の力学を完全に理解するためには、二人関係と三人関係の交錯を見なければならないと著者は主張する。「第三者」は、二人関係の無媒介的な関係を中断するだけでなく、それを全く新しい姿、すなわち社会的全体、個人から独立した超個人的な生を得る「我々」へと変容させる。

第六章では、前二章のように「社会的なもの」という概念を直接取り上げるのではなく、その重要な「内的外部性internal externality」である「物object」について論じている。この章では、物質性を「社会的なもの」の外部にある受動的な「外在性out-thereness」として認識するのではなく、ジンメルは、特に『貨幣の哲学』(Simmel 1900=1999)において、物が社会的関係と主体の経験の両方に絡み合う方法に注目し、「物質的混交material heterogeneity」を社会的なものの中心に据えることを提案している。人間は「自分達の内に」「自分達によって」「自分達の間に」いるだけでなく、自分の経験と存在そのものが物と決定的に結びついている。物は社会生活の不可欠な部分であり、つまり社会生活の「内的外部性」の一つである。我々の関係性や共在形式は、それらを媒介する物によって決定的な影響を受ける。本章では、橋、扉、貨幣といった具体的な物についてのジンメルの記述に基づき、この主張を裏づける。以上のような物に対するジンメルの理論的な関与は、プロセスと生成に、はかないものや瞬間的なものに明確なアクセントを置いている。しかしまた、著者によると、ジンメルの物の理論は、「社会的なもの」の「物化objectification」にも関与している。移り変わる社会的関係が永続的なものとして安定するのは、物の助けによるところが大きいからである。

第七章では、「社会的なもの」のもう一つの「内的外部性」である「個(人)」を取り上げる。二次文献においてジンメルの思想が論じられてきたのは、典型的には近代都市と成熟した貨幣経済の文脈であったが、本章では、ジンメルの個に対する概念に不可欠な存在論的・実存的問題を取り上げることで、これらの思想に別の光を当てている。生の哲学において、ジンメルは内在する差し迫った死によって形作られた生に基づいて個を理解する。個の交換不可能性が思考に与えられるのは、自分の有限性と反復不可能な生の場所からである。社会学的な概念とは異なり、ジンメルの生の哲学における個は、他者との相互作用によってではなく、自分の特異で有限な存在によって、また誰も自分の代わりに死ぬことができないという事実によって与えられる。著者は以上の生の哲学で示された個の概念が、社会的なものを理解するという社会学的な課題のためにも大きな意味を持っていると結論づける。個が社会的なものには還元されない代替不可能なものであることが、「社会的なもの」が成立する条件であるとジンメルは考えているからである。

締めくくりの章である第八章では、本書の要点を要約し、ジンメルの社会理論を、社会的なものに対する近年の批判的な対立や再評価との関連で位置づける。著者はブリュノ・ラトゥールの研究を例に挙げる。ラトゥールはジンメルと同様に、社会的なものを動的な「関係」の観点から再認識する代替的な社会理論を提唱しており、またジンメルのそれと興味深い親和性を持つ関係論的形而上学を保持しているからである。著者はジンメルとラトゥールとの比較を通じて、二人の思想家に共通するテーマや相違点を明らかにすると共に、ジンメルが現代の社会理論に対して今なお多大な貢献を果たしうる社会理論家であることを示すのである。

2. 評者によるコメント

本書は、ジンメル研究という観点から見るならば、著者が述べるように、「あまりに静的に捉えられた」ジンメル像、すなわちジンメルに対する一般的イメージである、非歴史的で抽象的な「形式社会学」の定礎者というジンメル像の解体を目指す。もっとも形式社会学者ジンメル像の解体という試みは、珍しいものではない。むしろこの解体の試み自体が1970年代以降本格化したジンメル「リバイバル」の中心課題であった。「リバイバル」では、静的な「形式社会学」に代わって、より動的な関係であり、また心的内容と社会形式とが絡み合う「相互作用論」が、ジンメルの社会学の基本モチーフとして探求された。本書も同様に、この「相互作用論」(本書はより一般的に「関係論」と呼んでいる)の読解を旨としている。著者によれば、この「プロセス」にして「関係」である「相互作用」こそが、「社会的変化」「社会的閉鎖」「社会的再生産」「社会構造」「社会システム」といった社会理論が扱う諸概念の核心にある「社会的なもの」なのである。

では、本書は「リバイバル」の延長戦にすぎないのか。もちろん、そうではない。本書が「リバイバル」と異なる点は、「相互作用論」を、社会学にとどまらない存在全般の考察へと高める点、すなわち「相互作用」の根底にある動的な「プロセス」を、ジンメルの「生の哲学」へと遡って考察する点にある。この「生」という観点から見た場合、ジンメルの「相互作用論」はベルクソンやハイデガー、ドゥルーズとガタリの仕事に、また諸現象を知覚する一般的な概念的フレームとして「生」を採用する新しい生気論vitalismの近傍に位置づけられる。そしてここに、流動性を増した現代社会に対して向き合ってきた生気論的な現代の社会理論、すなわち、モビリティー、フロー、ネットワークを現代社会の特徴と見なす今日の社会思想、社会理論に対するジンメルの理論の可能性を本書は見出すのである(本書ではその内「アクターネットワーク理論」で知られるラトゥールとの比較がなされている)。

しかしながら、評者の視点から、本書の問題点を二点指摘しておきたい。

第一点は、「出来事」ないしそれと密接にかかわる「歴史」にかんしてである。本書はジンメルの「出来事」について、ボードリヤールやフーコーが記述するような「稀な」出来事――必ずしも歴史的な大事件ではないが、歴史に断絶や不連続性をもたらす「革命的な出来事」――とは明確に区別されるべきと指摘する。著者によればジンメルの社会理論では、「出来事」は、日常の動的な相互関係の中にある「極小の出来事」、すなわち新しい関係の出現や、ある結びつきから別の結びつきへの移動、小さな断絶と連結、スリップと安定化、差異と反復を示すのであり、こうした極小の出来事の連続により社会構造は形成されるのである。たしかに「出来事」に対するこの規定は、ジンメルの社会理論については有効であるだろう。しかし、議論が存在全般を扱う生の哲学の次元へと移された本書では、ある時代の社会構造の形成に関わる「出来事」だけではなく、その時代の社会構造そのものを根本から変化させてしまうような「出来事」もまた、議論の射程に入れる必要がある。実のところ、ジンメルには、ミケランジェロ、レンブラント、ロダンといった精神史の一里塚をなす作家を扱う芸術史的記述のような記述が散見される。ジンメルはこれらの作家が、時代の内で密かに進行する精神の変化を、独特の新しい様式を用いて作品へと昇華した点を指摘している。こうした記述は、作家たちが歴史に断絶や不連続性をもたらす「革命的な出来事」を生じさせた点にジンメルが注目していたことを意味しないか。

第二点は、「相互作用」と「個」との関係にかんしてである。著者はジンメルにおける「個」に二つのタイプが存在する点を指摘する。一つは社会的関係の組み合わせから生じる「社会学的な個」であり、皮肉屋、鈍感な人、よそ者、流行に敏感な人、貧乏人、都会人、冒険家といったある時代ある場所での相互作用の結晶として現れる。もう一つは「生の哲学的な個」であり、これは代替不可能という仕方で示される我々自身の生の在り方である。著者はこの「生の哲学的な個」を、社会的関係には還元されない、関係の「内的外部性」と位置づける。なるほど、皮肉屋、鈍感な人、よそ者といったいわば類型的な個が、「生の哲学的な個」には回収されない性格を持つ点は首肯できる。しかし「生の哲学的な個」もまた、社会的関係を通じて諸内容を受け取り、自らを形成していく。この点は評者による指摘の第一点と重なるが、「生の哲学的な個」を最もよく表すミケランジェロ、レンブラント、ロダンといった歴史的個を考えてみるとよくわかる。彼らはある時代ある場所での相互作用の結晶である。すなわち、彼らはある時代や地域での社会的関係の中を生き、この社会的関係の中で様々な内容を受け取っている。そして、この内容により自らを形成し、しかも特定の時代や地域を越えるほどにその個性を発揮したのである。したがってここでは相互作用が、代替不可能な「生の哲学的な個」を生み出す基盤となっているのである。それゆえ、「生の哲学的な個」と「相互作用」との関係は、「内的外部性」と著者が規定する以上に、結びつく余地があるのではないか。

以上、評者は問題点を二点指摘したが、これら二点は、本書が社会学の内に限定されていた「相互作用論」を「生の哲学」へと接続したことにより初めて顕在化した問題なのであり、こうした問題をあぶり出したのもまた本書の意義と言うべきだろう。

3. 文献案内

ジンメルの相互作用論を理解する上では、菅野仁『ジンメル・つながりの哲学』(菅野 2003)が良い手引きとなるだろう。同書はジンメルの「相互作用論的社会観」について、読者になじみやすく平易な、しかし十分に特徴を捉えた説明を与えてくれる。ジンメルの哲学については、北川東子『ジンメル 生の形式』(北川 1997)が、晩年の『生の直観』(Simmel 1918=1977)に限定されない形で、ジンメルの哲学の全体像に見通しを示してくれる。また、『生の直観』を中心とした「生の哲学」については、ジャンケレヴィッチ「ゲオルク・ジンメル 生の哲学者」(Jankélévitch 1925=1996)が、同時代人による生概念への共感が伝わる好著である。上述のように、書評書は1970年代以降本格化したジンメル「リバイバル」と密接な関係にある。この「リバイバル」の概要として居安・副田・岩崎編『ゲオルク・ジンメルと社会学』に収められた廳茂「G・ジンメルと二〇世紀の社会学」(廳 2001)が網羅的である。また、同著者による『ジンメルにおける人間の科学』(廳 1995)は、今後のジンメル研究が押さえておかねばならない最低限の知識を与えてくれる。

参考文献

  • 廳茂, 1995,『ジンメルにおける人間の科学』木鐸社.
  • ———, 2001,「G・ジンメルと二〇世紀の社会学」, 居安正・副田義也・岩崎信彦編『ゲオルク・ジンメルと社会学』世界思想社, 2-46.
  • Jankélévitch, Vladimir, 1925, “Georg Simmel: philosophe de la vie,” Reveu de métaphysique et de morale, 32, 2, 213-257; 3, 373-386. (=1996, 合田正人訳「ゲオルク・ジンメル 生の哲学」,『最初と最後のページ』みすず書房, 363-434.)
  • 菅野仁, 2003,『ジンメル・つながりの哲学』(NHKブックス968)日本放送出版協会.
  • Kemple, Thomas & Olli Pyyhtinen(eds.), 2016, The Anthem Companion to Georg Simmel (Anthem Companions to Sociology Book 1), London and New York: Anthem Press.
  • 北川東子, 1997,『ジンメル 生の形式』(現代思想の冒険者たち 第1巻)講談社.
  • Pyyhtinen, Olli, 2018, The Simmelian Legacy (Traditions in Social Theory), London: Palgrave Macmillan.
  • Simmel, Georg, 1900, Philosophie des Geldes, Berlin: Duncker & Humblot.(=1999, 居安正訳『貨幣の哲学(新訳版)』白水社.)
  • ———, 1918, Lebensanschauung: Vier metaphysische Kapitel, Berlin: Duncker & Humblot.(=1977, 茅野良男訳『生の哲学』白水社.)

謝辞

本書評の執筆にあたり、峰尾公也氏から有益な助言を賜った。ここに感謝の気持ちを表したい。

出版元公式ウェブサイト

Palgrave Macmillan (https://www.palgrave.com/jp)

同社の方針により、書誌情報はSpringerLinkに掲載されている。 https://link.springer.com/book/10.1057/9780230289840

評者情報

大窪 彬夫(おおくぼ あきお)

現在、早稲田大学先端社会科学研究所招聘研究員。専門は社会学説史で、特にゲオルク・ジンメルの生の哲学及び歴史論。主な論文に「肖像画と社会学――ジンメルの抽象という方法をめぐって」(『社会学年誌』早稲田社会学会, 第53号, 2012年, 71‐85頁)、「後期ジンメルにおける『個』論の形成と『生の哲学』の完成」(『社会学年誌』早稲田社会学会, 第58号, 2017年, 59‐73頁)。