Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

2022年9月12日

宇野邦一 『土方巽 衰弱体の思想』

みすず書房, 2017年

評者:岡元 ひかる

Tokyo Academic Review of Books, vol.50 (2022); https://doi.org/10.52509/tarb0050

要約

戦後の日本で生まれ、今では世界各地の多様な表現に派生した「舞踏/BUTOH」の創始者である土方巽(1928-1986)が本書の中心人物である。舞踏家でありながら言葉の表現者としての顔も併せ持っていた土方の仕事は、インタビューや講演、さらに雑誌への寄稿にも及んでいたが、そこで紡がれる彼の言葉はどれも、他者による意味の理解や解釈をつねに拒むかのように極めて難解である。

本書の特徴は、二つの顔をもつ土方の特筆すべき功績が、言葉と踊りの二分法を超え出た実践にあることを言語化した点にある。それが具体的にいかなるものであるのか、つまり言葉と身体の狭間にかかわる土方の仕事について語ることは決して容易ではない。しかし著者の宇野邦一は、土方が生涯にわたって綴った文章と、彼と同時代の批評家たちの言説を広く参照するとともに、強力な哲学的知見に根差したボキャブラリーを駆使することでそれを実現している。

著者はフランスの演劇人アントナン・アルトーの研究者であり、フランス留学中には現代思想家ジル・ドゥルーズに師事した。80年代初期に帰国した彼は、それまでもアルトーに強い関心のあった土方本人と交流した人物としても知られている。そのため土方の功績を記述するにあたっては、アルトー、ドゥルーズとその協働者であるピエール=フェリックス・ガタリをはじめ、モーリス・メルロ=ポンティ、アンリ・ベルクソン、またバレエ論を展開した詩人ステファヌ・マラルメなど、フランスの思想家たちのアイディアが随所で引き合いに出される。土方の言葉を分析する研究は多くあるなかで、本書ではそれらを土方の舞踏ないし美学の暗喩として解釈するのではなく、新たな芸術の形とでもいうべき未踏の領域として、さまざまな角度から位置付けることが試みられる。

その作業の軸となっているのが、土方の主著『病める舞姫』の存在論である。土方の舞踏家としてのデビューは1959年であるというのが通説であり、それから60年代のうちは同時代の前衛アーティストたちと交流しながらハプニングの手法に影響を受けた作品を創作していた。70年代になると、土方は弟子の育成と振付に専念し始めると同時に、緻密な振付手法の開発に注力した。『病める舞姫』の執筆は、この70年代前半の活動に一区切りをつけた1976年以降に始められている。それは1977年から白水社の雑誌『新劇』に連載され、後にそれらが全14章から成る本として出版された。

本書は、いちおう2部構成という体裁をとっている。目次を見ると、本書の前半にあたる〈Ⅰやや哲学的な肖像〉と後半の〈Ⅱ土方巽の謎〉、そしてそれらと同じ大きさの文字で最後に〈付録〉の項目がある。さらに前半に5つ、後半に7つ、〈付録〉に4つの小見出しが設けられている。

しかし実際、本書の論はそのようなセクションに沿って展開しているとは言い難い。『病める舞姫』をめぐる著者の主張には一貫性があるが、その言語化の作業はまさに多方向的に行われ、ある話題がセクションを越えて何度も登場し、また同じセクションに異なる話題が混在している。全体に構成を与えておきながら、同時にその構成に囚われることを避けるかのような書きぶりは、土方の仕事に寄り添いつつそれを言語化しようとする、著者の姿勢を表すようでもある。

こうした特徴に留意しつつも、本稿ではあえて宇野による『病める舞姫』論の要点を取り出すことを試みたい。そうすることで、理路の整理から一定の距離をおいた本書の性格を捉え損なう可能性もある。しかし他方で、その性格が本書全体に難解で複雑な印象をもたらし、舞踏をめぐる開かれた議論にとっての壁となっているとも感じられる。この点への意識から、以下では評者の視点で本書の主張を要約した。その際、先述の見出しを〈〉内の太字で登場順に示し、本書から数節を引用する場合は、引用元の頁数を()内に記載する。


冒頭〈土方巽の生成〉では、反体制・反資本主義的な思想を示唆する、土方の61年の文章『刑務所へ』が紹介される。その荒々しく挑発的な言葉のなかに、安保闘争や学生運動が盛り上がりを見せていた当時の時代と同期する土方像が読み取られる。しかし土方は同時に、そうした性向に収まらないどころか、むしろ対照的な「脆さ」のようなものを追求した面があると言う。70年代以降、それまでと比べ遥かに緻密な動きの方法を模索し、集中的に身体と向き合い始めた土方の舞踏活動と、同時期の彼の文章から垣間見える繊細さや脆さへの関心が、完全一致はせずとも、つかず離れずの関係にあると著者は見ている。

〈いくつかの問い〉では、その繊細さ・脆さの性格が1972年に初演された『疱瘡譚』に登場する土方のソロダンスに関連づけられる。著者はその踊りを「身体全身を脱臼させ、あるいはいたるところに細かい関節を生み出し、滑らし、痙攣させ」(39頁)るものと描写するが、それは「肉体の出来事であると同時に、言語の出来事でもある」(40頁)と言う。

では土方が紡ぐ言葉は、いかなる意味でそのような「出来事」たりうるのか。〈舞踏の書、死者の書〉ではこの点が掘り下げられている。そもそも『病める舞姫』には幼少期の土方を思わせる「私」なる人物が登場するが、ここから本作品を土方の幼少期の回想録として捉えることに、本書は終始批判的である。というのも著者の考えによると『病める舞姫』には、ある個体としての確固たる輪郭を保持した存在が登場しないからである。いかなる存在も互いに「浸透しあい、交替しあう柔らかい残酷な世界」(47頁)が拡がるがゆえに、読者が何らかの意味やイメージを捉えるための座標軸がない。この意味で『病める舞姫』は、何も固定されない流動性が展開される「出来事」として位置付けられている。

次の〈土方巽とアルトーはどこで出会うのか〉では、アルトーが注目される。ここでは社会が身体のあり方を規定しているという、ミシェル・フーコーが論じた「生―政治学」的状況に激しく反抗し、いかなる先天性も拒否しようとした人物としてアルトーが評価される。そのうえで著者は、停止や凍結、形式化に対して警戒的であった土方が、アルトーと同様の肌感覚の持ち主であったと考察する。

ただし土方の場合、その感覚がアルトーのような激しさとして顕現するのではなく、言葉と「肉体」をめぐる繊細かつ執拗な作業として結晶化したと言う。本書ではこのように様々な話題が『病める舞姫』につながる議論へ一時的に帰着しては、また別の話題へ視点が移る。例えば次の〈封印された演劇〉では、アルトーと対比される土方の仕事が、同時代の演劇人・寺山修司による土方批判への反論を通じて評価される。演劇を劇場の外に脱出させた寺山の目には、劇場の中で、しかも演者が言葉を発しない舞踏を追求した土方はあまりに内向的に「肉体」に集中したように見えたようだ。寺山をこう解釈する著者は、土方が社会や言葉から遠ざかったと捉えるのは不適当であり、そもそも彼は演劇のなかで用いられるダイアローグとは異なる次元の言葉と対峙していたと反論するのである。


後半〈Ⅱ土方巽の謎〉の冒頭、〈『肉体の叛乱』まで〉では、視点が再び60年代の土方に戻る。デビューから『肉体の叛乱-土方巽と日本人』を初演した68年頃までの彼の舞踏と文章には、まだアルトーに似た激しさを読み取れるというのが、本書の基本的な見方である。しかし著者は、その頃に発表された作品の中でも「恥じらい」の要素をもつ70年代の萌芽が既にあるとも述べ、土方の変遷の中に隠れた一貫性が示唆される。ここでの「恥じらい」とは、土方の活動をリアルタイムで追いかけていた批評家・合田成男から借りられた言葉である。

著者の合田への信頼は厚い。その理由の一つが、合田が土方の舞踏の「技術」を丁寧に観察し、土方の仕事の繊細さを、舞台上のダンサーの身体操作法から具体的に読み取っていた点にある。その批評の中身が示される〈前衛か技術か〉で、著者はやはり60年代の荒々しさと、洗練されてゆく70年代の「技術」の対比を浮かび上がらせながら、後者に土方の功績の核心を見出す。その際、土方の舞踏の「技術」とは、他の舞踊について用いられるような意味での「技術」には回収され難い概念であることが言及される。

続く〈中西夏之のほうから〉ではタイトル通り、土方と交流のあった美術家・中西夏之との関わりが論じられる。アナロジーによって物事を捉える姿勢を土方から感じ取り、そこに批判的であった中西に対し、著者の意見は、土方はむしろアナロジーから逃れる「差異」を追求した人物だというものである。それを具現化した『病める舞姫』の世界では、「微細な差異だけが果てしなく渦巻いている」(142頁)。

そして〈三島由紀夫という同時代人〉では、土方と小説家・三島由紀夫との関係が語られる。土方はデビュー以来、三島と親交があった。三島は自らの肉体を制御し、また剛健に鍛錬し、そのことは彼の随筆『太陽と鉄』のタイトルに象徴されることを著者は説く。これに対して土方は特に晩年になると「衰弱体の採集」というスローガンを掲げ、三島とは美学的にも肉体的にもかけ離れた実践を追求していたと言う。

以上の哲学的考察を、具体的な土方の文体とモチーフに照らす作業は、断片的にではあるが、本書の随所で既に示されていた。ただそれが改めて主題化されたのが〈病める舞姫以前〉および〈『舞姫』あるいは兆候〉の箇所だろう。著者によると70年頃を境に、土方の文体には主客が逆転・反転する構造が現れ始めていた。さらに土方は、例えば1977年に発表された『包まれている病芯』の中で、紙製のおもちゃ「でんぐり」に関して「包むものが包まれている」状況に言及していた。ここから著者はある二項が互いに交差、反転、逆転する構造を土方が繰り返し思い描いていたことを指摘し、さらにこの関心が『病める舞姫』へ注ぎこまれたと考えている。『病める舞姫』には「私」なる人物のみならず、メタレベルの語り手、土方本人、幼少期の土方、他の様々な主体や客体が登場するが、入り組んだ構造を見せる土方の文体のせいで、それらの像が完全に結ばれることはない。彼の倒錯的な言葉遣いが、各個体の輪郭をつねに不明瞭にしておくというのである。

こうした土方の執筆活動は、「言葉もダンスも生活も貫通するような〈行為〉だった」(〈前衛か技術か〉119頁)と評価されていた。〈舞踏論のためのノート〉では、その行為を再び哲学的な視座から位置付けることが図られ、その際には吉本隆明の舞踏論が激しく批判される。著者が抱くのは、土方の言葉と舞踏が一致し得るのかのように吉本が語ったことへの違和感である。言葉と身体を隔てる距離自体、あるいは両者の差異そのものを「測る」、土方の行為を丹念に照らそうとする著者からすれば、その一方を他方に還元しようとする批評の言葉はあまりに粗雑であったようなのだ。また著者曰く、意味や伝達機能から一切解放された純粋な「記号」を求め、それをバレエの身体に見出したマラルメの視点もまた、『病める舞姫』という存在を適切に捉えきれない。それならばむしろ、あらゆる知覚の根底にある「イマージュ」という概念の方が、『病める舞姫』により近しいと言う。こうして様々な観点が参照されるなか、著者が土方との関連を最も肯定的に認めているのは、ドゥルーズとフェリックス・ガタリが提案した「器官なき身体」のアイディアであり、土方は「器官なき身体」の稀有な創造者であると評価されている。

以上が本書の本編であり、その後に付された〈付録〉では、著者自身による土方との交流の回想を交えながら、先の『病める舞姫』論にゆるやかに接続されるエピソードや短い考察が紹介される。特に〈死と舞踏家〉における、土方がつねに病を根源的な現実として、病を恒常的な状態として生きようとしていたという指摘が印象深い。『病める舞姫』のなかには「生まれ変わりの虫」あるいは「けむり虫」なる存在が登場するが、著者はこの「虫」を、言葉と身体の狭間、不在と存在の狭間、そして生と死の狭間を、けむりのように慎重かつ繊細に漂う行為を表すモチーフとして捉えていた(〈『舞姫』あるいは兆候〉)。本書の主な射程は土方の言葉であるが、著者はそれが土方の生き方、あるいは死との関わり方をめぐる話題と地続きの問題であることを示唆している。

コメント

以上は、晦渋さに満ちた『病める舞姫』の言葉を読解しようとするのではなしに、言葉を用いつつもロゴス的世界の外を探った、両義的な土方の行為として照らし出した、書物の存在論と言える。この意味で本書の内容は、舞踏研究・舞踏批評の関係者はもちろん、言葉と踊りの横断的な実践に関心があるアーティストにとっての一つの参照項となるかもしれない。

それだけに気になる点もある。著者は土方をドゥルーズ=ガタリが提唱した「器官なき身体」の類まれなる実践者であると確信した様子であるものの、それは一体どのような点においてなのかが具体的に示されていない。本書を手に取る読者の多くが、彼らの思想に明るいわけでないと予想されるため、この肝心な部分の説明がほしいと感じた。著者が自ら言及する通り、本書の論はドゥルーズ=ガタリの哲学に影響されており、なかでも筆者が受けた印象では、彼らの思想の、存在の流動性や連続性を強調する生気論的な一面に多くを依拠しているだろう。そしてそれによって土方から発見された、「けむり」のような移ろいの美学と、ドゥルーズ=ガタリの「器官なき身体」の性格がどのように関連するかについては、検討する余地がある。先述のとおり、本書は「微細な差異だけが果てしなく渦巻いている」(142頁)世界に『病める舞姫』の核心を見出していたが、「器官なき身体」というアイディアは、差異が際限なく差異であり続けることというより、むしろ差異と同一性のあいだの拮抗や緊張を表すと思われるからである。

また、土方のなかで起こった変遷を捉えるために、本書が拠って立つ時代区分はさらに細やかに検討できるだろう。その区分とは、60年代の彼の活動が呈する荒々しさ・激しさ・挑発と、70年代から最晩年に至るまでの脆さ・繊細さ、そして主客の入れ替えや交差の運動に支えられた流動性や差異という対比によるものであった。しかしとりわけ70年代前半の土方が綴った文章には、両者の特徴を兼ね備えた記述も存在する。例えば1971年に発表された文章『風化考』で、土方は「お互いを食べ合って血の出る隙間もないほどの緊張」に触れており、その数年前に行われた唐十郎との対談においては「消滅が消滅をくっている」状態について、叫び声が上がるほどの激しい受苦と緊張の様子を描写していた。ここでの「食べ合い」とは、まさに本書が論じたような主客の反転や入れ替わりのモチーフであるが、その描写は入り組んだ位相空間を漂う、静けさに特徴付けられるものとは異なっている。次々と新作を発表した時期、『病める舞姫』の執筆期、そして舞台活動を再開した最晩年期を通じ、つねに変化の途上にあった土方像は、より動的に捉え得ると思われる。

最後に、土方が言葉と踊りの中間領域の開拓者であるという指摘が的を射ているだけに、言葉の相手役である踊りに関する参照項が合田の批評のみという点に、少し物足りなさを感じた。踊りに関する詳しい分析は、そもそも書物の存在論の範疇を超えているとも言え、それをしないことは、土方の踊りを直接見たことがないと自ら断りを入れる著者の誠実さなのかもしれない。ただ、これが土方の仕事の複雑なところでもあるが、動きを生成するために夥しい量の言葉を用い、それらを「舞踏譜」と呼ばれる記譜に書き留めていたことで有名な彼は、振付家・踊り手としても、言葉と踊りの間の開拓者であった。二分法を超えた土方の「行為」をこの角度から見るとしたら、本書が光をあてたけむりのような流動性の美学は、どのように、どこまで実践と連関するのかが気になるところであり、こうした疑問を促すという意味で、本書はきわめて刺激的な一冊なのである。

文献案内

○メルロ=ポンティ・M『見えるものと見えざるもの』、クロード・ル・フォール編 中島盛夫監訳 伊藤泰雄+岩見徳夫+重野豊隆訳、法政大学出版局、1994年
主客の反転、入れ替わりのアイディアに関する理論的手がかりを得たい場合、メルロ=ポンティが論じる「交差(Chiasme)」の参照が有益であるように思われる。

○ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症 上』、宇野邦一訳、河出文庫、2006年
○ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー――資本主義と分裂症』、宇野邦一+小沢秋広+田中俊彦+豊崎光一+宮林寛+守中高明訳、河手書房新社、1994年
本書で『病める舞姫』との関連が指摘された、ドゥルーズ=ガタリの「器官なき身体」は上記の文献に登場する。

○土方巽『〔新装版〕土方巽全集Ⅰ』、河出書房新社、2016年
○土方巽『〔新装版〕土方巽全集Ⅱ』、河出書房新社、2016年
土方が生前に執筆したエッセイ、土方が参加した対談、インタビュー、講話の文字起こし資料などが網羅的に収録された重要文献。『病める舞姫』も収録されている。

○稲田奈緒美『土方巽 絶後の身体』、NHK出版、2008年
土方のキャリアや交友関係、逸話など、年代を追って詳しく記述されてある。土方という人物を知る上で必読の書。

参考文献

  • 合田成男「物腰の自立性 白桃房への結晶」、『現代詩手帖』(20)、思潮社、1977年、53-59頁
  • ——— 「舞踏の動詞12」、『現代詩手帖』(28)、思潮社、1985年、95-103頁
  • ———「“土方舞踏”作品ノート1」、『アスベスト館通信2』、元藤燁子、1987年、28-35頁
  • 土方巽「風化考」、『伝統と芸能 第十二巻 伝統と創造』、学藝書林、1971年、119-128頁
  • ———『〔新装版〕土方巽全集Ⅰ』、河出書房新社、2016年
  • ———『〔新装版〕土方巽全集Ⅱ』、河出書房新社、2016年

出版元公式ウェブサイト

みすず書房 (https://www.msz.co.jp/book/detail/08568/)

評者情報

岡元 ひかる(おかもと ひかる)

博士(学術)。現在、武庫川女子大学生活美学研究所 嘱託研究員。追手門学院大学 非常勤講師。主な論文に、「舞踏訓練『虫の歩行』における身体経験の再検討――土方巽の弟子・正朔の実践に注目して­――」(『舞踊學』、第42号、2019年、22-32頁)、「土方巽の舞踏における『危機』の実践と思想」(神戸大学大学院、2022年、博士学位論文)。

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