Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

2022年9月19日

Christy Constantakopoulou, Aegean Interactions: Delos and Its Networks in the Third Century

Oxford University Press,2017年

評者:杉本 陽奈子

Tokyo Academic Review of Books, vol.51 (2022); https://doi.org/10.52509/tarb0051

はじめに

本書は、ロンドン大学バークベック・カレッジ準教授(2017年当時。2019年より教授)のChristy Constantakopoulouによる、紀元前3世紀のデロス島をとりまくネットワークに関する研究書である。デロス島はエーゲ海に浮かぶ小さな島であり、神話上でアポロンとアルテミスの出生地とされることから、古くから多くの人々が訪れる聖域であった。また、前5世紀にはアテナイを中心として形成された「デロス同盟」の拠点が置かれたことでも有名である。さらに、特にヘレニズム期にはその地理的な条件を活かして、活発な経済活動が展開していた。つまり、デロス島は宗教的・政治的・経済的に極めて重要な場所であり、そこで形成されたネットワークの実態を明らかにすることは、古代エーゲ海世界の構造を理解することにつながる。本書はこのようなデロスのネットワークについて、前3世紀に焦点を絞って考察した研究成果である。

概要

本書は6つの章によって構成されている。以下ではまず、各章の内容を概観していきたい。

第1章「イントロダクション:デロス、そのネットワーク、地域主義、そしてエーゲ海世界」では、本書の具体的な検討対象が提示される。デロス島は長らくアテナイの支配下に置かれていたが、前314年から前166年の間は独立を実現したことが知られており、本書の考察対象となる前3世紀はこの「独立期」に相当する。そして、この時期のデロスを理解するための重要な枠組みとして著者が注目するのが、南エーゲ海という「地域region」である。ここでの「地域」とは単なる地理的空間ではなく、「人間の経験、イデオロギー、文化」(p. 15)の密接なインタラクションによって構築される、独自のまとまりをもった世界を指す。著者によれば、デロスは200以上の小さな島々から成るキュクラデス諸島の中心に位置していたことから、こうした地域的な枠組みがネットワークの性質に大きな影響を与えていた可能性が高い。そこで、本書は前3世紀デロスをとりまくネットワークの実態を浮かび上がらせることを目的として、4つの観点――島嶼同盟、デロス島内のモニュメント、顕彰、神殿への奉納物――からこの点を検証していく。

第2章「結びつきの政治学:島嶼同盟の歴史」では、前4世紀末頃に結成されたIslanders’ LeagueあるいはNesiotic League(古代ギリシア語ではτὸ κοινὸν τῶν νησιωτῶν)と呼ばれる組織について検討がすすめられる。「島嶼同盟」や「諸島民のコイノン」等と邦訳されるこの組織(以下ILと略す)は、キュクラデス諸島を中心とする島々から成る一種の連合体である。その内実については詳細が十分に知られていないものの、ヘレニズム王朝(当初はアンティゴノス朝、のちにプトレマイオス朝)の影響を強く受けていることは明白であることから、一般的にはヘレニズム王朝がエーゲ海支配の手段としてILを利用していたと説明されることが多い。これに対し、著者はIL側に目を向けた「下からの」アプローチの重要性を強調する。というのも、南エーゲ海の島々ではヘレニズム期以前から政治的・経済的・宗教的インタラクションが存在しており、ILはこのような既存のネットワークに支えられる形で成り立っていた可能性が高い。同時に、ILという制度的な枠組が成立したことで、地域的アイデンティティ自体もさらに強化されたと考えられるのである。

第3章「デロスにおける建築、投資、展示:3~2世紀のモニュメント建造の歴史」では、独立期のデロスにおける建築活動とその空間論的な意味が論じられる。当時のデロスには、ヘレニズム王朝によって列柱館、祖先の像、船といった大規模かつ目を引くようなモニュメントが数多く建てられた。しかし、その一方でデロスの市民団によっても民会議場や評議会場をはじめとする都市の公共建築物や神殿が建設されており、これらはデロスの政治的・宗教的・経済的活動を促進する機能を果たしていたとみられる。つまり、独立期のデロス人たちは積極的な建築活動を通して新しいアイデンティティを形成していったのであり、決してヘレニズム王朝の一方的な支配下に置かれていたわけではなかったのである。

第4章「プロクセニア、像、冠:デロスの顕彰ネットワーク」では、デロスによる顕彰決議に注目した分析が行われる。古代ギリシアでは大きな貢献を行った者を顕彰するという慣行が広く見られ、特に外国人に対しては、プロクセニアという一種の肩書の付与が行われることが多かった。著者はデロスがこうした顕彰を行った事例を網羅的に収集して分析をすすめ、被顕彰者の出身地がかなり広範にわたっていること、その中でも特に事例が集中しているデロスの近隣と南エーゲ海の島々がネットワークの中核であったと考えられることを指摘する。

第5章「奉納の社会的ダイナミズム:前3世紀のデロスの目録」では、デロスの聖域に奉納を行った人々についての分析が行われる。デロスでは、担当役人が奉納された聖財の記録を毎年碑文に刻む習慣があった。そのため、このような聖財目録をもとに奉納者のネットワークを再構築することが可能である。著者は、デロスでは他の聖域と比べて女性の奉納者の割合が高いという興味深い指摘を行ったうえで、全体としては前章の分析結果と同様に、奉納者の地理的分布が広域に及んでいるもののデロスとその周辺に特に集中していることを明らかにしている。

第6章「結論」では、以上の分析結果をまとめたうえで、デロスをとりまくネットワークが南エーゲ海という地域を中核とするものであったことがあらためて強調される。

コメント

以上のように、本書は文献史料が少ない前3世紀のデロスについて、碑文を最大限に活用しながら実証的な議論を展開した手堅い研究書である。とりわけ、デロスをとりまくネットワークの実態を政治・軍事・宗教・文化・経済といった諸要素が相互に結びついたものとして描き出したことは、これらを別々のものとして分析してきた先行研究とは一線を画す貴重な成果であるといえよう。

そのうえで、本書を読んで気になった点を2つ挙げたい。第一に、ネットワークの性質が時代とともにどのように変化するのか(あるいはしないのか)という点が、本書では必ずしも明確に提示されていない。著者はデロスのネットワークの特徴として「島嶼性insularity」を繰り返し指摘するが、このような地理的要素は時代の変化による影響を受けにくいと考えられる。もちろん、著者は独立期に聖財目録のフォーマットが変化したり建築活動等が活発化したりしたことに触れているものの、これがネットワークの本質的な変化であるかどうかについては言及していない。しかし、本書では前3世紀に焦点を絞っている以上、独立期に特有の性質について結論部分で説明する必要があったのではないだろうか。加えて、独立期に関してもアンティゴノス朝、プトレマイオス朝、ロドスの影響下に置かれていた時期に分かれることから、このような情勢の変化がネットワークにも反映されている可能性を論じる必要があるであろう。しかし、本書では被顕彰者や奉納者の出身地を検討する際にも年代ごとの分析が全く行われておらず、この点についてほとんど考察されていないのである。

第二に、本書は南エーゲ海という「地域 region」を重視しているものの、その範囲は章ごとに一定ではない。例えば、第1章ではキュクラデス諸島を中心とする地域が想定されており、第2章ではより狭くILが論じられているが、第4章ではロドスやクレタ等も含めたかなり広い枠組みとなっている(p. 162)。こうした「地域」概念の伸縮を著者自身がどのように位置づけているのか、そしてこのような緩やかな枠組みを設定することが本当に適切なのか、もう少し丁寧な説明が欲しいように思われた。また、ILが地域的アイデンティティを強化していたという第2章の議論についても、確実にILのメンバーであったと同定されている島が決して多くない中で、どこまで成り立つのかという疑問を抱いた。というのも、もし南エーゲ海に位置する島々の中にILのメンバーではない島が一定数含まれている場合、むしろ地域的アイデンティティの統一性が損なわれてしまう可能性もあったように思われる。

このような疑問は感じたものの、本書がデロスに限らずヘレニズム期のネットワークを考察するすべての者にとって規範となる研究であることは疑いない。今後、こうした地域に根差したネットワークの研究を積み重ねることによって、ポリスという枠組みを越えた古代ギリシア人たちの活動のダイナミズムを浮かび上がらせることが、著者だけでなく評者も含めた関連分野の研究者に課された課題であろう。

文献案内

本書に先立ち、著者は前古典期から古典期にかけてのエーゲ海域における島嶼ネットワークを論じたThe Dance of the Islands: Insularity, Networks, the Athenian Empire, and the Aegean World, Oxford, 2007を出版している。デロスに関しても特にアテナイ帝国との関係で詳しく分析されていることから、本書が対象とする独立期以前の状況を知るうえで重要な一冊である。

独立期デロスに関する基本的文献としては、Vial, C., Délos indépendante, Paris, 1984およびReger, G., Regionalism and Change in the Economy of Independent Delos, Berkeley, 1994がある。特に後者は、経済的側面に焦点を絞っているものの、「地域region」という観点から考察を行っている先駆的研究である。また、本書の後に刊行された独立期デロスの経済に関する研究書としてChankowski, V., Parasites du dieu: Comptables, financiers et commerçants dans la Délos hellénistiqu, Athènes, 2019がある。わが国では独立期デロスについての体系的な分析は十分にすすめられていないが、宗教的側面に注目したものとして中尾恭三「前3世紀、サラピス神崇拝のデロス島への伝播」『パブリック・ヒストリー』1、2004年、93-112頁、プトレマイオス朝研究の観点から島嶼同盟に言及しているものとして波部雄一郎「エーゲ海域におけるプトレマイオス朝権力の受容:『諸島民のコイノン』と外国人判事」『関学西洋史論集』35、2013年、3-12頁(波部雄一郎『プトレマイオス王国と東地中海世界:ヘレニズム王権とディオニュシズム』関西学院大学出版会、2014年に再録)が挙げられる。

ネットワーク理論の古代ギリシア史への応用については、イアン・ラザフォード(竹尾美里訳)「ネットワーク理論と神聖使節団テオリアのネットワーク」浦野聡編『古代地中海の聖域と社会』勉誠出版、2017年、141-166頁(原著はRutherford, I., Network Theory and Theoric Networks, Mediterranean Historical Review 22, 2007, pp. 23-37)が参考となる。なお、訳者にはアテナイ支配下のデロスについて論じた、長尾美里「ペロポネソス戦争期アテナイの聖域管理と建設活動:デロス島アポロン聖域を中心に」『西洋古典学研究』59、2011年、12-21頁がある。

出版元公式ウェブサイト

Oxford University Press (https://global.oup.com/academic/product/aegean-interactions-9780198787273?cc=jp&lang=en&)

評者情報

杉本 陽奈子(すぎもと ひなこ)

京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PDを経て、現在、東北大学大学院文学研究科助教。専門は古代ギリシア史、特に古典期からヘレニズム期にかけての経済活動。主な論文・著作に、「前4世紀アテナイにおける穀物輸送関連法の運用実態」『西洋古典学研究』69、2022年、13-24頁、『生き方と感情の歴史学:古代ギリシア・ローマ世界の深層を求めて』山川出版社、2021年(共著)がある。

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