2024年9月23日
Sarah Kirby, Exhibitions, Music and the British Empire
Boydell & Brewer, 2022年
評者:倉脇 雅子
0. 本著について:目的と概要
Exhibitions, Music and the British Empire (Kirby 2022)は、万国博覧会を事例として、社会における音楽の公共的役割と機能を音楽社会学、音楽史学の両面から捉えることを目的としている。研究対象は1880年代のオーストラリア、インド、スコットランドを含む大英帝国で開催された13の博覧会である。19世紀後期の文化現象ともいえる万国博覧会に着目し、そこでの音楽受容を検証することによって社会文化的な諸問題について学際的に論じるものである。
著者のサラ・カービー(Sarah, Kirby)は、メルボルン大学のミュージアム&コレクション部門のグレインジャー・フェローである。彼女はまた、2022年にニュー・サウスウェールズの国立図書館でナンシー・キーシングAMフェローを務め、オーストラリアの英国音楽協会による戦間期の国際主義に関するプロジェクトに関わっている。2023年にオーストラリア人文科学アカデミーよりマクレディ音楽賞が授与された。
著書には、イギリスとオーストラリアの音楽、植民地主義、ジェンダーと音楽、博物館と音楽に関する出版がある。
19世紀のロマン主義の時代を市民音楽の台頭やナショナリズムから捉えた研究(Samson 1998)、音楽受容の面から人々の音楽生活の多様化とポピュラー音楽の台頭を扱う研究(Weber 2008; Frith 2004)をはじめとして、音楽から近代市民社会あるいは国民国家をみようとする研究が重ねられている。くわえて、「その時どきの社会を反映する」(佐野 2020)国家事業である万国博覧会に着目することは、音楽と社会の関わりを検証するうえで適した有意義な視点といえる。
従来、万国博覧会と音楽に関する研究は、楽器、創作、演奏の三つに大別されてきた。楽器に関する研究は、その伝統工芸品としての美的価値を扱う「展示物」としての楽器に関するものや、近代の楽器改良に焦点をあてたものがあり、創作に関する研究は1889年パリ博でのガムラン音楽に影響を受けたクロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1918)を一例とする異文化接触とその影響に言及する研究(虫明 2019)や、1958年ブリュッセル博フィリップス館でのエドガー・ヴァレーズ(Edgar Varèse, 1883–1965)の《ポエム・エレクトロニク》(1957)における電子音楽の研究がある(Lombardo et al. 2009)。政策として演奏芸術を万博のプログラムに加えた1867年パリ博を含め、19世紀のパリで開催された万博を音楽面からみた井上の研究(井上2009)は、音楽の社会的役割を問う研究の筆頭に挙げられる。こうしたながれに2022年に刊行されたカービーの本著や、評者の1873年ウィーン万国博覧会の研究(倉脇2023; 2024)があり、総じて、「万博学」への学問的関心の興隆とともに音楽学分野の研究が進められているといえる。
本書の目次は以下のとおりである。
- はじめに
- 1. 音楽を展示する
- 2. モノとしての楽器
- 3. 楽器を奏でる
- 4. 博物館と音楽史
- 5. 演奏、知的娯楽、「進歩」への音楽
- 6. 余暇と娯楽のための音楽
- 7. ナショナリズムと音楽
- 8. 非西洋音楽のキュレーション
- 9. 非西洋音楽の演奏
- 結論 展示とその音楽的遺産
- 参考文献
本書では、万博における音楽面の役割をテーマ別に論じている。第1章と第2章では1851年から1870年代にかけてロンドンで行われた初期の博覧会を扱っている。この時期の万博が後世の万博の枠組みを確立したという通史的背景をふまえて、音楽の「展示」にかかわる方法論的問題と、ヴィクトリア朝時代の広告戦略として楽器がどのように展示されていたかについて検証している。第3章は、楽器販売を促進するための演奏会について、ピアノを事例に挙げている。製造会社とピアニストの関係、商業主義とマスコミ批評のバランスから、創作とビジネスについて多角的に検証されている。第4章では、博物館と音楽史について、まず万博で「過去」がどのように展示されていたかが取り上げられている。1885年ロンドン博と1890年エディンバラ博を事例とし、近代の万博で開催された古楽器の展示について検討している。そして、「昔」から「今」に至る進歩主義あるいはロマン主義的言説の分析結果が述べられる。第5章では、知的趣味あるいは文化的発展の指標としての「上位文化」に据えられた音楽について考察されている。第6章では、第5章でみた上位文化の音楽と博覧会の広場で上演された余興の音楽が比較検討される。第7章では、音楽受容に生じたナショナリズムの問題が取り上げられ、第8章と第9章では、楽器のキュレーションと演奏受容をとおした非西洋音楽についての考察が加えられる。
1. 本書の構成と各章の概要
1-1. 研究対象
以下の表1は、本書が対象とする1879年から1890年のあいだに大英帝国(the British Empire)によって開催された万国博覧会の一覧である。著者は大英帝国を、イングランド(England)と自治領・植民地を含めて称しており、表1に示すとおり、オーストラリア、インド、スコットランドが含まれている。これは、大英帝国の各展示を対象とすることによって、イングランドと自治領および植民地の社会、制度、思想における諸問題を音楽面から浮かび上らせようする著者の考えに基づいている。
No. | 名称 | 開催地 | 開催年 | 開催期間 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | Sydney International Exhibition | Sydney | 1879 〜 1880 |
17 September 1879 | 20 April 1880 |
2 | Melbourne International Exhibition | Melbourne | 1880 〜 1881 |
10 October 1880 | 30 April 1881 |
3 | Calcutta International Exhibition | Calcutta | 1883 〜 1884 |
4 December 1883 | 10 March 1884 |
4 | International Fisheries Exhibition | London | 1883 | 12 May 1883 | 31 October 1883 |
5 | International Health Exhibition | London | 1884 | 8 May 1884 | 30 October 1884 |
6 | International Inventions Exhibition | London | 1885 | 4 May 1885 | 9 November 1885 |
7 | Colonial and Indian Exhibiton | London | 1886 | 4 May 1886 | 10 November 1886 |
8 | Edinburgh International Exhibition of Industry, Science, and Art | Edinburgh | 1886 | 6 May 1886 | 30 October 1886 |
9 | Liverpool International Exhibition of Navigation, Commerce, and Industry | Liverpool | 1886 | 11 May 1886 | 8 November 1886 |
10 | Adelaide Jubilee International Exhibition | Adelaide | 1887 〜 1888 |
21 June 1887 | 7 January 1888 |
11 | Glasgow International Exhibition of Science, Art, and Industry | Glasgow | 1888 | 8 May 1888 | 10 November 1888 |
12 | Melbourne Centennial International Exhibition | Melbourne | 1888 〜 1889 |
1 August 1888 | 31 January 1889 |
13 | Edinburgh International Exhibition of Electrical Engineering, General | Edinburgh | 1890 | 1 May 1890 | 1 November 1890 |
1-2. 本書の研究方法
本書の研究方法は一次資料研究であり、各万博の企画・運営に関する施策を示す公文書ならびに博覧会実行委員会発行の公式報告書が中心的資料である(Kirby 2022: 215–222)。これに加えて重要視されているのがプレスの言説である。イングランドでは当時200近い音楽紙があり、投稿論文、演奏会批評、教育、楽譜出版まで多岐にわたる内容を掲載していた。本書では、これらのプレスの言説分析によって都市の音楽文化受容の検証を行なっている。
1-3. 各章の概要
はじめに
国際博覧会は19世紀の最も重要な文化現象の一つであり、工業・製造業から芸術・デザインにいたるまで、当時の人々の努力の総体として比較展示や審査会が行われ、主催国・参加国の双方に社会的、文化的影響力をもつ国家事業であった。
本書は、1880年代の大英帝国が開催した国際博覧会における音楽の役割を問うものである。万博のなかで音楽は、楽器や演奏によって展示された。そこでは万博の教育的使命に基づいて、音楽を「至高の芸術」の象徴として展示することが企図された。このような万博の「啓発的な」性質は、大衆に道徳的、文化的な気づきを与える面で有用であった。しかしながら、イングランドおよび植民地の展覧会全般について音楽面の研究は進んでいない。このため本書では、大英帝国における万博を文化と社会の境界を超えたネットワークとして捉え、これらの博覧会から、イングランドおよび植民地の社会、制度、思想における音楽の役割を考察することが試みられている。
第1章:音楽を展示する
第1章では、1851年開催のロンドン博に遡り、どのように音楽が展示されてきたのか、について当時の音楽誌や新聞から収集した言説分析が行われている。音楽の展示スタイルが確立したのは1851年とされ、1860年代、1870年代の万博においてそれが踏襲された。音楽展示のスタイルは、①学問的対象であり上位文化の対象とされる芸術音楽、②娯楽的聴取のための軽音楽、③楽器販売のための実演、④博覧会全体のサウンドスケープの要素から成る。
19世紀の大英帝国の伝統において展覧会や博物館は知的な余暇を楽しむものであり、そこには公教育の促進と労働者階級への啓発をねらいとした知的利益の享受を促す目的があった。そうしたなか、1851年ロンドン博の成功は、その収集品の展示と万博会場跡地の利用によって、公立博物館・美術館の発展に寄与した。
音楽を展示する場合、博物館では歴史的楽器コレクションを陳列し、各時代の歴史や伝統に位置付けた説明を加える方法が取られたが、演奏芸術としての音楽の一面をどのように展示するのかという問題が残された。こうした経緯をふまえてロイヤル・アルバート・ホール建設計画が推進され1871年に開館を迎えた。
第2章:モノとしての楽器
万博は、商品文化のファンタスマゴリアの幕開けであり、大衆は物質文化の理解に対して方向転換を迫られた。スペクタクルとファンタスマゴリアのアイディアは1851年以来、万国博覧会での展示方法の核となった。広大なスペースに展示された商品の数の多さは本来の商業的性質を失わせた。加えて、万博を単なる見本市ではなく、壮大な物語を確立する存在とするために芸術への期待が寄せられた。
具体的な展示例として、第2章、第3章ではピアノの展示を取上げている。ピアノに着目する理由は、その社会的意義である。ピアノは「家庭オーケストラ」(Rimbault 1860)とよばれ、日常生活の中心であった。マスコミは盛んに楽器を音楽芸術と結びつけて描写した。例えば、ショパンやリストが使用した楽器としての格付けがされたり、上流階級の女性がピアノ演奏をする人物画の掲載によるイメージ戦略が行われたりした。これは、19世紀のイギリスとその植民地でアマチュア音楽家が増加したことを見据えてのことであり、楽器全般が手頃な価格に下がり、性能も向上したことも追い風となった。しかし実際には、民衆の関心はピアノ等の一部の楽器に限られた。また、商業と芸術の分断を乗り越えることは難しく、「芸術」音楽への関心も薄れていった。
第3章 楽器を奏でる
万博の楽器展示において、第一義的に楽器は商品として評価されることが重要であったため、ピアノ・メーカーは販売促進を目的とした公開リサイタルを開催した。1879年シドニー博では、欧米各国の20社が日中5、6回の演奏会を催し、著名なプロの演奏家からアマチュアまで舞台に上がり、そこには相当数のアマチュアの女性も参加した。また、1885年ロンドン博では半年の万博開催期間中175回の演奏会が開催され、プロとアマチュア、男性と女性を含む総勢89人のピアニストが演奏会を行った。第2章及び第3章から、万博での楽器展示に共通したピアノ販売上の戦略として、ターゲットはアマチュアであり、なかでも女性にまなざしを向けていたことが読み取れる。
メーカー主催の販売促進用の演奏会について、当時の音楽新聞は、上流階級のアマチュアに向けた表層的な「アート」の展示として批判的に論じた。しかし実際のところ、販売目的であっても、一部にアマチュアによる演奏があったとしても、一般客にとっては、気軽に著名な音楽家の演奏を聴ける機会として好評であった。
販売促進用の演奏会レパートリーは、楽器の音色やタッチの特徴をよく表すものが選曲された。スタインウェイ社は、技巧的なパッセージを完璧なテクニックでカバーするピアニストの演奏をとおしてピアノの性能の高さを示した。また、報道の多くは、これらの演奏会を商業目的のリサイタルと位置付けながらも、万博会場に多くの観客を呼びよせている全体的効果を認めて、作品や演奏家について「芸術的価値」に関連づけた記事を掲載した。
このような演奏会によって、演奏者自身がモノや商品として見られるようになった。聴衆が音楽の芸術的側面をいかに享受しているかに関係なく、演奏者は単に楽器を実演するためのメーカーに奉仕する存在であった。これは芸術家としての演奏家の地位を低下させた。
第4章:博物館と音楽史
博物館は、世界に平和と繁栄をもたらす産業と芸術の「進歩」のモデルを展示するものとみなされた。1885年ロンドン博と1890年エディンバラ博の音楽部門では「過去」をテーマとする展示を行なった。古楽の展示では、古楽器、写本、楽譜のコレクション展示の他、ロイヤル・アルバート・ホールにおいて関連の演奏会を開催した。
古(いにしえ)と19世紀後期の音楽展示物の並置は、過去と現在の概念的な分断を表していた。そして、産業革命の社会的影響が一層明白になった時期の古楽の展示は二つの相反する解釈を呼び起こした。一つは、時間経過をとおした「完璧な」楽器に至る進歩の過程を示す発展主義のパラダイムによる解釈だった。他方は、歴史上の楽器は理想化された過去を示すというロマン派的な解釈だった。発展主義的解釈とは対照的なロマン派的解釈は、新しい楽器に欠けていた文化的重要性を与えることに寄与した。
第5章 演奏・知的余暇・「進歩」音楽
1885年ロンドン発明展では、新しい楽器と古楽器の歴史的コレクション、ソリスト、古楽器アンサンブル、オーケストラ、野外合奏団、非西洋音楽の合奏団が集まった。音楽部門の実行委員会長を務めたジョージ・グローヴ(George Grove, 1820–1900)は、「ついに音楽の時代が到来した」と述べた。当時のウェールズ公は、「音楽はより大きな社会的、実際的な役割をもちうる」として音楽教育の発展のために、この万博展示が本国における音楽芸術への理解を深める効果を持つことを望んだ。
1880年代には万博で音楽演奏を行うことは一般的になっており、会場での大規模演奏会の主たる目的は、芸術音楽の教育的利用とレクリエーションにあった。音楽の啓発的な影響力をつうじて大衆を「向上させる」ことを目標として「芸術音楽」を知ってもらう機会とした。本章において著者は、芸術文化という用語自体に「大衆文化」との暗黙の区別があることを指摘したうえで第6章に繋いでいる。
第6章 余暇と娯楽のための音楽
1851年のロンドン博より後の1860年代と1870年代にかけて、人々の万博への関心は薄れていた。この一方で、1880年代にはより娯楽性を高める方向でアメリカやパリでプレジャーガーデンとよばれる野外での音楽とスペクタクルを楽しむエンターテイメントが流行した。19世紀に流行した大規模なレジャー施設もこの趨勢の一部である。そうした施設内で演奏したのが、軍楽隊、工場や民間のバンドであり、ヴィクトリア朝時代の音楽生活における代表的な存在だった。そこで演奏されたのは、ブルジョアの一般的なクラシック音楽であり、大衆の教養教育の一部を担う内容であった。
また、1830年代から市庁舎コンサートをつうじて一般的になったオルガンコンサートは、教会に関連した道徳的規範を背景にもつことから、バンド演奏と同様に大衆への教育効果が見込まれた。このように演奏会レパートリーに関して、多くの主催者が芸術音楽を選ぼうとしたが、聴衆は気軽に楽しめるポピュラー音楽を高く評価した。大衆に支持されつつも、マスコミには批判されたポピュラー音楽の相反する受容のあり方は、その後も続いている。
第7章 ナショナリズムと音楽
万博は人類の業績を普遍的に展示するものといえる。万博以降、多くの公式文書のなかで、普遍主義、コスモポリタニズム、単一起源主義の用語が使用されたことでその意味合いが強化された。
しかし、公式の言説とは裏腹に展覧会は本質的にナショナリスティックなものだった。主催国は企画運営を掌握して自国の成果を強調するために国ごとの対比を行なった。万博は「人間が経験したすべての小世界」として提示されたが、世界秩序における想定しうるヒエラルキーが注意深く表現されていた。
19世紀後半の博覧会の時代は、ヨーロッパ音楽のナショナリズムのピークと重なり、しばしば「ドイツ人の文化的覇権」からの解放の試みとして説明される。こうした背景からも博覧会での音楽をナショナリズムの面から検証することができる。一例として、1889年パリ博は革命100周年を記念して開催された。ここでフランス音楽の功績に光を当てるためのコンサートが企画された。
また、ナショナリズムは、娯楽的なポピュラー音楽を演奏するバンドへの批判にも表れた。特に有名なバンドを海外から招聘する場合、例えば1885年のE. シュトラウス(Eduard Strauss, 1835–1916)楽団のように、地元の音楽業界への影響を顧みない企画として批判された。
第8章 非西洋音楽のキュレーション
1885年ロンドン博で開催された非西洋文化圏の展示である「オリエンタル・ルーム」は、西洋と非西洋の文化間の邂逅と交流をねらいとしていたが、実際には文化的および人種的ヒエラルキーを存続させるための意図的な構成といえる。西洋の「進歩」の物語のなかで、非西洋の「野蛮」をそれらの社会的、文化的文脈から切離して対比させることで西洋の「進歩」を優位に立たせようと試みるのである。1885年ロンドン博、1890年エディンバラ博では、多くの非西洋の楽器が「古代」または歴史的展示のなかで、人類学的あるいは民族学的なものとして位置付けられた。ここには、非西洋音楽を人類の進化の初期段階のものとみなす、当時の社会的背景と共通する開発主義的な人種差別が表れていた。また、1885年のロンドン博では多くのインドの楽器がブリュッセル楽器博物館とロイヤルカレッジオブミュージック(RCM)の所蔵品となって非西洋の楽器が博物館の所蔵となる際、帰属とクレジットは非西洋の出展者側ではなく西洋のコレクターに与えられた。こうした手続きは一つの文化を他の多くの文化の換喩として捉えることを許容する解釈の拡大の一因となった。
第9章 非西洋音楽の演奏
万博における非西洋音楽の表演には、1883年カルカッタ万博でのビルマ人のグループによる演奏、1884年ロンドン衛生博での中国人グループの演奏、1885年ロンドン博に出演したアルバートホールでのタイ王国の宮廷楽団の演奏があった。来訪した演奏家による生演奏は、脱個人化あるいは脱文脈化された楽器展示とは違って、各々の音楽伝統に根ざす具体的な音響で聴衆を喜ばせた。彼らの演奏は、西洋の聴衆を念頭において用意周到に準備、構成されたにもかかわらず、マスコミや大衆からは珍品とみなされた。また、このようにして西洋の万博主催国側の物語に位置付けられたことにより、社会的、民族的階層の概念を強化することになった。
1883年カルカッタ博、1886年ロンドン博「植民地とインドの展示」、1886年リバプール博等に建てられた「原住民の村」において音楽展示があった。これらの「生きた民族学的展示」は、人工的に構築された万博という環境のなかで人間を「展示」したものであり、19世紀の最も恐ろしく搾取的な人類学的展示の実践とされている。また「生きた民族学的展示」は欧米の博覧会において、通常カーニバルの娯楽と並んだ敷地内で行われており、「教育的」見地ではなく、博覧会の「娯楽」のなかに明確に配置されていた。
英国での万博とは対照的に植民地時代のオーストラリアでの博覧会、特にシドニーとメルボルンでは、非西洋文化に関する展示は制限された。その理由は二つある。一つに、現地での博覧会において、オーストラリア植民地の「繁栄」の有様と「文明化」の状況、そして「平等で階級のない」社会であることを表明するための展示を行うためである。先住民族の文化財は当代のオーストラリアの一部としてではなく、民族学的な古代史の関心として、欧米の先史時代のそばに展示された。二つに、オーストラリアが、19世紀後期に、先住民への搾取に対して批判にさらされていたことがあげられる。先住民の文化政策に関わった1887年のアデレード博では、「いかにアボリジニの民族が文明化されたか」を展示し、アボリジニの伝統よりも西洋音楽演奏に表される宣教団による文明化の影響に焦点があてられていた。
これらの記述の全てには、馴染みある西洋の考え方や経験の観点から非西洋音楽を考察する「比較」という議論があった。つまり、これはオリエンタリズムの中心的な考え方、「自己と他者」という分極化、「われわれ」ヨーロッパ人と「その他の」非西洋人、に基づくものだった。
結論
19世紀後期の大英帝国によって開催された万国博覧会における音楽展示から様々な諸相が明らかとなった。それは、博覧会場における楽器の分類学的配列法および商品としての展示のあり方や実演広告および、万博開催後に博物館の所蔵となった文化的・歴史的重要性や希少性を有する展示品としての価値についてである。これらから、公衆教育の手段としての「芸術音楽」や文化的「進歩」を表す音楽の役割が見出された。一方で多くの聴衆を集め、魅了した「ポピュラー」音楽が公衆衛生や野外での余暇活動の促進に寄与した。また、万博は西洋の人々と非西洋音楽の邂逅をもたらした。音楽がこれらの幅広い役割を担うことができたのは、音楽がその時限りで消えてしまう性質が、物質的な展示を対象とする運営のなかで、様々な分野の物質的なものと柔軟に結びつくことによって、多様な役割を果たすことができたからである。
2. 評価と課題
カービーの業績は、万国博覧会の時代といわれる19世紀後期の大英帝国の博覧会について、主要なトピックを網羅的に論じたことにあるだろう。演奏による広告をとおした産業の興隆や、博物館創設と結びついて分類学的・楽器学的発展を促進したこと、教養や衛生等の公衆教育に関わったことは、産学官の各分野と連携した音楽の役割を明確にしている。今後は、イングランド以外の自治領・植民地を含めた大英帝国という研究範囲において、宗主国であるイングランドと自治領・植民地との施策上の違いや共通点に関する論考が深化することを期待したい。
また、カービー自身が述べるように、「この10年間だけで、オーストリア・ハンガリー帝国、ベルギー、フランス、ドイツ、ネザーランド、アメリカで万博が開催された。これらのイベントは間違いなく重要な音楽的側面を持っていた。この意味で、万博が有する音楽体験、コンテクスト、物語の深さと多様性の解明は始まったばかり」といえる。本著のように万博における楽器展示や演奏展示について、大英帝国の博覧会史において比較検討すると、そのあいだに開催されたパリ博やウィーン博での動向は当然ながらふれられないことになる。しかし、各国が主催国として趣向を凝らす場合、他国の開催方法を比較検討材料にすることは十分考えられる。実際に当時の新聞批評にそうした記事が掲載されている。このため、こうした点を今後編み直すことで議論がさらに深まるのではないだろうか。また、ワーキング・グループを立ち上げることも各国で開催された万博の比較研究にとって有効な方法と考えられることからカービーと協力体制を整えていきたい。
3. 参考文献
- Frith, Simon, Popular Music: Music and identity (London: Psychology Press, 2004).
- Lombardo, Vincenzo, et al. “A Virtual-Reality Reconstruction of Poème Électronique Based on Philological Research”, Computer Music Journal, 33/2 (2009), pp. 24–47.
- Kurawaki, Masako, „Zusatzausstellung auf der Wiener Ausstellung 1873: Zur historischen Musikinstrumenten Ausstellung von Eduard Hanslick“, Études francophones d’Ochanomizu, 4 (2024), pp. 47–61.
- Rimbault, Edward Fracis, The Pianoforte (London: Robert Cocks and Co., 1860).
- Weber, William, The Great Transformation of Musical Taste: Concert Programming from Haydn to Brahms (Cambridge: Cambridge University Press, 2009).
- 井上さつき『音楽を展示する——パリ万博1855-1900』法政大学出版局、2009年。
- 倉脇雅子「1873年ウィーン万国博覧会における三つの楽器展示(その1)——特別展「クレモナの楽器展示」 (追加展示第3番)の非開催について——」『仏語圏言語文化』3 ( 2023)、85–101頁.
- 佐野真由子『万博学——万国博覧会という、世界を把握する方法』, 思文閣出版, 2020.
- 虫明知彦「ドビュッシーの作品におけるガムラン音楽の変容——1903 年作〈パゴダ〉と1889 年パリ万国博覧会で展示されたガムラン音楽——」『東京音楽大学大学院博士後期課程 2018年度博士共同研究A報告書《モデル×変容》』, 2019, pp. 1–22.
出版元公式ウェブサイト
Boydell & Brewer Inc.
https://boydellandbrewer.com/9781783276738/exhibitions-music-and-the-british-empire/
評者情報
倉脇 雅子(くらわき まさこ)
所属:お茶の水女子大学 グローバルリーダーシップ研究所 特任アソシエイトフェロー。京都大学 大学院教育学研究科研修員。専門は、音楽学、万博学、ジェンダー。
主な業績:
- 「1873年ウィーン万国博覧会における三つの楽器展示(その1)―特別展「クレモナの楽器展示」(追加展示第3番)の非開催について―」『仏語圏言語文化』第3号, 2023: 85–101.
- „Zusatzausstellung auf der Wiener Ausstellung 1873: Zur historischen Musikinstrumenten Ausstellung von Eduard Hanslick“, Études francophones d’Ochanomizu, 4 (2024), pp. 47–61.
Researchmap:https://researchmap.jp/kurawaki