Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

2024年10月18日

Sophie Schvalberg, Le modèle grec dans l’art français : 1815-1914

Presses Universitaires de Rennes (PUR), 2014年

評者:湯浅 茉衣

Tokyo Academic Review of Books, vol.65 (2024); https://doi.org/10.52509/tarb0065

はじめに

古代ギリシア・ローマへの憧憬を抜きにして、西洋美術史について考えることはできないだろう。長きにわたり、この「古典古代」の文化と芸術に基づいて美術史上の「古典主義」が形成されたのであり、かのイタリア・ルネサンスも古代受容とともに発達した。特にフランスにおいては、17世紀以来、国家による芸術家養成システムであるアカデミー制度が整えられていくにつれて、古代美術を模範とする古典主義が体系化されていく。アカデミー制度では、美術アカデミー1が絶対的な決定権と権威を有していた。いわゆる芸術家のエリートコースは、「古典」を至上の価値とするパリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)で教育を受けた後、国家主催の定期展覧会であるサロン(Salon de Paris)で最優秀のローマ大賞を受賞し、イタリアのローマへの留学を経て、最終的にアカデミー会員に選出されることであった。このような仕組みと価値観は、1789年のフランス革命による絶対王政崩壊後も基本的に受け継がれた。一方で、ナポレオンの首席画家として名高いジャック=ルイ・ダヴィッドが牽引した「新古典主義」に代表されるような、古典主義の伝統を再解釈する流れも生まれていた。これには、ドイツの美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンの著書『ギリシア芸術模倣論』(1755年)や『古代美術史』(1764年)の大きな影響が見て取れる。その功績は、それまで古代ローマの方ばかりが賞揚される傾向にあったのに対して、古代ギリシアの美術作品を「再発見」したうえで高く評価し、今日に至るまでのギリシア・イメージを決定付けたことにある。ただし、ヴィンケルマンが古代ギリシア彫刻だと考えていたものの多くは、実際には後世の古代ローマ時代の模刻、いわゆるローマン・コピーであったという面がある。つまり、19世紀に入って本格化していく古代ギリシアの発掘調査がフランスに与えた衝撃にも着目せねばならない。以上の前提を踏まえて、本稿では、近代フランスの「ギリシア・モデル」について論じた研究書を紹介したい。

本書の概要

本書は、『フランス美術におけるギリシア・モデル(1815〜1914年)』というタイトルが端的に示す通り、19世紀フランスの画家や彫刻家が追い求めた古代ギリシアの模範・典型・題材を網羅的にまとめた研究書である。その範囲は、皇帝ナポレオンの失脚に伴う第一帝政の崩壊から、第一次世界大戦開戦の前夜にかけての、約百年間に及んでいる。著者ソフィ・シュヴァルベルグが2008年にパリ・ナンテール大学(旧称パリ第10大学)美術史専攻に提出した博士論文に基づくものであり、2014年、加筆修正版としてレンヌ大学出版から刊行された。豊富な文献資料や作品を紹介する、この371ページの大著を読破すれば、当時のフランスの絵画や彫刻において古典古代の主題がどのように扱われていたか、そして、ギリシア考古学(発掘資料に基づく古代ギリシア研究)がフランスの芸術家たちにどのように受容されていたのかを理解することができるだろう。

本書の目的は、近現代フランスの芸術家たちによるギリシア・モデルの認識と変容を、考古学の波及およびエコール・デ・ボザールの制度的動揺との関連において分析することである。そのために著者は、まず、芸術家自身の声を代弁する様々な一次資料を積極的に活用している。具体的には、芸術家の日記、回想録、書簡、そして美術指南書であり、その著者の中には今日忘れ去られた者も多い。さらに、時事問題に取材した雑誌記事や、古代ギリシアの美術作品を展示する美術館(特にルーヴル美術館)の資料なども参照される。

何より、サロンのリヴレ(作品情報をまとめた小冊子)と、このサロンの最優秀賞であるローマ大賞の受賞者の作品を対象とする、体系的で詳細な調査は重要である。先に述べたように、当時のフランスの画家・彫刻家にとって、サロンに作品を展示し、そこで評判を得ることこそ一番の栄誉であり、出世の道であったからだ。シュヴァルベルグは、サロン出展作品やローマ賞作品から古典古代の主題を抽出するという丹念な作業によって、19世紀美術界で高く評価され、とりわけ好まれたギリシア・モデルの傾向を明らかにした。それは主に二つのカテゴリーに分けることができ、「叙事詩的で教化的な領域(registre épique et édifiant)」に属する表現と、「叙情的で官能的な効果(effets lyriques et sensuels)」に特権を与える表現である。このようなギリシア・モデルがエコール・デ・ボザールで機械的に再現され、サロンで「古代風」の作品として大量生産されたことで、新しい表現を希求する芸術家たちは古代ギリシアへの関心に疑問を抱くようにさえなるのだが、他方で、各自の解釈によるギリシア受容が生まれていく。

本書の構成

本書は三つの主要セクションに分かれているが、それぞれの章の副題が示すように、ギリシア・モデルの変化の過程を時系列でたどる構成になっている。つまり、新古典主義的モデルからパルテノン主義的モデルへと移り変わり、そしてアルカイック〔初期ギリシア美術〕的モデルへと移行する、という流れである。

まず、第一部「パルテノン神殿の子どもたち(1815〜1848年)」では、この時期に確立されたギリシア・モデルを、科学的、学術的、博物館学的な観点から概観している。19世紀初頭の芸術家たちが知ることができた古典古代の模範は、主にローマ(19世紀以降のローマ賞受賞者が寄宿したヴィラ・メディチ)で目にしたものや、ヴィンケルマンの著作を筆頭とする文献によって広められたものに限られていた。それはつまり、新古典主義の創始者ダヴィッドの歴史画(peinture d’histoire)に示されているようなものだが、彼が1815年にブリュッセルに亡命して以降、こうしたモデルの優位性は揺らいでいく。背景には、アテネのパルテノン神殿を飾っていた大理石の彫刻群(クラシック時代)、いわゆるエルギン・マーブルの大英博物館での展示開始(1816年)と、《ミロのヴィーナス》(ヘレニズム時代)といった古代ギリシア彫刻の傑作を多く含むボルゲーゼ・コレクションのルーヴル美術館入り(1821年以降)があった。特に前者によって、フランスの芸術家はロンドンを訪れさえすれば、イタリアではなくギリシアから直にもたらされた彫刻群を見ることが、そしてローマン・コピーではない古代ギリシアのオリジナル作品に触れることが可能になった。そのうえ、すぐさま鋳造されたエルギン・マーブルのムラージュ〔鋳造複製〕が、フランスの美術館や個人コレクションに次々と収蔵されていく。こうして、芸術家たちは世紀を通じてパルテノン神殿の彫刻群の姿を借用していくことになり、また、これらをアトリエや指南書における典型的模範として用いるのである。さらに制度面では、1846年、ギリシア現地で考古学研究を担うべくアテネのフランス学院(École française d’Athènes)が創設された。

19世紀前半の代表的なギリシア美術信奉者の一人は、ダヴィッドの弟子の中では若い世代に属する画家、ドミニク・アングルである。彼の《ホメロス礼讃》(1827年、ルーヴル美術館)には、ギリシアに対する熱烈な支持とその独自の解釈が集約されている。アングルの役割として特筆すべきは、ローマのアカデミー・ド・フランス院長在任中(1835〜1840年)のヴィラ・メディチでの影響力であった。彼はそこで考古学の講座を開設し、寄宿生たちとともにギリシアの壷絵を模写する活動に熱中した。この寄宿生の一人に、本書の表紙を飾る絵画《泉のギリシア女性たち》(1839〜1840年、モンペリエ、ファーブル美術館)の作者ドミニク・パペティがいる。この画家は1846年に実際にギリシアを旅し、当時まだ考古学者による調査が始まっていなかった遺跡や彫像群の写生を数多く残している。つづく世代のジャン=レオン・ジェロームは、ネオ・ギリシア派として《雄鶏を闘わせるギリシアの若者たち〔闘鶏〕》(1846年、オルセー美術館)を描き、ギリシアという土地の固有色の復元を試みることによって、装飾芸術にも影響を与える表現を確立した。一方で、彫刻分野でのギリシア趣味の代表格はダヴィッド・ダンジェであり、彼の日記、書簡、公的な著作などには、エルギン・マーブルを実見した際の衝撃と、そのムラージュの研究が明示されている。彼はギリシア彫刻に基づく新古典主義彫刻の理念を推し進め、エコール・デ・ボザールにおける教育にも熱心に取り組んだ。

つづく第二部の「〈原始ギリシア美術館〉の時代(1849〜1879年)」というタイトルは、1849年にルーヴル美術館に設けられた、アルカイック時代(前6世紀頃)の美術品の展示室の名前に因むものである。そこには、古代ギリシアの名高い彫刻家フェイディアスより前の時代に位置付けられる彫像やレリーフのみが集められていた。この時期のギリシア美術は「芸術の幼年期」として軽視されており、実際、展示の目的は「フェイディアスに代表されるような偉大なるギリシア美術が、このような進歩的な努力の賜物であるということを、一般の人々に理解してもらう」ことにあった。しかしながら、考古学界では、同時並行的に異なる見解が生まれていた。例えば、考古学者シャルル=エルネスト・ブレは著書『フェイディアス以前のギリシア芸術史』(1868年)の中で、パルテノン神殿の大理石群よりも「幾何学的な」芸術を支持し、クラシック時代のギリシア彫刻と対等に渡り合うものとして、アルカイック彫刻を再評価した。この流れに呼応するように、美術界においても、ギュスターヴ・モローやピュヴィス・ド・シャヴァンヌら象徴主義世代の画家たちが、「非古代的」とさえ言える古代の再解釈を提示するのである。

また、世紀半ば以降、古代ギリシア美術の多色性、すなわちポリクロミーをめぐる美学的・考古学的な論争が繰り返されたことも特筆に値する。主に建築家ジャック=イニャス・イトルフの作品に見られような、建物や美術品にオリエント的な色彩を取り入れた古代ギリシアのヴィジョンは、画家や彫刻家を魅了するだけでなく、鋳型や鋳造業界にもその支持者を増やしていった。この論争に最も関与した画家・彫刻家は前述のジェロームであり、彼は50年間にわたって、色鮮やかなカンヴァスと官能的な彫刻によって古典古代のポリクロミーを普及させた。さらに、その作品群はグーピル商会により、多数の複製が作られたのである。

最後の第三部「シュリーマンの足跡(1880〜1914年)」では、19世紀末から20世紀初頭にかけての主要な発掘調査における発見をまとめながら、各世代の芸術家が受け継いだ古典古代の遺産と、そのギリシア・モデルを維持または更新するための努力について考察している。まずドイツのシュリーマンがミュケナイ文明を、つづけてイギリスのアーサー・エヴァンスら考古学者たちがクレタ島のミノス文明を発見した。前者の功績は主要な出版物を通して、専門家ではない一般市民にも浸透したが、とりわけアルカイック時代のギリシア美術作品の認知度を向上させることに成功した。そしてフランスの芸術家たちは、シュリーマンが作成した全書・大全に掲載された図版を熱心に収集したのである。

このようにして1880年代以降、《オーセールの婦人像》や《サモスのヘラ》のようなアルカイック期の代表的な彫像作品がルーヴル美術館に次々と収蔵されると、写実的なエルギン・マーブルとは異なる、その様式化された形態が新世代の彫刻家たちの心を捉えた。代表者として、オーギュスト・ロダンの弟子であるアントワーヌ・ブールデル、そしてアリスティド・マイヨールが挙げられよう。彼らは個人的な解釈を通して、その作品上に複数の古代作品を重ね合わせることで、ギリシア・モデルを復活させたのである。また、ジョルジュ・ロシュグロスをはじめとした画家たちは、崇高なるアルカイスムを土台としながら、「野蛮なギリシア」、すなわち「文明化されていない」ギリシアの姿を描き出した。

本書の成果と残された課題

18世紀半ば、ヴィンケルマンがギリシア固有の美術を再評価したことで、古代ギリシアを古代ローマと区別する向きが強まった。無論、双方は相変わらず「古典古代」として境界が曖昧なまま受容される面はあったのだが、より「ギリシア的なもの」を求める動きが生まれたことは確かである。なかでもフランスにおいては、古典主義を基盤とする伝統的な美術制度を背景として、全体的にも個人の探究においても、「正しいギリシア像」を学び、再現することにこそ芸術表現の意義が見出された。シュヴァルベルグの著書は、こうした取り組みに改めて光を当て、初めてこれを具体的かつ詳細に論じたものである。

本書の成果は、フランス近現代美術史においてギリシア・モデルが果たした役割を通して、19世紀初頭の新古典主義的な図式と20世紀の芸術家伝説(芸術家個人の達成)という、一見ほとんど繋がりがないように思われる二つの領域のあいだのギャップを埋めたことにある。そのために著者シュヴァルベルグは、美術史と考古学の間を行き来するという二重の動きのアプローチを採用している。19世紀最後の四半世紀は、ギリシア地域で大規模な発掘調査が展開されると同時に、大学において歴史学や古代文学から独立した学問分野として美術史や考古学が誕生した時期であった。考古学研究の発達は、何世紀にもわたって築き上げられてきた古典的な古代モデルを根底から覆した。もう一方で、芸術家たちは考古学上の発見を独自の作品へと高め、そうして生み出された一連の新たなギリシア・モデルが、今度は学術的な研究に影響を与えることさえあったのである。したがって本書は、近現代美術史研究に従事する者だけでなく、古代受容の歴史家や、エコール・デ・ボザールおよびその他の権威ある施設(とりわけローマのヴィラ・メディチ)における美術・考古学教育を調査する研究者にとっても有用である。実際、本書の冒頭には、古代ギリシアを専門とする考古学者とフランス近現代美術史研究者の二人が序文を寄せている。前者のパリ第1大学名誉教授アラン・シュナップは、ギリシアの物質的再発見の前段階を概観することで本書の議論を補完し、つづく後者のセゴレーヌ・ル・メンは、シュヴァルベルグのパリ・ナンテール大学時代の指導教授として、美術史上の古代受容研究における本書の新規性を明らかにする。

ギリシア・モデルを多角的に捉えたシュヴァルベルグの著書には、21ページに及ぶ豊富なテーマ別書誌・索引・図版表と135点の掲載図版が付されており、私たちの読解の手助けをしてくれる。ただし、図版に関しては中央の12ページのカラー部分を除いてほとんどがモノクロ掲載であり、何より、一様に不鮮明であるのが残念だ。本書の重要な議論の一つが、古代彫刻のポリクロミーの受容であるからこそ、より鮮明な画像によって関連作品を確認できると分かりやすかっただろう。

また、本書の主軸が「古典古代を規範とするアカデミー制度からギリシア・モデルの変容を分析すること」であるため、美術アカデミーに評価されなかった画家、すなわちウジェーヌ・ドラクロワといったロマン主義世代の画家たちのギリシア・モデルをめぐる考察は十分とは言えない。新古典主義の理念に対抗する形で現れたロマン主義画家たちは、1821年勃発のギリシア独立戦争を支持する親ギリシア主義(philhellénisme)の高揚とともにその画歴を開始した世代でもある。彼らはこのオスマン・トルコの支配に対するギリシア人の闘争を積極的に絵画化しながら、「生きたモデル」である同時代のギリシア人の描写に個性を発揮した。彼らのギリシア・モデルとはどのようなものだったのか、果たして新古典主義的モデルからパルテノン主義的モデルへの潮流に位置付けられ得るのか、という点まで検討されれば興味深い。

今年2024年は、本書の出版から十周年を迎える年である。この間、フランスにおけるギリシア受容の問題はさらに積極的に取り上げられるようになった。特に、ギリシア独立戦争から二百周年を記念する2021年には、ルーヴル美術館で「パリとアテネ:近代ギリシアの誕生(1675〜1919年)」展が開かれ、学術雑誌『美術史』(Revue Histoire de l’art)のギリシア特集が刊行され、ソルボンヌ大学で近代ギリシア表象をテーマとしたシンポジウム2が開催されるなど、学術的な進展が際立った。このような活況のなかで、本書はいまなお参照すべき重要な研究であり続けている。

文献案内

本書でも繰り返し参照される、西欧近代の古代ギリシア受容に決定的な影響を及ぼしたヴィンケルマンの1755年の著書の邦訳版、『ギリシア芸術模倣論』(ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン著、田邊玲子訳、岩波文庫、2022年)が刊行されている。この記念碑的著作が日本語で読めるというだけでも喜ばしいが、ヴィンケルマンの生涯やその活動の影響などをまとめた巻末の解題は必読である。また、そもそも西洋美術史の「古典」とはどういうものなのかを知るには、各時代・地域の専門家が考察した論集『古典主義再考I:西洋美術史における「古典」の創出』(木俣元一、松井裕美編、中央公論美術出版、2021年)を参照されたい。フランス近世・近代の古代受容については第三部に詳しい。これと並行して、『ローマの誘惑――西洋美術史におけるローマの役割』(喜多崎親編、三元社、2021年)を確認すれば、ローマありきのギリシア解釈という流れも理解できるだろう。フランス美術に焦点を絞る研究としては、『新古典主義美術の系譜』(木村三郎編、中央公論美術出版、2020年)と、『アカデミーとフランス近代絵画』(アルバート・ボイム著、森雅彦、阿部成樹、荒木康子訳、三元社、2005年)を挙げておきたい。前者は18世紀中葉から19世紀初めにかけての美術アカデミーで重要な役割を果たした画家・建築家たちの作品分析を通して、新古典主義の理念を具体的に検討する論文集である。そして後者は、芸術社会史に基づく研究アプローチで名高い美術史研究者による1971年出版の代表的著作の邦訳であり、現在でもフランス近代美術史を学ぶ者にとっての基本書となっている。19世紀のアカデミー教育の中にこそモダニスムの芽があったことを解明し、「アカデミスム対前衛」という単純な対立構造からの脱却を促したボイム本には、本書が論じるギリシア・モデルの探究と刷新という問題も内包されていると言えよう。

フランス語文献については、「本書の成果と残された課題」で言及したルーヴル美術館開催の「パリとアテネ」展の展覧会カタログ(Paris-Athènes. Naissance de la Grèce moderne 1675-1919, cat. exp., Paris, Musée du Louvre, 2021.)と、学術雑誌『美術史』のギリシア特集(Dominique de Font-Réaulx (dir.), Revue Histoire de l’Art : Grèce(s), no 86, Paris, 2021.)の二冊によって、本書に続く研究史を概観できる。いずれも、フランスが古代から現代に至るまでのギリシア文化とどのように向き合ってきたのかを、美術史・考古学的な観点から論じた論考集となっている。とりわけ後者の『美術史』にはシュヴァルベルグも寄稿しており、本書の議論をより深め、彫刻家ダヴィッド・ダンジェとアントワーヌ・エテックス、そして画家ドミニク・パペティの三者によるアルカイスム解釈を比較しながら、古代ギリシア美術の道徳的・政治的意味合いでの受容を明らかにしている(Sophie Schvalberg, « Une préférence idéologique pour l’archaïsme grec chez trois artistes français du XIXe siècle », pp. 61-70.)。また、同誌所収のデボラ・ギヨンによる論考では、ドラクロワのギリシア表象に潜むオリエンタリズムが指摘されており、ロマン主義世代のギリシア・モデルに関しては物足りない本書の内容を補完してくれる(Débora Guillon, « La Grèce vivante, polychrome et orientale d’Eugène Delacroix », pp. 195-206.)。

1正確に表記するならば、絶対王政下の呼称は「王立絵画彫刻アカデミー」であり、この王立アカデミー付属の美術学校として設立されたのがエコール・デ・ボザールであった。詳しくは『西洋美術研究 No. 2:特集「美術アカデミー」』(三元社、1999年)所収の栗田秀法「王立絵画彫刻アカデミー」および三浦篤「19世紀フランスにおける美術と制度」を参照のこと。

2本シンポジウム「ギリシア独立戦争とフランス(1821〜2021年)」はコロナ禍により2022年11月25日に開催延期となったが、フランスやギリシアの大学に所属する文学・西洋史・美術史の研究者たちが集うという学術横断的なイベントであった(参照URL : https://lettres.sorbonne-universite.fr/evenements/journee-etude-la-guerre-d-independance-grecque-et-la-france)。発表者の一人として参加した筆者にとって、聴衆の中にパリで暮らすギリシア・ルーツの人々が多く含まれていた点も印象深かった。同シンポジウムの内容は2024年度中にクラシック・ガルニエ社から論文集として刊行予定である。

参考文献(年代順)

  • Hélène Jagot, La peinture néo-grecque (1847-1874) : réflexion sur la constitution d’une catégorie stylistique, Thèse de doctorat sous la direction de Ségolène Le Men, soutenue le 25 janvier 2013 à l’université Paris Nanterre. URL : https://theses.fr/2013PA100017 [最終閲覧:2024年6月1日]
  • Christophe Hugot, « Compte rendu de l’ouvrage de Sophie Schvalberg paru aux Presses universitaires de Rennes, 2014. », Insula (Le blog de la Bibliothèque des Sciences de l'Antiquité, Université de Lille), ISSN 2427-8297, mis en ligne le 06/10/2014. URL : https://insula.univ-lille.fr/2014/10/06/le-modele-grec-art-francais-1815-1914/#identifier_6_37275 [最終閲覧:2024年6月3日]
  • Sophie Montel, « Sur l’art grec et les moulages. Compte rendu de Sophie Schvalberg, Le modèle grec dans l’art français 1815-1914, Presses universitaires de Rennes, 2014. », Dialogues d’histoire ancienne, vol. 44, no 2, 2018, pp. 371-373. URL : https://www.persee.fr/doc/dha_0755-7256_2018_num_44_2_4684_t31_0371_0000_1[最終閲覧:2024年6月3日]
  • Sophie Schvalberg, « Les révisions du modèle grec par les artistes français au XIXe siècle », Encyclopédie d'histoire numérique de l'Europe, ISSN 2677-6588, mis en ligne le 23/06/2020. URL : https://ehne.fr/fr/node/14171[最終閲覧:2024年6月4日]

出版元公式ウェブサイト

Presses Universitaires de Rennes (https://pur-editions.fr/product/7189/le-modele-grec-dans-l-art-francais)

評者情報

湯浅 茉衣(ゆあさ まい)

現在、パリ・ナンテール大学大学院博士課程。東京藝術大学、東京都立大学非常勤講師。東京大学大学院人文社会系研究科(美術史学)博士課程単位取得退学。専門は西洋美術史、特に、ウジェーヌ・ドラクロワを中心とする19世紀フランス絵画。主な研究テーマはギリシア独立戦争の絵画化で、古典古代の理想美と近代オリエンタリズムとの交差について調査している。

researchmap:https://researchmap.jp/Eugene98-Delacroix63