2025年1月6日
ジル゠ガストン・グランジェ『科学の本質と多様性』
松田克進・三宅岳史・中村大介(訳), 白水社, 2017年
評者:藤貫 裕
凡例
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はじめに
フランス哲学を通史的かつ体系的な仕方で日本に初めて紹介した九鬼周造(1888-1941)は、哲学と科学の協働——九鬼が特に着目するのは、哲学と自然科学(特に数学)との密接な連関、そして著名な科学者が
そして評書は、以上で確認してきたグランジェ像、ひいては彼の哲学の全体像を理解する上でうってつけの書物である。というのも、評書がクセジュ文庫という一般読者向けのシリーズに収録されるにあたり、グランジェはテクニカルな論述を「できるだけ避けることにした」(7)上で、自らの思索を貫く主題の一つである科学論のエッセンスをわずか百頁余りに凝縮して論じてくれているからである。しかもグランジェは、そこで科学を単純化して語るという安易な道を歩むことなく、むしろ、科学史の具体例にどこまでも立脚することで、諸科学の変遷や多様性も損なうことなく読者に提示しようとしてくれている。こうした特徴づけを踏まえて本稿では、まず評書全体の要約を通じて内容の大筋を概観した上で、特にその数学論と認識論に着目しながらコメントを付すこととする。
要約
まず評書全体の大まかな流れを確認しよう。なお、本要約で辿る論述の筋はグランジェ本人のそれを当然おさえているが、その完全な再現ではなく評者による再構成も含むことをはじめに断っておく(この点については「コメント」で後述する)。まず第一章と第二章では、20世紀後半から現在に至るまでが「科学の時代」と特徴づけられた上で、その特徴と諸問題が概観される。特に集中的に論じられるのは、科学的知識と技術の関係をどう理解すべきかという問題である。グランジェが注意を促すのは、現代は科学的知識と技術の結びつきが極めて密接な時代である一方、「技術的な知を科学的知識と混同する」のは「誤謬」であり、科学の理解に関する「見当違い」を生じさせるもとであるという点である(8)。次にグランジェが第三章から第五章にかけて取り組むのは、科学内部における統一性と多様性の解明である。第三章では諸科学における対象に応じた「方法」の多様性を認めた上で「目的」に統一(への方向性)を認めるという理解が示される(57, 67)。その後、まず第四章において数理科学(専ら数学)と経験科学(物理学を中心に化学・生物学)における対象や方法の異同や連関が論じられた上で、第五章ではさらに経験科学内部における人間科学の科学としての位置づけが検討される(8–9)。これらの考察では数学が「科学」の範例として位置づけられた上で、それとの近さや遠さを通じて他の諸科学の科学としての性格づけが試みられるという点が特筆される(76, 92–93, 123)。最後に第六章と結びにおいて、科学史の解釈を通じて、これまでとこれからの科学知の「進歩」が、その本質的な「限界」についても考慮に入れた上で擁護されるに至る(9, 152–153)。
こうした流れを念頭においた上で、各箇所におけるグランジェの論旨にもう少し踏み込んでみよう。20世紀後半以降が「科学の時代」として特徴づけられるのは、グランジェによれば、どの時代よりも科学が社会や日常生活に普及したからである。しかし、その普及は科学的知識や理論そのものの普及ではなく、「科学ジャーナリスト」らが様々なマスメディアを媒体に広めた「大衆化された」科学「観念」の拡散であり、また、科学的知識を応用した科学技術の産物である工業製品の浸透である(17, 19–20)。
グランジェは、特に後者が科学に関する現代の理解や問題意識を決定的に規定しているとみる。まず科学者は、研究の技術的応用が急速に進展する中で、それらが提起する倫理的問題に対する自らの社会的責任を問われるようになっている。科学者はこの問いに向き合わなければならないが、それは「科学者たちによって同意される自己規制」——ただし、それは科学的探究そのものではなく、応用に関する制限に限られる——によって対応されるべきであり、社会(とりわけ政治権力)による介入を認めるべきではない(23–25)。一方、製品の利用者であるほとんどの一般の人々にとり、科学とは「技術的な、目に見える性能」でしかなく、「科学が生活にどのように介入しているかについては全く無知である」。さらに、彼らにとって科学的知識と技術との結びつきは、はじめから自明のものとされる(17)。
しかしグランジェのみるところ、歴史的にみれば元々科学的知識と技術は思想的にも実際的にも独立していた上、二つが密接に結びつくようになった近代以降も、現代に至るまでその結びつきは決して完全なものではないのである。例えば、アリストテレスは「技術」(テクネー)が「科学」(エピステーメー)と同様に「理性的知識」であるとする一方、それは実践的であって科学知が備える「中立的」で「論証可能」という性格は有していないとして、二つの差異を強調した(27–29)。さらに、古代には東西を問わず「技術的発明は科学的知識とほぼ完全に無関係であった」(32)。ルネサンス期ですら、基本的に技術とは「経験的な」技術、すなわち「理論的説明から引き出されたのではなく、経験や実践から直接導き出された知識」であり、科学者としても技術者としても一流だったレオナルド・ダ・ヴィンチにおいてすら、科学的知識と技術の統合については基本的に構想ないし萌芽段階に留まっていたのだ(30)。
グランジェによれば、「完全かつ確実な仕方で科学が技術に浸透したという事実」を最もよく確認できるのは、近代における「時計」の事例である。ヨーロッパでは中世(14世紀)以来、職人の熟練した技術を要する「エスケープメント」と呼ばれる装置でもって、時計の歯車の動きを制御していた。それが17世紀に入り、ガリレオとホイヘンスによって振子運動に関する「等時性の理論」が確立されると、その理論に基づく振子時計が制作されるようになる。そこではこれまで職人には重視されなかった科学理論への忠実さ、具体的には、振子の振動がサイクロイド曲線を描くようにすること(この場合にのみ振子運動は厳密に等時的になる)により重きが置かれるようになる(36–37)。さらにグランジェは、17世紀から19世紀にかけての「蒸気機関」、そして19世紀から20世紀初頭の「無線工学」の事例を取り上げ、それらにおける技術的発明と科学的知識との緊密な結びつきを歴史的産物として描き出す(38–43)。
それでは現代に至り、ようやく科学的知識と技術との結びつきは完全になったのか。グランジェは現代における科学理論の技術へのかつてない浸透具合を認める一方で、その浸透がむしろそれらの結びつきの再編制・分離を促している点に注意を促す。ここでグランジェが特に着目するのは、「知的能力」——ここで「知的」というのは他の機械との協働が可能かつ、働きの自己制御・調整が行えるといった位の広い意味で解されている——を有する「情報を扱う機械」(グランジェが一例として挙げるのは飛行機の制御システム)である。こうした機械を扱う使用者に要求されるのは、以前のように機械を用いて何かをすることではなく、機械の働きを管理するという「一段上の技術性」である。さらに、こうした機械の使用は、その機械を成立させている理論に関する十全な理解を必ずしも必要としない(47–49)。グランジェの見立てでは、上述してきた現代の諸状況および科学知と技術との連関に関する歴史的経緯の忘却こそが、科学に対する過度の崇拝や軽蔑を生み出す共通の源泉である(8)。そうした極端な誤解を根絶していくためにも、教育における教養——それは科学に関する一般教養は勿論、人文主義的教養や文化一般も含む——を重視しなければならないのだ(50)。
こうして科学とその応用としての技術との結びつきを、その歴史性において明らかにしたグランジェは、いよいよ評書の主題である科学の統一性と多様性というテーマの検討へと歩を進める。グランジェによれば、科学が統一的であるということと多様であるという事態は両立する。しかし科学の統一性としてグランジェが念頭におくのは、20世紀前半にウィーン学団を筆頭とする論理実証主義者が主張したような非常に強い意味での方法論的統一性ではなく、目標の共有という弱い意味での——しかし、非(原・擬似)科学との区別には十分であり、かつその緩さによって科学の方法や対象の複数性の了解も可能となるような——統一性である(51–52)。その目標とは「実在」を目指すこと、より正確に言えば、その探究に向けて「夢想や想像の産物[と実在]の境界を確定するというつらく絶え間ない」課題を自らに課すことである。この態度は科学が「記述かつ説明」に専念して価値中立的であること、そして自らの「適切性の基準を常に問題とすること」、即ち、学問的作法に則った「公共的な」「検証」にいつも開かれていることを要求する(57–61)。この検証にあたっては、理論の正誤を完全に定め得る「決定的実験」はあり得るのか、「潜在的事象」を扱う科学理論が「現実的事象 faits actuels」を説明し得るのか——例えば、個別具体的な「歴史的条件」(例 空気抵抗や重力)を捨象することで完全に規定された物体の落下時間や速度(「潜在的事象」)を扱う力学理論に、現実における個々の落下の事例(現実的事象)の完全な予測は可能か——といった原理的問題がある(62–64)。しかし、たとえ「決定的実験が存在しない、あるいは少なくとも稀にしか存在しない」としても、各知識の「理論体系」への「組織化」、数学に基づく「構造化」、そしてそれらの知識の経験による検証のいずれも十分可能である(110-111)。また、潜在的事象と現実的事象のずれがもたらす「不確実性」を完全に除去することは出来ずとも、「潜在的事象の表現」を「徐々に十全なものと」していくことで、「説明能力と予測能力」の向上が期待できるのである(132–134)。
それでは、こうした科学としての在り方を最もよく体現している学問は何か。グランジェによれば、「科学の地位に到達した、歴史上最初の知識」こそ数学に他ならない(76)。このように数学を重視するグランジェの論述は、本書の中でもとりわけ力のこもった高密度なものである。勿論分かりやすくするための配慮は適宜なされているが、それでも他の箇所と比べると抽象度が格段に上がる上に、一定以上の背景知識を要する箇所も少なくない。そこでここでは、グランジェの数学論ひいては哲学の核心——「双対性」と「形式的内容」という密接に関連する二つの概念——の論述に絞って内容をまとめよう。
双対性とは、形式科学(論理学と数学)で顕著にみられる「操作と対象の相関関係」であり、形式的内容とは、特に数学的対象で確認されるような、対象を「構成した操作体系の内部において直接読み取ることのできない豊かな性質」である。グランジェは「一六世紀の代数学者たち」による「ある種の三次方程式を解くために、古典代数の演算[操作]規則を踏み越え」「負数の平方根を取り出せると仮想」するという試み(三次方程式に関するカルダーノの解法の定式化)を事例に、これらの概念を説明する。グランジェによれば、ここには双対性と形式的内容の典型例が見出される、即ち、ここには操作(演算規則の一般的定式化)による新たな対象(負数の平方根)の産出という意味で「双対性」が見いだされる上に、その対象は、それを生み出した当の操作体系の規則におさまらない(実数を専ら対象とする当時の代数学では負数の平方根を求める操作は規則違反として問題視された)「形式的内容」を備えている、とみなせるのだ。そして、この問題は2世紀以上後にオイラーやガウスらが確立した複素関数論によって解決されるが、そこで導入された複素数という「新しい対象は、きわめて豊かな全く新しい性質を帯びたものとしていまや姿を現し、それらの性質の探究が「複素解析」[という新分野]を構成する」に至った。要するに、数学は操作が新たな対象を生み出すという意味だけでなく対象が新たな操作(体系としての理論)を導くという意味でも双対的である。こうしてグランジェは、双対性と形式的内容という概念を組み合わせることで、数学的対象を「思惟の操作に由来する」一方、「一種自律的」でもあるような「創造された」存在として描き出す(82-85)。さらにグランジェのみるところ、数学におけるこうした双対性こそが、証明という検証において感じられる「数学の一貫性の感覚」の源泉であり、また、数学が「他の科学に対して厳密な知識のパラダイムを提供し続ける」——初期の数学基礎論におけるヒルベルト・プログラムの挫折やゲーデルの不完全性定理が示すように「その厳密さは常に相対的であり絶対的な基礎付けは達成されていない」という留保つきだが——根拠である(92)。
これに対して物理学をはじめとする経験科学では、前章でも言及された「潜在的事象」という「経験の抽象的図式あるいはモデル」を対象とするのだが、その取扱いには数学が用いられる。重要なのは、「経験科学の対象は、厳密にいえば抽象物」である一方、「一定の手続きに則って私たちの感覚による確認作業へと結びつけられる」ということである(92–93)。グランジェが具体的に注意を促すのは、「近似」や「確率」といった数学的概念の役割である。前述の通り抽象的な潜在的事象は、個別具体的な現実的事象とのずれを本質的に孕まざるを得ない。しかし、近似や確率といった概念を導入することで、そのずれもまた理論的に取り扱い可能になる、つまり、近似や確率は、(潜在的事象に基づく)理論を(現実的事象の)観測・計測を通じて検証する際、二つの間に生じたずれをどこまで考慮すべきでどこから無視してよいかに関する指針を与える(105–107)。このように経験科学では理論(潜在的事象)は勿論のこと、理論と現実(現実的事象)の対応においても数学が大きな役割を果たしているのだ。
一方、人間科学は人間を研究対象とすることによって、上述してきた形式科学や経験科学とは全く異なる困難を抱えることになる。つまり、人間的事象は「自由および予見不可能性」を備えるとともに、その事象においては「実証性と規範性」や「現実と願望」といったものが「緊密な結びつき」を有しているが故に、「論理的にそして数学的に操作可能な抽象的図式」への還元が「きわめて困難」な「個別性」を備えているのだ(112–113, 152)。そのため、まず人間科学における「概念化」に際しては、「実際の実現化にとって全ての副次的な条件を取り去った」潜在的事象とは異なり、「人間的事象としての独自性をそれらの事実に保持しつつ取り去ること」が要求される。そして、この取り去りの程度は人間科学の中でも分野によって大きく異なっている(97, 118)。例えば、精神病の治療に向けて「当初は全く個人的な内面を言語表現のもとに晒し出すこと」を志向していた精神分析では、たとえ「普遍的と想定される[精神の]メカニズムを手掛かりとして内面を解釈する」にせよ、その取り去りの程度は最小である。また、諸言語間に共通な構造を探求する構造言語学、例えば「多様に発声および知覚される音によって実現可能な」「虚構的ないし仮想的な要素」概念である「音素」においては、「人間的体験の具体的な諸相がより深くさっぱりと取り去られている」(118)。さらにグランジェは、社会学者・哲学者のJ=M・ベルトロによる説明枠組みの六区分(因果・機能・構造・解釈学・行為項・弁証法)を紹介した上で、こうした説明タイプの複数性は「人間的事象の本性それ自身に由来しているものとして許容されねば」ならず、「人間的事象の科学的認識は、いくつもの枠組みを結合させることによって初めて成功し得る」のであり、「枠組みを重ね合わせたりつなぎ合わせたりする様式は、個別のケースごとに決定されねばならない」のだとする(122–123)。
こうして人間科学は、概念や説明における特殊性において自然科学から明確に区別されることになる。とはいえ、数学は人間科学——特にグランジェが好んで取り上げるのは彼の主たる専門である経済学だ——でも活用されうるし実際されていることは勿論である。とりわけ「モデルの構成」への寄与という点に「人間科学における数学の最も有意義な用途」が見出される。この寄与の仕方は多様であり、例えば「限界効用説の経済学」における「経験の中には直接的には現われない、はるかに洗練されたトポロジー的性質」の「要請」(ドブリュー)や、微分や偏導関数といった諸概念の経済学的現象への適用といった事例(ジェヴォンズ・ワルラス・パレート・マーシャル)が、グランジェによって取り上げられる(126–127)。さらに、人間の社会的関係(親族関係やヒエラルキー関係他)のグラフ化(グラフ理論)や、個人的・集団的行為の確率計算(ゲーム理論)においては、「人間科学は独自な形式の数学化へ向かった」とみなされる(127–129)。こうした諸見解を披露した上で、最後に「諸理論の数学的発展が、また他方ではシミュレーションや計算をより効果的なものにする事実の概念化の決定的な進展が、人間科学の説明能力と予測能力を高めるのに寄与できるのでないか」と付言し、グランジェは人間科学と数学の関係に関する考察を終える(134)。
上述のように、形式科学から経験科学を経て人間科学の諸ジャンルを横断してきたグランジェの思索は、最後に科学の歴史的推移を縦断した上でその結論へ到達する。グランジェはクーンのパラダイム論に「擬似パラダイム」や「準パラダイム」といった独自の概念も組み合わせることで、科学史に進歩を認めた上でそれを連続性と非連続性の両面を併せ持つものとして描き出す。グランジェの理解する「パラダイム」とは、「目標、扱う問題の形式、手続き、検証規則において比較的統一された一つの知識」体系である。こうしたパラダイムとしての科学は、近代(17世紀)に入って初めて成立した、言い換えれば、それまでは「相互伝達の現実的可能性がなく、科学に属する問題のタイプも問題に適用すべき手順のタイプも十分正確には規定されていなかった」多種多様な「擬似パラダイム」が乱立する「原-科学の時代」であった。グランジェによれば、この原-科学(擬似パラダイム)から近代科学(パラダイム)への移行こそ、そしてそれのみが科学史において「根本的な断絶」を画す「外的な非連続性」である(137–139)。
それに対して、近代以降の科学史には、一つのパラダイムにおける「準パラダイム」間の「内的非連続性」が見出される。例えばニュートンの古典力学とアインシュタインの特殊相対性理論との間には、明確な「断絶」(非連続性)がある一方、それらを「理論の継起」として連続的に理解することもできる。特殊相対性理論では、力学的に「現象を記述する枠組み」である「時間と空間の座標系が根本的に変容され」、「空間と時間の測定手続きは観測地点と観測対象の相対運動に依存することになる」し、「光現象の伝播速度は絶対的な普遍定数」となっている。しかし、「現象を記述し説明しようとする配慮、そして演繹的整合性と実験によるチェックの要求」といった、近代科学として満たすべき方法論的態度や手続きは揺るがない。さらに、それら二つの「理論間の翻訳」が可能であることを見過ごすことはできない。つまり相対性理論という理論体系は、古典力学を自らの「弱められた一部分に同一視できる」し、古典力学における「限界や不備、さらには成功をも説明すること」が可能なのである。こうしてグランジェは力学における「旧理論から新理論への翻訳ないし移行は、なるほどそれが激変のように見えるとしても、決して真の矛盾を引き起こしはしない」とみなすことによって、そこに内的な非連続性はあるにせよ「包括的な意味での進歩」を認めるのである。なお、グランジェはこうした事例が「到達すべきであるが[実際は]時折にしか到達されない理想」であって、実際の科学史は「競合する理論の争い」に満ちており、さらにその解決が「一続きの問題」を新たに提起する——同じく物理学史から一例を挙げれば、量子力学における光の粒子説と波動説の競合問題に対するコペンハーゲン解釈による解決は、その解釈を巡る新たな諸問題を生起させた——という仕方で複雑かつ動的に進歩する、と断ることも忘れていない(140–144)。
グランジェはこうした一連の考察を経て以下のように結論づける。科学は「絶対的な確実性」は有さない「必然的に部分的で相対的なもの」——「定理が真である条件を正確に知ることができる数学」を除く——であり、個別的実在の把握や価値の問題への解答に対しては本質的な限界を有している。しかし、「対象を著しく変質させることなく、こうした個別化を無効にすることができるとき」にはその力を十分に発揮するとともに、人類に「知的な満足」や「美的な満足」を授け続けてくれるような、「深い驚嘆と理知的な信頼こそが相応しい」、「人類が創造したものの中でも最も驚くべき」営みの一つなのである(152–153)。
コメント
以下コメントを付していくに先立って、要約のはじめに述べた評書の筋に関する話について一言しておく。非常に充実した内容もさることながら、各論点を過不足なく論じつつそれらを無理なく結びつけ展開していくグランジェの巧みな論の運びは、それ自体評書の大きな魅力の一つである。しかし、グランジェの達人芸によって細部まで組み上げられている論の枠組みを保持しながらさらにそれを圧縮するという作業は、専門外の若輩者である評者の力量を遥かに超えることであった。そこで上掲の要約では、主題に関する全体としての流れが大掴みできるよう、大胆に論述の取捨選択を行っている。その結果、グランジェ独自の重要概念のいくつかに全く触れることができなかった。それらの落穂拾い——勿論そこでも全てが取り上げきれるわけではないが——からコメントを順次進めていきたい。
まず、第二章でグランジェは科学的知識の応用としての「科学」技術に対比するかたちで「スタイル」(様式)としての技術という概念を打ち出している。スタイルとしての技術とは、例えば中世における熟練の工芸職人が有していた「作品をその職人ならではのものとすることができるようなコツと手腕」であり、それが職人に個性的な「自己表現」を可能にしたり、作品により高い価値を与えたりといった「スタイルの効果」をもたらす(45)。この「スタイル」はグランジェが集中的に考察した主要概念の一つで、特に『スタイルの哲学試論』([1968]1988、未邦訳)の中で、この概念に関するより一般的かつ詳細な分析が展開されている。次に第三章で科学が「実在」を探求すると指摘するとき、グランジェは彼の言う実在が「メタ概念」という「経験に直接的にではなく、経験の表象に適用される概念」の一つであると注記している(58)。このグランジェの実在理解について評書でこれ以上の説明はないが、『哲学的認識のために』([1988]1995)では彼の哲学観と関連づけられながら説明がなされている。そこではまず、哲学が固有の領域を対象としてもたない点で他の諸科学から区別された上で、諸科学を比較してその特徴を明晰にする「メタ科学」として位置づけられる。そしてこうした「メタ科学」としての哲学が扱う概念が「メタ概念」であり、「実在」もそうした概念の一つとされる。要するにグランジェは、科学的探求の対象としての実在を素朴に前提しているわけではないし、科学におけるどれか一つの分野だけが特権的に探求できるものとして実在を捉えているわけでもない。こうしたグランジェの哲学や実在理解については、邦語の先行研究でも簡潔にまとめられているので参照されたい(小林 2008 : 735)(近藤 2013 : 88–89)。なおここでは、小林(2008)(加えて小林[2000])と近藤(2013)が、本書評で紹介した内容は勿論、グランジェの主要な思想について背景思想もおさえた上で詳論した——とりわけ前者はそのエッセンスをコンパクトに紹介し、後者は具体的な論述まで踏み込んだ上で批評まで展開している——、グランジェ研究の基本文献であることを付言しておく。もう一つ言及しておきたいのが、第六章でグランジェが触れている「カテゴリー」という概念である。グランジェのいうカテゴリーとは、「科学的対象のタイプそのものを規定する根本概念」であり、例えば数学における「超越数」や経済学における「効用」がカテゴリーにあたるのだという。グランジェによれば、「カテゴリー」の発見こそが、「原-科学から科学への区切りを入れる」「本質的な特徴」であり、その後の科学史も「科学の対象を相次いで構成してきた「カテゴリー」の系譜学」である(149–150)。要するにグランジェは科学史を、要約で見てきたような「パラダイム」論の改鋳を通じてだけでなく、彼独自の「カテゴリー」概念によっても理解している。そして後者は、「概念の内的運動」に基づく科学の自律的発展という、グランジェ独自の科学史理解を支える核心的概念であるという点でより重要なのである(150)。このカテゴリーを主題とするものではないが、前掲の近藤論文(第二節・第三節)では、グランジェの師匠であるジャン・カヴァイエスの「概念の哲学」とグランジェのそれとの異同が論じられているので、参考になるだろう(近藤 2013 : 41–86)。
さらに言えば、要約で触れられなかったものの中には、重要な概念だけではなく「記号論」という理論もある。グランジェは第三章で、「それを背景とするからこそ、科学の形式の多様性が科学の奥深い統一性を隠すというよりもむしろ浮かび上がらせる」ものとして、「記号体系」としての科学言語を挙げる(67)。評書でグランジェが具体例として検討するのは化学史と数学史(微積分)の事例であるが、ここでは主たる検討対象とされた化学についてみていこう。そこでは、中世までの錬金術と近代化学における記号が対比される。占星術に基づく錬金術では、記号は具象的かつ連想的であった。例えば金の記号(⦿)でいえば、それは太陽の形を模しており、日曜日という暦上の時間と結び付けられた。それに対して、近代の化学記号はそれとは質的に異なる三つの特徴を持つ。それは、何よりまず「記号の分析を通じて表示対象の化学的な特徴を認識可能にする」もの——例えばラヴォワジエが導入した、語尾によって酸や塩の種類を区別する命名法([酸]-iqueと-eux、[塩]-ateと-ite)——であった。次の特徴は「口伝えの記号体系に対して筆記的な記号体系が徐々に優位を占めたということ」で、公式による化学反応の表現(ラヴォワジエ)や「物体の決まった質量」の記号的表現(ベルセリウス)、そして「分子の連結および反応」の空間的表現(ケクレ・ベル・ホッフ)といった事例が、記号的筆記体系を洗練した事例として紹介される。最後の、そして最も重要な特徴が、記号体系の「構文論」化である。基本的に「個々の物質を具象的に表すばらばらの要素」でしかなかった錬金術の記号に対して、近代化学の諸記号は「[化学]反応を反映する規則に従って結合」されるようになった。このように「改良され厳密に形式的な体系へと発展すること」は、グランジェのみるところ、単なる「表現面」の進歩に留まらない。それは「諸々の作用の関係や可能性を目にみえるもの」にすることで、「それらについての経験的な検証ないし実現」を促し、また、「新しい理論的着想の出発点となる」といった仕方で、「新しい認識のヒントにもなった」のである(68–72)。こうした理解を踏まえてグランジェは、化学に限らず「科学がその言語に対して有する関係は、本質的である」と述べる(74)。学問的認識における記号の役割を注視するこうしたグランジェの記号観、ひいては要約で紹介した「双対性」や「形式的内容」をはじめとする記号論の諸内容は、グランジェ哲学の「主題」かつ「現代哲学」全体の中でも「比類なき重要性を」有する理論と目されている(近藤 2013 : 99)。
さて、要約で扱いきれなかったグランジェ独自の概念や理論に関する補足はこれ位にして、評書の内容に関するコメントを続けていこう。評書の際立った特徴として、科学としての数学に関する、事実(数学史)に即した非常にバランスの取れた解説(意義と限界双方への行き届いた目配り)が挙げられよう。近現代の日本哲学史、特に京都学派の哲学に触れることの多い評者にとって一番印象的であったのが、数量化に関するグランジェの見解である。
日本哲学史では、『善の研究』(1911)の改版の序において「実在は現実そのままのものでなければなら」ず、「いわゆる物質の世界というごときものはこれから考えられたものにすぎないという考をもっていた」と述懐する西田幾多郎や、『偶然性の問題』(1935)の中で、「理論上の数量的関係」を扱う確率論は「偶然性の全貌に関して何等の把握を許すものではない」と断定する九鬼に典型的なように、数量化は数学(ひいては自然科学全般)という学問の限界(その裏返しとして事象をその具体性と全体性において扱う哲学の必要性を物語るもの)として、消極的にのみ語られがちであった(西田 [1911]2003: 4)(九鬼 [1935]1980: 10–11)。それに対してグランジェは、要約で確認したように、数学を含む科学全般が個別的実在(現実的事象)の把握に対して本性的限界を有していることは認めた上で、経済学における数学的モデルや、物理学をはじめとする経験科学における確率論の積極的役割(説明能力や予測能力の向上・理論の現実への適用における誤差の調整)にも注意を促していた。こうしたグランジェの見解は、勿論西田や九鬼と生きた時代が異なることもあるが、科学史そして現在行われている諸科学の営みをより広く押さえた理解だと思われる。勿論グランジェも認めるように、数量化は個別具体的な事柄に漸近できても到達出来る訳ではないし、数学(自然科学)に回収されない哲学の独自性や意義を探求することも重要だが——実際グランジェも『哲学的認識のために』の中では哲学の固有性を確保しようと試みている——、それは哲学以外の分野を一面的・観念的に理解した上で不当に貶めるものであってはならないだろう。
このようにグランジェの数学理解によって蒙を啓かれた評者であるが、他方でグランジェの数学を基軸とする科学理解全てに同感できたわけではない。ここでは人間科学の中でも「歴史学」に関するグランジェの見解を取り上げた上で、それに対する批評を加えることで本稿の締めくくりとしたい。グランジェによれば歴史学は人間科学の中でも「きわめて特殊な学問分野」である。それは、一方で「遺跡や証言を洗い出しチェックし解釈するといった諸々の学問的手続き」については、「自然科学における観察や実験を制約しているのと同一タイプの規則に従っている」(113)。具体的には、「歴史学を補助する、科学的と言われる技法が、この検証作業に科学的な装いを与えている」——ここでグランジェが念頭においているのは、例えば考古学における発掘資料の年代測定や文献資料における数量化可能な側面の処理といったものであろう——という。しかし「証言」については、「現存する人物が行う証言であれ、書かれたか描かれたかした記録であれ」、「自然科学の場合には少しも現れない」「特別な困難」があるのだ(130)。ここでグランジェがいう困難とは、証言と歴史的事実の照合(検証)の困難ないし不可能性であろう。さらに、「潜在的事実の抽象的モデルを形成」した上で「モデルの数学的構造」が与えてくれる「さまざまな可能性の照合や予測可能な具体的場面の選択」を手掛かりに進められる自然科学とは異なり、「歴史学の対象は常に個体」であって、「具体的事実をできる限り正確に再現すること」が目標である。そのため、「純粋な歴史学の絶対的理念は、結局のところ、「真なる小説」であり、「歴史的認識の理想像は」「ポイエーシス的[詩作]的」である(113–114)。
こうしたグランジェの歴史学理解は、数学を科学の範例とする立場から見た一つの筋の通った解釈であろう。しかし、こうした捉え方では、歴史学が「実証科学」たらんとして近代以降続けてきた、「史料批判」という営みの重要性が十分顧慮できないように思われる。歴史学者の池上俊一によれば、歴史学では「十九世紀以来、資料の収集・整理・評価・解釈の方法が徐々に体系化していき、歴史研究者の共有財産になってきた」し、その後も「二〇〇年間不変なのではなく、二十一世紀の歴史学の作法として、現在でもたえず更新されている」(池上 2022 : 70)。史料批判は、「資料の外的な性質とその価値を明らかにする手続き」である「外的批判」と、歴史的事実をどれだけ忠実に反映しているとみなせるかという資料内容の信憑性を検討する「内的批判」とに大きく分けられる。前者の例としては、写本間の比較を通じた資料の真正性・時代・地域などの特定が、後者の例には資料作成に影響を与えたと思われる個人的・時代的・社会的諸条件の勘案が挙げられる(同上:72–74)。こうした史料批判は、各資料のより個別的な要素を分析していくための「歴史補助学」——例えば古い文献資料に限っても、その物としての側面に着目する「古書冊学」、そして書かれた文字や名前に関する「古書体学」・「地名学」・「人名学」といった具合に多岐に渡る分野を挙げることができる——によって支えられている(同上 : 75–78)。さらに、グランジェが評書を執筆した二十世紀末以降だけに限っても、「コンピュータによるデータ整理や数量・統計分析」を行う「デジタル歴史学」の隆盛や、「一つの資料の筆者を通じた伝来の過程のあらゆる局面(作成、集成、理由、保管、廃棄)を重視して、それぞれの場での社会的機能に目を注ぐ」「史料論」の発達といった、新たな動向も次々と現れている(同上 : 84–91)。要するに歴史学は、個別具体的な歴史的事実に肉薄するために、文献や物質的資料の信憑性は勿論のこと、それらの解釈における(資料に基づく)妥当性・(資料間の)整合性・(資料を評価する観点の複数化といった)方向性を「検証」する独自の方法論を発達させているのだ。
無論ここでは、グランジェが知り得なかった歴史学の動向も踏まえて彼の科学論を糾弾することを意図しているのではない。評者の上述した問題意識や理解は、むしろグランジェの数学を軸とする科学論が筋の通った一貫したものであり、かつ、その視座の下に人間科学をもその独自性に十分注意を払いながら論じた包括的なものであったからこそ、それと対峙する中で生まれてきたのである。このように、自然科学から人間科学に至る諸学問について、科学史に基づく堅実かつ鋭利な諸知見を提供してくれるのみならず、さらなる思索をも喚起してくれる評書が、今後さらなる読者を獲得することを願ってやまない。
文献案内
- Granger G. G., Essai d’une Philosophie du Style, Odile Jacob, 1988.
- ———, Pour la connaissance philosophique, Odile Jacob, 1988.(邦訳 植木哲也訳『哲学的認識のために』法政大学出版局、1995年)
- アンリ・ポアンカレ『科学と仮説』伊藤邦武訳、岩波文庫、2021年。
- 池上俊一『歴史学の作法』東京大学出版会、2022年。
- 伊藤邦武『フランス認識論における非決定論の研究』晃洋書房、2018年。
- エミール・ブートルー『自然法則の偶然性』野田又夫訳、創元社、1945年。
- 澤瀉久敬『ベルクソンの科学論』中公文庫、1979年。
- 九鬼周造「偶然性の問題」『九鬼周造全集』第二巻、岩波書店、1980年。
- ———「現代フランス哲学講義」『九鬼周造全集』第八巻、岩波書店、1982年。
- 小林道夫『デカルトの自然哲学』岩波書店、1996年。
- ———「デュエムの科学哲学における道具主義・実在論・ホーリズム」『科学哲学』(29)、日本科学哲学会、1996年、1–13頁。
- ———「現代フランスの認識論の哲学——G.-G.グランジェの哲学を中心に」『哲学研究』(569)、京都哲学会、2000年、71–104頁。
- ———「自然主義批判試論——クワインの「認識論の自然化」を中心に」『哲学』(52)、日本哲学会、2001年、50–63頁。
- ———「ⅩⅢ ヴュイユマン/グランジェ」『哲学の歴史 実存・構造・他者』第12巻、鷲田清一編、中央公論新社、2008年、703–735頁。
- ———「自然主義の限界と哲学の役割(認識論の観点から)」『岩波講座 哲学』第15巻、岩波書店、2009年、111–135頁。
- 近藤和敬「グランジェの科学認識論——「操作-対象の双対性」、「形式的内容」、「記号的宇宙」」『エピステモロジー——20世紀のフランス科学思想史』慶應義塾大学出版会、2013年、37–105頁。
- 西田幾多郎「善の研究」『西田幾多郎全集』第一巻、岩波書店、2003年。
- ピエール・デュエム『物理理論の目的と構造』小林道夫・熊谷陽一・安孫子信訳、勁草書房、1996年。
謝辞
本書評の執筆にあたっては、訳者の一人である三宅岳史氏(香川大学教授)に原稿をご確認頂く機会に恵まれた。心より感謝を申し上げる次第である。なお、最終稿の至らぬ点は全て評者の責任である。
出版元公式ウェブサイト
白水社 (https://www.hakusuisha.co.jp/book/b313204.html)
評者情報
藤貫 裕(ふじぬき ゆう)
京都大学人文科学研究所人文学連携研究者、大谷大学・京都大学・早稲田大学非常勤講師他。専門は日本哲学史で、特に近年は日本におけるフランス思想の受容について、九鬼周造を中心に研究している。近著に「蜘蛛の巣としてのラング——丸山圭三郎を手掛かりに」(稲賀繁美編『蜘蛛の巣上の無明 インターネット時代の心身地の刷新にむけて』所収、花鳥社、2023年、265-274頁)、「九鬼周造の押韻論におけるポール・ヴァレリーと歌論——「純粋詩」を手掛かりに——」(『人文学報』(122)、京都大学人文科学研究所、2024年、535–547頁)。
Researchmap:https://researchmap.jp/y.fujinuki