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2025年3月25日

鈴木晶 『ニジンスキー:踊る神と呼ばれた男』

みすず書房, 2023年

評者:北原 まり子

Tokyo Academic Review of Books, vol.70 (2025); https://doi.org/10.52509/tarb0070

本書の概要

本書『ニジンスキー:踊る神と呼ばれた男』は、長年日本のバレエ・リュス研究を牽引してきた鈴木晶氏(舞踊史家、法政大学名誉教授)が、1998年に出版した自著『ニジンスキー:神の道化』(新書館)を新たに書きなおしたものである。新旧書共に、今日でも人気の高い、伝説化された舞踊家ワツラフ・ニジンスキー(1889–1950)の生涯について年代を追う形で記されている。鈴木氏いわく、ニジンスキーの生涯は、10歳までの幼少期、10代を過ごした帝室バレエ学校、20代でのプロのダンサー、振付家としての世界的な活躍と、精神病患者としての最後の30年という4期にきれいに分けられる。ニジンスキーは1956年出版のコリン・ウィルソン著『アウトサイダー』(翌年邦訳出版)で取り上げられて以来、舞踊家というよりは、悲劇的かつ神格化された肉体の「見者ヴォワイヤン」としてのイメージを強めたが、鈴木氏はそうした潮流からは距離を置き、原点に戻って、「ダンサーかつコレオグラファー(振付家)としてのニジンスキー」(ii頁)を本書の対象とすると述べている。

年代的に綴られる本書の構成(全7章)を見ると、確かに、舞踊家としての活躍を語る3章(「マリインスキー劇場」「パリへ、世界へ」「振付家ニジンスキー」)がおよそ半分を占める。ただし、子供時代(「生い立ち」「帝室バレエ学校」)と、1913年の興行主セルゲイ・ディアギレフ(1872–1929)による突然の解雇及び第1次大戦中のハンガリーでの軟禁生活を契機とする精神病者としての時代(「転落」「闇の中へ」)も、精緻な事実考証によりそれぞれ厚みをもって検討されている。

本書は、第75回読売文学賞(研究・翻訳)を受賞した。

本書の2つの視点

誰かが書いた一つの歴史記述を読むということは、その対象について検証された諸事実を知るという以上に、書き手の紡ぐ物語を理解するという行為である。収集した膨大な資料から(その中にすでに別の書き手の物語も含まれているのだが)、あるものを切り捨て、あるものを重視する、という選択。大半を占める空白部分は、歴史家としての蓄積された知識や経験を動員して、想像力の飛躍やフィクションと戯れながら埋めていく。こうした歴史的資料(アーカイヴ)とその利用者(作家・創作者)の間を漂う主観やフィクションは、今日では否定されるよりもむしろ、肯定的な関心の対象となっている。「真実(らしきもの)」以上に、書き手がいかにその対象に興味を覚えたのかという事実が、歴史の積み重ねの過程そのものを理解する上で重要な要素であるからだ。

舞踊研究者ハンナ・ヤルウィネンが2014年に批判的に検証した20世紀後半の「Nijinskymania1(ニジンスキー狂い)」という現象は、まさにそれである。10年足らずで舞台を去り、踊る映像を一つも残さなかった伝説のダンサー、その「空白」が作家や歴史家だけでなく、多くの舞踊実践者にも創造的なインスピレーションを与え続けている2。そうして各個人が各時代に生み出すニジンスキーについての想像力が、それ自身、歴史となって積み重なっていく。本書では序文の大幅な縮小により削除されてしまったが、鈴木氏の前書『ニジンスキー:神の道化』の32頁に及ぶ「プロローグ」にも、このニジンスキー熱(鈴木氏自身もそこに加わる)が生き生きと記されていた。本書の終わりで、氏は次のように述べる。

本書はできるかぎり事実にもとづいて書かれているとはいえ、全体を貫いているのは私の空想なのである。そしてその空想は、生身のダンサーを観ることに劣らず甘美なものであり、これが舞踊史家にとって最大の楽しみなのかもしれない。(403頁)

さて、本書はその目的として、舞踊家としてのニジンスキーを明らかにすると規定しているので、その点に絞って見ていこう。著者の分析は、「古典バレエ」と「性」という2点を主な軸としているようである。

(1)古典バレエからの革新

もう一つわかったことは、舞踊の本質は具体例の中にしか現れないということである。机上の演繹をいくら重ねても、舞踊の本質に到達することはできない。(i頁)

舞踊の歴史記述において、この「具体例」への固執は非常に重要である。一方、「具体例」を舞踊そのもの(身体の動き)とするならば、歴史家にとってそれは、しばしば困難を伴う作業となる。多くの場合、残っていないからである。舞踊の歴史書の中には、踊りの動きそのものにほとんど言及しないものも少なくない。ニジンスキーの場合、彼自身が舞踊譜を残した点も重要だが3、妹のブロニスラワ・ニジンスカ(1891–1972)や《春の祭典》で助手を務めたマリー・ランベール(1888–1982)といったダンサーが、彼の踊りについて書き残したことが大きかった4。2人は実践者としての知識があるだけでなく、それぞれ新時代の舞踊芸術を発展させていく開拓者でもあり、新鮮な視点と身体知をもってニジンスキーの踊りの記憶をその著作の中で言語化し得たのである。例えば、彼の有名な跳躍について、単に「高い」、「素晴らしい」と言うのではなく、ニジンスカは兄の「プレパラシオン(準備体勢)」の極端な短さ、「跳躍と跳躍の間隔の短さ」(54頁)が与えた芸術的効果を具体的に指摘している。本書は、ニジンスカ及びランベールの著作から、ニジンスキーの稽古(173頁)や作品創作の様子(265頁)を長めに引用することにより、舞踊的な具体性を与えている。

振付に関する分析については、その革新性を、古典バレエの技法や決まりを基準とした観点に絞った印象を受ける。例えば《牧神の午後》(1912年)の「革命」について、「バレエの最も顕著な特徴である跳躍も回転もない、いやそればかりか、リズミカルな動きがまったくない」こと、「角張ったポーズ」、「二次元性」の3点をあげている(216–217頁)。また、《春の祭典》(1913年)に関しては、「いわゆるクラシック・バレエの二大原理である上昇性(エレヴァシオン)と開放性(アンドゥオール)が否定されて」おり、「床を踏みならすという動作も、クラシック・バレエには見られないものだ」(268–269頁)と指摘する。バレエ作品として見た場合、伝統からの脱却はここで明快に提示されている。ただ、ニジンスキーの舞踊の芸術的広がりが、バレエという枠内に制限されてしまった印象も否めない。

例えば、《牧神の午後》の二次元性の動機に関しては、舞踊史家リン・ガラフォラ5が示唆した演出家フセヴォロド・メイエルホリド(1874–1940)の二次元的舞台との繋がりに言及するにとどまっており、「絵画から舞踊へ:ニジンスキーは立体派の振付を《牧神の午後》で試みる」と題された『コメディア』誌のインタビュー記事(1912年4月18日)6に触れていない。「キュビスム理論の応用」としてニジンスキーが述べる(メディア受けを狙ったディアギレフの考えであった可能性も高いが)「諸次元への関心、連続する平面、ほとんど幾何学的な線の真理」の採用は、作品の二次元性を理解する上で一つの重要な資料ではないだろうか。《春の祭典》に関しても、ニジンスキーを最も早く「肉体」の芸術家と定義づけた、ジャック・リヴィエール7の『新フランス評論』誌(1913年11月)での有名な分析が避けられている。リヴィエールは肉体と運動(とりわけ流動的で滑らかな線で統合され、その動きの中に肉体の存在を消してしまうような)を対比させ、ニジンスキーの振付の新しさを、ダイナミズムのあらゆる「ソース(味つけ)」を断念することで、運動が「絶えず肉体に奪取され、肉体との絆を新たにされ、肉体に追いつかれ、後へ引き戻される」と評価した。リヴィエールは舞踊家ではないが、ニジンスカ同様に、目前に展開されたニジンスキーの踊りの「質」の新しさを、自らの言葉で具体的に説明しようとしている。

前衛美術の理論や「肉体」といった批評的なワードを過度に引き合いに出すことは、確かに対象とする舞踊そのものの分析から乖離してしまうリスクも高い。鈴木氏はその危惧から、おそらくこれらの資料を避けたのであろう。ただし、バレエ・リュスのバレエ史における新しさの一つは、バレエをその狭い世界から、より広い観客へ提示した点にある。バレエよりも美術と音楽を専門としていた興行主ディアギレフの手により、舞台・客席の両側で、芸術界・音楽界をひろく巻き込んだ運動となったのである。そうした意味では、「19世紀にできあがったいわゆるクラシック・バレエをどうしても一度解体しなければならないという強い意識」(270頁)という動機だけでは、ニジンスキーの引き起こした衝撃をはかるには少し物足りない気がするのである。

(2)性生活と創作

このエピソードから、ニジンスキーが『牧神の午後』以来、ひたすらバレエで性を表現しようとしていたことがわかる。(334頁)

これは、構想で終わったニジンスキーの記録に残る最後のバレエについてのくだりに付された鈴木氏の一文である。おそらくはこれが、ニジンスキーの芸術についての著者の結論であり、遡って本書を読み返せば、舞踊家としてのニジンスキーを語るために、なぜこれほど多くの紙面がその性生活についての言及に割かれていたのかを理解することができる。学校時代からの自慰行為(「ガールフレンド、マスターベーション」)、娼婦との初体験と性病罹患(「パリ進出計画」)、パトロンたちとの同性性交(「リヴォフ公爵」「リヴォフからディアギレフへ」)、パリでの娼婦買い(「ディアギレフとニジンスキーの性生活」)、さらには男性器の大きさの如何にまで触れている。なぜ、あるダンサーの性生活が、これほど詳細にわたって明かされ得るのか。

これは、鈴木氏がかつて邦訳した2つの文献が主なソースとなっているようだ。1つはニジンスキー自身による『手記』(1936年に妻ロモラにより初版され、1995年に「無削除版」がフランスで出され、1998年に鈴木氏によって「完全版」として新書館から邦訳出版された)で、もう1つはシェング・スヘイエンによる評伝『ディアギレフ:芸術に捧げた生涯』(鈴木晶訳、みすず書房、2012年)である。

『手記』は、精神を病んだニジンスキーが自由連想的な仕方で書き連ねたとされる文章であり、おそらく当時彼の関心の中心となっていたであろう性や死、金銭的な事柄に関する言及が目立つが、その中でかつての性生活にも触れている。非常に私的な事柄が、そうした特殊な条件下で本人によって記されたのである。スヘイエンの著作は、20世紀初頭のロシアの同性愛界でディアギレフと親しかった人々(ワーリテル・ヌーヴェリ、ミハイル・クズミン、ジナイダ・ギッピウスら)の私的に書かれた文章を掘り起こし、閉ざされたその世界の内情に光をあてている。鈴木氏は、ニジンスキーの『手記』という、魅力的だが真偽の判別が難しく取扱要注意の資料を、彼自身「最も信憑性がある」と評するスヘイエンの論考、さらには当時の帝室劇場総裁の日記などの客観的な記述と照らし合わせることで、最大限に活用し得た。もちろん、芸術作品の創作行為とその作者の性的指向、性的体験をどれほど直線的に結びつけられるかは、創作時に本人が明確に表明しない限り、判断は難しい。ただし、最初にあげた舞踊についての具体的な記述の引用と合わせて、ニジンスキーの性的な内面と振付のダイナミックな関係性を提示したことにより、この伝記全体が生き生したものになったことは間違いない。

ニジンスキーという「人物」をいかに描くか

本書は、鈴木氏が人的交流や現地調査を通して知り得た特別なエピソードや「余談」が随所に散りばめられ、「コミュ障」(68頁)などの身近な表現も用いられているので、一般読者にとってとても読みやすい。豊富な資料に裏付けられており、舞踊の研究者にとっても学ぶことは多い(例えばバレエ学校時代にすでにニジンスキーが振付をしていたことへの言及など)。ただし全体を通して感じられるのは、この神話化されたアーティストに対して、あくまで客観的な立場を崩さないようにする配慮である。既に述べたように、バレエや心理学に著作・訳書の多い鈴木氏の舞踊分析は、バレエの古典技法の知識と性に関する心理的分析を基礎にその結論を導き出している。他方、ニジンスキーの人物像については、1つのイメージで固定することをあえて避けているようにみえる。

ここでは、同時代の様々な人物がある瞬間にそれぞれの眼を通してとらえたニジンスキーの姿が、彼らの言葉の引用を通して提示されている。とりわけ、チャールズ・チャップリン(237–238頁)、オットリン・モレル夫人(251–252頁)、ロバート・エドモンド・ジョーンズ(312頁)の短い証言にあらわれるニジンスキーの印象は、互いに合致するでもなく、対立するでもなく、ただただニジンスキーという1人の人物の多様な表情を私たちに垣間見せてくれる。人々が一般的に抱くイメージについても、妻ロモラによる伝記『ニジンスキー』(1934年)で強められたディアギレフの「犠牲者」というイメージが、1970年代以降、「自分が天才であることを鼻に掛けた、恐ろしくプライドの高い、わがままなエゴイストだったというイメージ」(212頁)へ変化したとして、異なる立場を等しく提示している。本書はそうして、1人の人間という多様で複雑で捉えにくいもの(それはニジンスキーに限らずあらゆる人について言えることである)、さらにはその対象に対する変化するイメージを示唆した上で、それでもなおこのニジンスキーという人物が、今日でもインスピレーションを与え続けている、その源泉としての豊かさを伝えているのではないか。

事実、ニジンスキーをめぐる文献は、興味やアプローチを多様化させながらまだまだ拡張し続けているようだ。本書の刊行と同じ年に、かげはら史帆による小説『ニジンスキーは銀橋で踊らない』(河出書房)が出版されたが、これは戦後来日した際に宝塚ファンとなったニジンスキーの未亡人、ロモラ・ニジンスキー(1891–1978)についての歴史的資料に基づいたフィクションである。その前年(2022年)にはバレエ・リュス研究の大家リン・ガラフォラによる妹ニジンスカに関する大著『La Nijinska: choreographer of the modern』が出版された。彼女の自伝(『Early Memoirs』)は兄の名誉回復を意図して書かれたが、その陰に隠れがちだったニジンスカ自身の芸術的才能にも関心が集まりつつある。「神」自身ではなく、その周辺へと視点が移ることにより、そこから逆説的に発見される新たなニジンスキー像や解釈が生まれるかもしれない。

文献案内

日本におけるニジンスキーの受容は、いくつかの変遷を経ている。日本の洋舞の黎明期は、西洋におけるバレエ・リュスの登場とほぼ同時期にあたり、戦前の日本のバレエでは(バレエ後進国の英米においても同様であったが)バレエ・リュス、とりわけニジンスキーが初演の主役をつとめた振付家ミハイル・フォーキン(1880–1942)の一連の代表作が一つのモデルとして君臨し、人々の憧憬をひきおこした。大正時代以降バレエ・リュス関連の文献は多く出版されたが(その大半は国会図書館のデジタルサービスなどで閲覧が可能)、ここではニジンスキーと結びつけられたバレエダンサー東勇作(1910–1971)に関する書籍を、異文化受容の一つの興味深い例として記しておこう。

  • 東勇作同門会編、『牧神:或いは東勇作』、東京:東勇作同門会、2010年

鈴木氏も指摘するように(前書『ニジンスキー:神の道化』の「プロローグ」を参照されたい)、戦後のニジンスキー受容は、「肉体」という言葉に結びつけられ、バレエ・リュスから独立した一つの象徴として思想的、哲学的な文脈で広く言及されるようになる。土方巽(1928–1986)に代表される暗黒舞踏のダンサーたちは実践及び発言の中で、ニジンスキーを多く参照している。この流れを代表する文献として精神科医の石福恒雄と舞踊評論家の市川雅のものがある。

  • 石福恒雄、『肉体の芸術:ニジンスキーの生涯』、東京:紀伊国屋書店、1968年
  • ワツラフ・ニジンスキー、『ニジンスキーの手記:肉体と神』、市川雅訳、東京:現代思潮新社、1971年
  • 市川雅、『行為と肉体』、東京:田畑書店、1972年
  • ロモラ・ニジンスキー、『その後のニジンスキー』、市川雅訳、東京:現代思潮社、1977年
  • 市川雅、『ニジンスキー頌』、東京:新書館、1990年

1980年代以降は、鈴木氏による主要文献の翻訳や、資料に基づく学術的なアプローチが台頭する。

  • リチャード・バックル、『ディアギレフ:ロシア・バレエ団とその時代』、鈴木晶訳、東京:リブロポート、1983–84年
  • 鈴木晶、『ニジンスキー:神の道化』、東京:新書館、1998年
  • ヴァーツラフ・ニジンスキー、『ニジンスキーの手記:完全版』、鈴木晶訳、東京:新書館、1998年
  • シェング・スヘイエン、『ディアギレフ:芸術に捧げた生涯』、鈴木晶訳、東京:みすず書房、2012年

バレエ・リュス100周年(2009年)前後からのキュレーターで舞踊史家の芳賀直子氏の一連の活動は、ベル・エポックを象徴する華やかなバレエ・リュスへの憧れを再び喚起し、そのスターとしてのニジンスキーを前面に出している。

  • 芳賀直子監修、『Icon : Vaslav Nijinsky』、東京:講談社、2007年
  • 芳賀直子、『バレエ・リュスその魅力のすべて』、東京:国書刊行会、2009年

1JÄRVINEN Hanna, Dancing Genius: The Stardom of Vaslav Nijinsky, London, Palgrave MacMillan, 2014.

2アーカイヴに基礎をおくリエナクトメント(過去の踊りの身振りを引用して批判的な考察を促すクリエーション)の舞踊実践の中でも、ニジンスキーは一つの主要な歴史的参照項であり、そこで新たに創り出されるコンテンポラリーダンス作品を通じて、今日の舞踊史に影響を与えている。例えば、2000年以降継続しているフランス人振付家ドミニク・ブラン(Dominique Brun)のニジンスキー作品をめぐる一連の試みがあげられる。

3ニジンスキーの舞踏譜は、1980年代にアメリカの研究者によって分析され、復元上演された。GUEST Ann Hutchinson and JESCHKE Claudia, Nijinsky’s Faune Restored: A Study of Vaslav Nijinsky’s 1915 Dance Score, Philadelphie, gordon & Breach, 1991.

4NIJINSKA Bronislava, Early Memoirs, New York, Holt Rinehart Winston 1981; RAMBERT Marie, Quicksilver: Autobiography, London, St. Martin’s Press, 1972.

5GARAFOLA Lynn, Diaghilev’s Ballets Russes, New York, Oxford University Press, 1989.

6« De la peinture à la danse : Nijinski va faire dans l’‘Après-Midi d’un Faune’ des essais de chorégraphie cubiste », Comoedia, le 18 avril 1912, p. 4.

7RIVIÈRE Jacques, « Le sacre du printemps », Nouvelle Revue Française, novembre 1913, pp.706-730. 邦訳あり(市川雅編『ニジンスキー頌』、東京、新書館、1990年、216–232頁)。

出版元公式ウェブサイト

みすず書房(https://www.msz.co.jp/book/detail/09621/)

評者情報

北原 まり子(きたはら まりこ)

早稲田大学スポーツ科学学術院研究員。専門は日本及び西欧の20世紀舞踊史。2021年、パリ第8大学に博士論文「ミハイル・フォーキン(1880–1942):20世紀の舞踊史、歴史記述、継承における不確かな人物」を提出後、現在は、日本とフランスのモダンダンスの比較研究をしている。主な論文に、「戦前日本におけるバレエ・リュス初期作品の芸術的特質の受容:宝塚少女歌劇と日劇ダンシングチームを中心に」(『演劇映像学』、2011年)、「戦前日本における《春の祭典》を踊る三つの試み:E.リュトケヴィッツ(1931)、花園歌子(1934)、F.ガーネット(1940)」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第60輯』、2015年)、「Revendication, récupération, correction... lorsqu’un chorégraphe décide d’écrire sa propre histoire : le cas de l’autobiographie de Mikhaïl Fokine」(Recherches en danse, no. 12, 2023)、「Retour à la « culture d’élèves » : la structuration du milieu de la danse moderne au Japon, dans les années 1920 et 1930」(Recherches en danse, no. 13, 2024)。

Researchmap:https://researchmap.jp/mariko-kitahara

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