Tokyo Academic Review of Booksonline journal / powered by Yamanami Books / ISSN:2435-5712

2025年8月29日

A.P. Simester and Andreas von Hirsch, Crimes, Harms, and Wrongs: On the Principles of Criminalisation

Hart Publishing, 2011年

評者:亀田 悠斗

Tokyo Academic Review of Books, vol.74 (2025); https://doi.org/10.52509/tarb0074

はじめに

A.P. Simester and Andreas von Hirsch, Crimes, Harms, and Wrongs: On the Principles of Criminalisation, Hart Publishing, 2011は、犯罪化論をテーマとする研究書である。犯罪化論とは、犯罪化の正当化条件を示す理論、どのような行為を犯罪とすべきかに関する(主に立法者による)判断を導き、制約し、あるいは評価するための原理や基準、考慮要素を示す理論のことをいう。このような理論として伝統的かつおそらく最も有名なのが、J・S・ミル(J. S. Mill)の危害原理(Harm Principle)であろう1。1859年に公刊された『自由論(On Liberty)』における次の有名な一節がその内容を簡潔に示している:「文明社会のどの成員に対してであれ、本人の意向に反して権力を行使しても正当でありうるのは、他の人々への危害を防止するという目的の場合だけである」(Mill 1859[1974]: 68[邦訳27頁])。

『自由論』の公刊の後、危害原理を中核とするミルの見解を踏まえながら犯罪化論を詳細かつ体系的に展開し、現代の議論の土台形成に大きく寄与したのが、J・ファインバーグ(J. Feinberg)による『刑法の道徳的限界』シリーズである。このシリーズは、『他者に対する危害(Harm to Others)』(Feinberg 1984)、『他者に対する感情侵害(Offense to Others)』(Feinberg 1985)、『自己に対する危害(Harm to Self)』(Feinberg 1986)、『危害なき不正行為(Harmless Wrongdoing)』(Feinberg 1988)の4冊から構成される。これら4冊は主に、以下の4つの原理を取り扱うものとなっている2

第一に、危害原理である。この原理は、ある行為を犯罪化することが他者に対する危害を防止するのに有効である場合に、その行為の犯罪化を支持する理由が認められるとするものとされる。なお、ここにいう行為の犯罪化を支持する理由とは、行為の犯罪化を支持する一応の(pro tanto)理由、すなわち、犯罪化に反対する理由(たとえば、犯罪化により制約される自由の重要性)によって優越されうるような理由を意味し、犯罪化を正当化するための十分条件ないし決定的な理由ではないことに注意しよう。第二に、感情侵害原理(不快原理; Offense Principle)である。これは、ある行為を犯罪化することが他者に対する重大な感情侵害を防止するのに有効である場合に、その行為の犯罪化を支持する理由が認められるとする。第三に、リーガル・パターナリズム(Legal Paternalism)である。これは、法規制が行為者自身に対する危害を防止するのに有効である場合に、その行為に対する法規制を支持する理由が認められるとする。第四に、リーガル・モラリズム(Legal Moralism)である。これは、ある行為がたとえ他者や行為者自身に対して危害も感情侵害も生じさせないとしても、本来的に不道徳であるという理由から、その行為を禁止することは道徳的に正当でありうるとする。

そして、刑事立法を支持する理由に関する諸原理の上記分類・定式をはじめとするファインバーグによる議論の整理のもと、彼の見解を出発点としてこれに批判的な検討を加えることを通じて犯罪化論を体系的に展開したのが、本書評の対象であるA.P. Simester and Andreas von Hirsch, Crimes, Harms, and Wrongs: On the Principles of Criminalisation, Hart Publishing, 2011(以下、「本書」とする)である。本書は犯罪化論に関する重要な研究書であり、本書の立場を最終的に支持するにせよ退けるにせよ、その読解と検討を通じて、読者は犯罪化論に対する理解を深化させることができるだろう。

以下、まず本書の概要を示す。続いて、若干のコメントを加える。最後に、日本語文献を中心に、本書に関連する文献を案内する。

本書の概要

本書は全5部構成となっている。まず、第1部「犯罪化と不正行為」(第1, 2章)では、犯罪化論に取り組む前提として、刑法・刑罰の特徴について筆者たちの私見が提示される。そのうえで、犯罪化論における行為の不正性という要素の役割について論じられる。あわせて、リーガルモラリズムの検討も行われる。続いて、第2部「危害」(第3, 4, 5章)、第3部「感情侵害」(第6, 7, 8章)、第4部「パターナリズム」(第9, 10章)では、見出しから察せられるように、危害原理、感情侵害原理、そしてリーガルパターナリズムがそれぞれ取り扱われる。最後に、第5部「刑法からの後退」(第11, 12章)のうち、第11章では、犯罪化が正当であるために充たさなければならない条件のなかで、第4部までに検討されてこなかったものが概観される。第12章では、正当化のための制約が厳しい刑事規制に代わってより簡便なものとしてしばしば用いられる規制手段である、二段階規制(two-step prohibitions)、すなわち、一定の望ましくない行為を行った者に対して民事上の禁止命令を発出するという第一段階と、その後禁止命令に違反する行為が行われた場合にこれを犯罪とし刑罰を科すという第二段階から構成される規制が検討される。以下、各部についてもう少し詳しくみていく。

第1部 犯罪化と不正行為

第1部第1章では、本書の主題である犯罪化論を展開するために必要であるとして、刑法をどのようなものとして理解すべきかというより一般的な事柄について自説を中心に論じられる。著者たちの理解によれば、刑法は、民事規制や行政規制などと同様に、共同体の構成員の福利を促進するために特定の行為を規制し、制裁の予定によって法遵守を動機づけることを通じてその実行を予防する手段としての側面を有する一方で、行為や行為者に対する非難ないし不承認という道徳的なメッセージを、行為者自身や他の市民に向けて伝達するという独自の側面も、もち合わせている。

後者の側面は、犯罪化、有罪判決、処罰という刑法が機能する主たる三つの段階すべてにおいて認められる、という。刑事規制の対象となる行為とその違反に対して科される刑罰を定める犯罪化という行為は、指定された行為が不正であり実行されるべきでないという公的な宣言を構成する。また、国家が公判において犯罪を行ったと証明された者に下す有罪判決と処罰も、行為と行為者に対する非難・不承認を表明する。

もちろん、犯罪化や処罰は単なる非難・不承認の表明にとどまるものではない。犯罪化は、禁止行為が行われれば定められた範囲内で刑罰を科すという威嚇を伴うし、処罰は重大な不利益の付加である。この点について、重大な不利益の威嚇・付加の要素は、刑法の予防の側面から、犯罪実行に対する追加の負の動機付けとして説明される。すなわち、「人は通例純粋に規範的な訴えかけで十分な天使のようでもなければ、威嚇によってのみ影響される獣のようでもな」く、「道徳的だが可謬的な生き物である―規範的な訴えかけによって動機付けられうるが、時としてそれにもかかわらず罪を犯そうとする」(p.14)。それゆえ、犯罪予防のためには、非難の表明だけでは十分でなく、重大な不利益の威嚇・付加が追加的に要求されるという。以上のように、刑法は予防の側面と非難の側面のどちらか一方ではなく両方ともを併せもつものであり、その両面に注意を払うべきであるとされる。

続く第2章では、行為の不正性という要素がフォーカスされる。著者たちによれば、行為が道徳的に不正でなければ、その行為を犯罪化することは許されない。すなわち、行為の不正性が、犯罪化が正当であるための必要条件に位置づけられている。なぜなら、前述のとおり犯罪化は特定の行為を不正であると公的に宣言するものであり、行為が実際には不正でないにもかかわらずそれを不正であると宣言することは、明らかに不当だからである。

不正性は刑事規制正当化の必要条件である一方で、十分条件ではない。というのも、たとえ行為が不正であっても、犯罪化による市民の自由の制約や他の規制手段の有効性といった他の考慮からその行為の犯罪化が最終的に正当化されないということがあるからであり、この点に異論の余地はないとされる。さらに、犯罪化が正当であるためには、まず第一に犯罪化を支持する一応の(pro tanto)理由の存在が認められなければならない。行為の不正性は、単体では一応の理由としても十分でない。というのも、国家は市民の福利を増進させるために存在する道具的主体・人工的な創造物と捉えられるべきであり、それゆえ、人の福利や生活に影響しないような単なる不道徳行為の規制は、国家の任務に含まれないからである。すなわち、危害(の危険)の創出のような、人の福利や生活への影響(可能性)があってはじめて、当該理由が認められることとなる(リーガルモラリズムの否定)。

第2部 危害

第2部は、危害原理を主題とする。まず第3章において、著者たちは、ファインバーグによる危害原理の定式を支持する。そのうえで、危害原理にいう危害を、利益の減損、より具体的には、「価値ある活動を行い関係を構築し、自ら選んだ目標を追求する人の機会の減損」(p.38)、よき生を追求する将来の機会の減損と解する。このような機会の減損は、ほとんどの場合、各人の「資源」(身体的、財産的、その他の資源)の減損を通じて生じるという。ここにいう資源を構成するものは、少なくとも、①長期にわたって持続すること、②人の生活の質や福利に影響を及ぼしうること、より正確にいえば、福利を追求するための条件や手段、能力に該当すること、③人の意識や認識から独立して損なわれうるものであることという三つの特徴を有する。③に関して、たとえば、人の名誉・名声は、たとえ名誉毀損行為を相手方(被害者)が認識していなくても、その行為によって損なわれうるものであるため、③の特徴を有する。これに対して、人の感情は、不快な行為や出来事の認識や想起など、意識なしには害されえないため、これに③は認められないという。なお、「ほとんどの場合」と述べたように、資源の(直接的な)減損がない場合でも、危害は認められうる。たとえば、脱税や通貨偽造、司法システムに対する攻撃である。これらはよき生を追求するための機会に対して間接的に悪影響を与える。また、危害において減損される利益は、我々がそれに対して正当な権限を有する利益でなければならない。たとえば、A社とB社がビジネス上の競争関係にある状況で、A社が自社の広告に成功しB社の顧客を獲得した場合、B社は経済的な不利益を被っているものの、正当な権限を有する利益を失っているわけではないため、危害は認められない。

以上の意味での危害を惹起する行為やその直接の危険を伴う行為(たとえば、危険運転)の犯罪化が、危害原理による正当化の対象となる。もっとも、対象はこれらに限定されない。危害を間接的・「遠隔的(remotely)」にしか生じさせえない行為(たとえば、銃器売買)の犯罪化も、危害原理により正当化されうる。第4章および第5章では、後者の「遠隔的危害(remote harm)」のリスクを伴う行為の犯罪化について検討される。

遠隔的危害のリスクが生じるケースとして、次の三つの種類が列挙される。第一に、行為それ自体は危害を惹起しえないが、危害を直接惹起しうる行為者自身または第三者の自律的な後続行為を誘発するケース(介在〔mediating interventions〕ケース)である。たとえば、銃器の売買や所持それ自体は人の死傷を惹起しえず、銃器の所有者が特定の仕方でこれを使用してはじめて人の死傷という危害が生じる。危害の発生が後続の自律的な行為によるという意味で、別の表現をするなら行為と可能的危害の間に他の自律的な行為が介在しているという意味で、元の行為にとって危害は遠隔的である。第二に、他者の同種の行為とあわさってはじめて危害が惹起されるケース(共同的/累積的危害ケース)が挙げられる。たとえば、河川にごみを投棄する行為は、十分な数の他者が同様の行為を行うときにのみ、水質汚染による健康被害等の危害を生じさせる。第三に、抽象的危険ケースである。たとえば、法定速度を超過した自動車運転は、運転者が卓越した運転技能を有する等の事情があるなら、交通事故を発生させる直接・現実の危険を伴わないかもしれないが、速度超過の運転行為一般は経験上(統計上)交通事故を生じさせる危険を伴う。

そのうえで、以上のような遠隔的危害のリスクを伴う行為の犯罪化には、行為の不正性要件に関する問題があるという。すなわち、危害惹起行為やその直接の危険を有する行為の場合、その不正性は危害惹起(の直接の危険)の存在をもって直ちに認められるが、その一方で遠隔的危害のリスクを伴う行為の場合、行為と危害の結びつきの弱さゆえに、最終的に危害が生じうることだけを頼りに不正性を認めることは難しい。そこで、なぜ行為者が生じうる遠隔的危害について責任を負うべきなのかを問う必要がある(「公正な帰属〔fair imputation〕」の問い)。たとえば銃器売買の場合であれば、なぜ銃器販売者が購入者の銃器使用により生じうる危害の責任を負うべきなのかを問うことが求められる。遠隔的危害の帰属という観点は、ファインバーグの見解をはじめとする従来の見解が十分な注意を払ってこなかったものであるという。

上記の問いに対して、まず第一に、介在ケースにおいては、行為が後続行為に対する「規範的関与(normative involvement)」を構成する場合、すなわち後続行為を是認(affirm)又は支持する(underwrite)ものである場合に、公正な帰属が認められるという。具体的には、危害行為の教唆や扇動、その中心的な機能・目的が不正な危害惹起にある製品(たとえば、重火器)や助言(たとえば、殺人マニュアル)の提供は、規範的関与として認められる。他方、たとえ他者による模倣行為を招きうるとしても、是認の伝達とその意図が欠ける場合には、規範的関与は認められない。たとえば、ドストエフスキーの『罪と罰』は、現実において嫌な老女を殺害することを是認したり提案したりしているわけではない。

第二に、共同的危害ケースについて、共同的・累積的危害は遠隔的危害であるが、公正な帰属・不正性の認定に大きな問題はないという。河川にごみを投棄する行為は、究極的な危害を惹起するという集団的な不正の一部であるため不正である。なお、このように行為の不正性の要件も充足され犯罪化を支持する一応の理由が認められる一方で、十分な数の者が同様の行為を行った場合に危害が発生することを理由に直ちに行為の差控えを義務づけるとすると、極めて多くの行為が禁止されることとなり、自由の制約という点で問題があるとして、犯罪化に反対する理由との調整の観点から、犯罪化するのであれば行為主体を専門事業者(specialist)に限定することが考慮されるべきであると主張される。

第三に、抽象的危険ケースについて、特に、法定速度を超過しているが運転者の卓越した運転技能等を理由に現実の危険を創出していない行為の不正性について、安全のための互恵的なスキームに対する協力義務違反にその内容を求めることが、ありうる主張の一つとされる。法定速度を超過しても安全に運転できる者も、速度制限のスキームから他者の過度な速度での運転から保護されるという利益を得ている以上、そのスキームに協力する義務、すなわち速度制限を遵守する義務を負うのであり、それゆえ速度超過は、現実の危険を創出していないとしても当該義務に反するがゆえに不正となるということであろう。また、卓越した運転技能をもつ者による速度超過が不正となる別の理由として、速度制限スキーム下での速度超過は、自車の制御に問題を生じさせなくても、速度超過を予期していない他者の運転に影響を与えることを通じて現実の危険を創出しているということも挙げられている。

第3部 感情侵害

第3部は、感情侵害原理を主題とする。ここでも行為の不正性という要素に重点が置かれる。この点について、ファインバーグも、本原理にいう感情侵害を不正な行為による事実としての感情侵害(現に感情を害されること)と捉え、行為の不正性を要求している。しかし、正当化事由又は免責事由なく事実としての感情侵害が惹起される場合には基本的に行為の不正性が認められるとして、行為の不正性がほとんど無内容なものと捉えられているため、処罰範囲の過度の拡大を招きやすい、非難の根拠が欠けるといった欠陥があるという。

そこで、著者たちは、行為の不正性をより限定的に、適切な配慮・尊重をもって他者を取り扱うことの失敗と捉え直す。この意味での不正性が認められる行為として、侮辱行為や公共の場での露出行為、執拗で強引な物乞い行為が挙げられている。侮辱行為は、意図的な侮蔑的取扱いに対抗するという人間の尊厳に基づく権利に対する侵害を、公共の場での露出行為は、(公共の場においてカップルの性交を目撃させられない権利などを含む)他者のプライベートな領域に強制的に巻き込まれない権利に対する侵害を、そして執拗で強引な物乞い行為は、公共空間において匿名でいる権利、すなわち公共空間において他者からの重大な干渉なしに放っておかれる権利に対する侵害を構成するがゆえに、それぞれに他者に対する尊重・配慮の欠如が認められるという。

加えて、この第3部では、(犯罪化を支持する一応の理由の存在が確認された後に行われる)犯罪化に反対する理由との調整の段階において妥当する制約原理のうち、特に感情侵害行為の犯罪化に特有の原理が検討されている。まず、社会的寛容の原理が挙げられる。これは、市民に対して相当程度鈍感であることを要求することは正当であり、重大な感情侵害行為のみが禁止されるべきであるとするものである。その根拠は、感情侵害行為が各人の自己表現・自己実現と深く関連する傾向にあるため、社会において多様なライフスタイルが許容されるべきと考えるなら、これを犯罪化することには謙抑的でなければならないことに求められている。また、感情侵害行為が危害のような相対的に重大な侵害を直接に伴うわけではないということも、刑法の謙抑的使用を支持する追加的な理由になるという。

そのうえで、社会的寛容の制約をクリアするためには、他者に対する配慮・尊重の欠如が重大であること、さらに危害を生じさせるリスクが認められることが必要であるとされる。後者について、たとえば、人種差別的侮辱は、雇用差別や暴力などの危害を招く偏狭な雰囲気を発生させうるという意味で危害惹起のリスクを有するため、社会的寛容の制約をクリアする。なお、当該危害は遠隔的であるものの、ここでは公正な帰属は問題とならない。というのも、感情侵害原理において行為の不正性は、他者に対する配慮・尊重の欠如によって認められるからである。本原理において犯罪化の原動力となるのは、他者に対する配慮・尊重の欠如であり、危害は社会的寛容の制約等を後退させるための補足的な役割を果たすにすぎない。

他には、他者が容易に感情侵害行為に直面することを回避できない場合にのみ、その行為は感情侵害原理による禁止の候補となるとする回避容易性の原理や、禁止行為はそれ自体として感情侵害的なものであるべきであり、単に行為者や第三者による後続の感情侵害行為の実行を可能にするだけのものであってはならないとする直接性の原理が挙げられている。

第4部 パターナリズム

第4部において、筆者たちは、パターナリズムを直接的パターナリズムと間接的パターナリズムに分けて検討する。直接的パターナリズムとは、「自身に対する危害又はその危険を惹起しようとする者に対する、その者の利益のための(民事的又は刑事的)強制」(p.149)をいう。たとえば、シートベルト装着の義務づけがこれにあたる。他方、間接的パターナリズムとは、「利益が図られる者本人に強制を加えるわけではない措置」(p.151)、すなわち、自発的に自身に対する危害又はその危険を惹起しようとする者の利益を保護するために、別の者に対してなされる強制をいう。たとえば、自動車メーカーに対するエアバッグを取り付けることの義務づけや嘱託殺人の禁止である。

直接的パターナリズムについて、著者たちは、パターナリスティックな介入が常に、いかなる自己関係的行為を行うかを行為者自身が決定できることという意味での自律を制約してしまうことを議論の出発点とする。自律の制約がパターナリスティックな介入に反対する理由として常に存在する。他方で、人は可謬的であり、緊張状態などにおいて熟慮なしに取返しのつかない重大な帰結に至る行為を行ってしまう傾向をもつ。このような場合にパターナリスティックな介入を常に否定することは、行為者の長期的な目標の達成を妨げる結果となる。以上を踏まえたうえで、J・クライニッヒ(J. Kleinig)やG・ドゥオーキン(G. Dworkin)によって、自己危害の選択とその者の長期的な目標や選好の不一致の可能性を根拠にした介入は、自己危害が重大で取り返しがつかないことやあくまで一時的な介入にとどめることといった諸条件を満たす限りで許容されうるとする見解が主張された。著者たちもこの見解に好意的である。他方で、刑法という手段を用いることには、基本的には否定的である。極めて些末な理由による自殺の試みのように、一部の自己危害行為には不正性が認められるかもしれない一方で、そのような自己関係的行為を国家が公的に非難することは、通例、人を自己決定的な存在として尊重することの要請と両立しないという。

次に、間接的パターナリズムについて、著者たちは、特に嘱託殺人に対する刑事規制の検討に注力している。その正当化根拠の候補がいくつか取り上げられるが、次のような理由から、いずれも退けられている。すなわち、嘱託殺人の部分的ではなく完全な禁止までを支持する根拠としては不十分である、個人を道徳的主体・熟慮したうえで自己決定しうる主体として尊重すべきとの要請に反する、当人が望まぬ生を送ることを長く強いられるというネガティブな帰結を招きうるといった理由である。最後に、より現実的な選択肢として、嘱託殺人の部分的非犯罪化、具体的には深刻な負担を伴う本人が望まぬ生が強いられる場合の非犯罪化について、「生活水準(living standard)」という概念を用いた検討や問題点の明確化などが行われる。

第5部 刑法からの後退

第5部の前半である第11章では、犯罪化を支持する積極的な理由の存在が確認された後に考慮されるべき要素や制約のいくつかが概観される。具体的には、まず、人のプライベートな行為や領域は国家権力の強制的介入から自由であるべきというプライバシーの尊重の要請について論じられる。次に、ある行為を規制するのに刑法が最良の手段と認められるかという検討事項との関係で、課税や不法行為法、広報活動、教育、免許制といった他の手段との比較や、犯罪化の範囲を狭める手段の一つである専門事業者のみを対象とする犯罪化に関する検討が行われる。なお、ここで、刑法は他に有効な代替手段が存在しない場合に最終手段としてのみ用いられうるという刑法の最終手段原則に対して、行為の抑止という点でより有効な代替手段があるとしても公的な非難を表明するために刑法が用いられるべき場合があるとして、疑問が呈されている。続いて、人々が公務員の自由裁量ではなく、明確で認識可能な法によって取り扱われることを求める法の支配の要請に適うことが要求される。具体的には、明確性や予測可能性などが犯罪の定義や適用に認められなければならないとされる。また、犯罪化や有罪判決は行為(者)に対する非難や不承認を公衆と当該行為者に伝達するものであるため、その不正内容を正確に特定し言語化・呼称しなければならないという。最後に、(禁酒法に顕著に認められるような)犯罪化の副作用や、警察活動のコスト、危害抑止等の有効性が実践的な制約の一部として素描される。

第12章では、二段階規制(two-step prohibitions, TSP)という、比較的新しい規制手法が取り扱われる。これは、望ましくない行為を行った又は行うと予期される者に対して民事上の禁止命令を発出し、その後禁止命令に違反する行為が行われた場合に、これを犯罪とし刑罰を科すというものである。イギリスの反社会的行動禁止命令(Anti-Social Behavior Order, ASBO)を中心とする規制が代表例とされる。二段階規制における命令は、形式的には民事命令だが、実質的には、処罰の対象となる行為を定めるものであるという点で犯罪化の機能を果たし、かつ過去になされた行為を契機として一定の剥奪、場合によっては特定の地域や公共空間からの長期の排除のような深刻な剥奪を科すという点で準処罰的な制裁の機能を果たす。それゆえ、刑事規制の非難的性格と制裁の厳しさから、その創設と執行に対して、前章までに論じられたものをはじめとして種々の重要な制約が課されるのと同じく、二段階規制も、その実質的な機能ゆえに、同様の制約に服するのであり、これを回避することは許されないとされる。そのうえで、犯罪化に準ずる機能をもつにもかかわらず命令発出に立法府のコントロールがほとんど及ばないことや、処罰に準ずる重大な制裁の機能をもつにもかかわらず命令発出に刑事手続上の厳格な制約が適用されないこと、命令発出の契機となる行為が市民にとって不明確な傾向にあることなどが、問題視される。

若干のコメント

評者が本書を読み疑問に思った点について、評者の関心や紙幅の都合に照らして、3点コメントしたい。

第一に、危害の定義についてである。危害原理にとって危害の定義の重要性は明白である。本書では、第2部において示されていた。すなわち、危害とは、「価値ある活動を行い関係を構築し、自ら選んだ目標を追求する人の機会の減損」をいう。また、よき生を追求するための手段や能力の減損とも表現される(p.36)。たとえば、腕の骨折が危害として認められるのは、被害者のニーズに応えるその能力を失わせるからである(pp.36-37)。

もっとも、このように危害を理解する場合、明白な痕跡を残さず相手方(被害者)に認識されない住居への不法侵入(危害原理一般を批判する文脈において、Ripstein 2011: 218)や意識なき者に対する性的行為といったもの(Hörnle 2014: 175; Hörnle 2016: 305)が、危害を惹起する行為とは評価されないことになる。というのも、住居への不法侵入は、住居内の物が毀損されたり不法侵入の事実が認識されたりしてはじめて、性的行為は、身体が傷つけられたり当該行為が認識されたりしてはじめて、相手方の望む目標を追求するための手段や能力を害するからである。著者たちも、前者と類似する不法侵入事例に関して、侵入行為は(土地)所有者の権利を侵害し不正であるが危害を生じさせてはいないと述べている(p.50)。もっとも、このことをもって直ちに、上記行為を犯罪化の範囲に含めるのは妥当でないと考えられるわけではないかもしれない。たとえば、著者たちは、行為が通例危害を生じさせるといえるのであれば、すべての場合に生じさせるわけではなくても、それを犯罪化の対象に含めて問題ないとしている(Simester & von Hirsch 2016: 377)。

他方で、上記行為は、事後に相手方に認識されれば、認識された時にはじめて危害という侵害を生じさせたものと、結果的に認識されない場合には、何らかの侵害を惹起したわけではなくその危険を生じさせたにとどまるものと評価されることになる。しかし、相手方の認識あるいはその可能性如何にかかわらず、行為が行われた時点で、重要な権利や利益に対する侵害が生じているように思われる。それは、「自己の身体の性的利用に関する独占的支配権」(松原2024: 95)や、「身体的内密領域[引用者補足:「他人にアクセスされることを欲せず、他人のそれにアクセスすることも欲しない身体的領域」(117)]を侵害しようとする性的行為からの防御権という意味での性的自己決定権」(井田 2023: 118)に対する侵害などと表現されるものであろう。危害が前述のように定義され、また危害原理における行為の不正性は危害に基づくものとされていることから、著者たちの危害原理は、このような侵害に適切な評価を与えることができないのではないかという疑問が生じる(同様の主張として、Hörnle 2014: 175)。

第二に、遠隔的危害のリスクが生じるケースのうち、抽象的危険ケースにおける公正な帰属についてである。遠隔的危害が問題となるケースにおいては、行為と生じうる危害の結びつきが希薄であることから、行為の不正性を認めるためには、行為者が生じうる遠隔的危害について責任を負うべき理由が示されなければならないとされていた。しかし、抽象的危険ケースにおいて、帰責できるかどうかが検討されるべき遠隔的危害が何であるかについて、評者はうまく理解することができなかった。たとえば、血中アルコール濃度の法定基準値を超えているが運転者の体質上運転適性に何の影響もない飲酒運転(cf. p.57)について、当該行為(者)への帰責が検討されるのは、当該行為が因果的に生じさせうるがそのリスクが通常の運転と同程度しか認められないような危害なのか、それとも法定基準値を超過しかつそれによって運転適性に影響を受ける他者の運転が惹起しうる危害なのか。

また、著者たちは、抽象的危険ケースの検討のなかで、安全のための互恵的なスキームに対する協力義務違反に言及していた。確かに、当該義務違反は行為が一般的な意味で不正なものであることの根拠になるだろう。しかし、これが、危害原理における危害と関連づけられた不正性が認められる理由、生じうる遠隔的危害を帰属させる理由になるという点については、疑問の余地があるように思われる。

なお、ここでは検討できないが、危害行為原理(行為が他者に対して危害的である場合に[のみ]、その行為を犯罪化する理由が認められるとする原理)と危害予防原理(行為を犯罪化することが他者に対する危害を防止するのに有効である場合に[のみ]、その行為を犯罪化する理由が認められるとする原理)の区別が可能であり、前者からは公正な帰属の問い、したがって抽象的危険ケースの犯罪化を正当化することの困難さが生じる一方で、後者からはそのような問題や困難は生じないという相違があるが、著者たちはこれらを明確に区別していないとの指摘もある(Duff & Marshall 2014: 213–214)。

第三に、感情侵害原理における危害の役割についてである。前述のとおり、著者たちは、感情侵害原理においても危害を重視し、危害のリスクを必要条件とする。もっとも、ここでは公正な帰属は要求されていない。それでは、危害のリスクの要件は、公正な帰属が要求されない場合に、どの程度処罰範囲の限定に寄与できるのだろうか。この点について、著者たちは、第4章において遠隔的危害に関するケースにおける公正な帰属の重要性を示すにあたり、我々が行う一見無害な行為もすべて長期的にみれば何らかの危害と関連しうるのであり、公正な帰属を考慮しなければ危害原理はその自由保障機能の多くを失いうると述べている(p.54)。また、予測や見込みにより生じる危害である「反応的危害(reactive harm)」(たとえば、バスのなかで迷惑行為に遭遇した者が今後も同じ目に合うかもしれないと考え以降バスに乗らないこととした場合の、重要な公共資源へのアクセスを失うという危害)も、ここにいう危害に含まれることになる(当該危害しか惹起しえない行為の犯罪化は、危害原理のもとでは、行為の不正性の欠如ゆえに正当化されない)。それゆえ、危害のリスクという要件は、社会的寛容の要請を後退させるという重要な役割・限定機能を十全に果たせるのかという疑問が生じよう。

文献案内

まず、英語文献として、Criminal Law and Philosophy vol. 10の本書に関する特集内の諸論文(Hörnle 2016を含む4つの論文およびリプライとしてSimester & von Hirsch 2016)と、A.P. Simester, Antje du Bois-Pedain and Ulfrid Neumann (eds.), Liberal Criminal Theory: Essays for Andreas von Hirsch, Hart Publishing, 2014の第3部「犯罪化における法益、危害、感情侵害」に含まれる諸論文(Duff & Marshall 2014やHörnle 2014を含む5つの論文)は、本書を読解し検討するにあたり有用である。

次に、本書の立場を含む英米圏の犯罪化論について、これを概観する日本語文献として、アシュワース&ホーダー(2021)の第2章「犯罪化」、これを参照し議論を展開するものとして、高橋(2018)の第1部第4章「犯罪化論の試み」や第5章「犯罪化と法的モラリズム」、松澤(2019)、亀田(2021; 2022)などが挙げられる。

本書評の冒頭で言及したミルの『自由論』には、多数の邦訳書がある。近年のものでは、関口正司訳(岩波書店、2020年)や斉藤悦則訳(光文社、2012年)が挙げられる。他方、ファインバーグの『刑法の道徳的限界』シリーズには邦訳書がない。もっとも、ファインバーグによる他の諸論文が邦訳されまとめられているものとして、嶋津格・飯田亘之(編集・監訳)『倫理学と法学の架橋:ファインバーグ論文選』(東信堂、2018年)があり、特に第1部第3章「法的パターナリズム」および第4章「『危害なき不道徳行為』と感情を害する生活妨害行為」は、見出しのとおり犯罪化論に関する論文の邦訳となっている。

1ミルの危害原理は、「社会が強制や統制というやり方で個人を扱うときに、用いる手段が法的刑罰という形での物理的な力であれ、世論という形での精神的な強制であれ、その扱いを無条件で決めることのできる原理」(邦訳27頁)として示されているように、正確に言えば、犯罪化だけでなく、これを含む国家や社会による干渉一般を正当化するための必要条件である。これに対して、ファインバーグは、議論の対象を犯罪化に限定している(Feinberg 1984: 3)。

2Feinberg 1984: 26–27の定式を簡略化したものである。

参考文献

  • Duff, R.A. & Marshall, S.E. 2014, ‘Remote Harms’ and the Two Harm Principle, in A.P. Simester, Antje du Bois-Pedain and Ulfrid Neumann (eds.), Liberal Criminal Theory: Essays for Andreas von Hirsch, Hart Publishing, pp.205–223.
  • Feinberg, J. 1984, Harm to Others: The Moral Limits of the Criminal Law Volume 1, Oxford University Press.
  • Feinberg, J. 1985, Offense to Others: The Moral Limits of the Criminal Law Volume 2, Oxford University Press.
  • Feinberg, J. 1986, Harm to Self: The Moral Limits of the Criminal Law Volume 3, Oxford University Press.
  • Feinberg, J. 1988, Harmless Wrongdoing: The Moral Limits of the Criminal Law Volume 4, Oxford University Press.
  • Hörnle, T. 2014, ‘Rights of Others’ in Criminalisation Theory, in A.P. Simester, Antje du Bois-Pedain and Ulfrid Neumann (eds.), Liberal Criminal Theory: Essays for Andreas von Hirsch, Hart Publishing, pp.169–185.
  • Hörnle, T. 2016, Theories of Criminalization: Comments on A.P. Simester & Andreas von Hirsch: Crimes, Harms and Wrongs. On the Principles of Criminalisation. Hart Publishing: Oxford and Portland, Oregon. 2011, Criminal Law and Philosophy, 10, pp.301–314.
  • Mill, J.S. 1974, On Liberty, edited with an Introduction by Gertrude Himmelfarb, Penguin, first pub. 1859(邦訳:関口正司訳『自由論』岩波書店, 2020年).
  • Ripstein, A. 2006, Beyond the Harm Principle, Philosophy & Public Affairs, 34, pp.215–245.
  • Simester, A.P. & von Hirsch, A. 2016, On the Legitimate Objectives of Criminalisation, Criminal Law and Philosophy, 10, pp.367–379.
  • アンドリュー・アシュワース&ジェレミー・ホーダー 2021,『イギリス刑法の原理』, 同志社大学イギリス刑事法研究会訳, 成文堂
  • 井田良 2023,『講義刑法学・各論[第3版]』, 有斐閣
  • 亀田悠斗 2021,「感情侵害原理(Offense Principle)を巡る議論の展開(一)(二・完):刑法による感情の保護に関する予備的考察」, 阪大法学70巻5号, 467–497頁(一), 70巻6号, 223–259頁(二・完)
  • 亀田悠斗 2022,「感情侵害行為の処罰に対する制約の探求(一)(二・完):感情侵害原理を巡る議論を中心として」阪大法学71巻6号, 151–181頁(一)、72巻1号, 45–70頁(二・完)
  • 高橋直哉 2018,『刑法基礎理論の可能性』, 成文堂
  • 松澤伸 2019,「刑法/刑罰制度の正当化根拠論と犯罪化論/犯罪論」, 吉開多一ほか編『刑事政策の新たな潮流:石川正興先生古稀祝賀論文集』所収, 成文堂, 41–67頁
  • 松原芳博 2024,『刑法各論[第3版]』, 日本評論社

謝辞

本稿の執筆にあたり有益なコメントをくださった、宮田賢人氏、山本展彰氏に感謝いたします。

出版元公式ウェブサイト

Hart Publishing (https://www.bloomsbury.com/uk/crimes-harms-and-wrongs-9781841139401/)

評者情報

亀田 悠斗(かめだ ゆうと)

現在、京都大学大学院法学研究科特定研究員(学振PD)。専門は、刑法学。特に、犯罪化論を中心に研究を進めている。主な論文に、「感情侵害行為の処罰に対する制約の探求(一)(二・完):感情侵害原理を巡る議論を中心として」阪大法学71巻6号・72巻1号(2022年)、「行為の不道徳性を根拠とする処罰の基準:リーガルモラリズムを巡る議論に着目して」阪大法学74巻6号(2025年)、「ストーカー行為罪に関する一考察(一)(二・完)」阪大法学69巻5号・69巻6号(2020年)などがある。

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