2026年5月18日
曽和信一・堀正嗣・山下栄一・堀智晴 『「障害児」保育の現在―共生保育をもとめて―』
柘植書房, 1983年
評者:金成 陽世
今日の日本社会において、「共生社会」の実現がいたるところで声高に叫ばれている。それは、国籍、性別、年齢、障害の有無、文化的な背景にかかわらず、すべての人が社会に参画し、多様なあり方が尊重される社会であるとされてきた。しかしながら、現実に目を向ければ、外国人を排斥する動きは強まる一方であり、セクシュアルマイノリティや障害者に対する差別も解消される兆しが見えない。
この深刻な状況は、学校現場においても同様である。とりわけ障害のある子どもは、障害を理由に個別の支援が必要であるとして、特別支援学校や特別支援学級など、健常児から分離された場で教育を受けるケースがほとんどである。また障害のない子どもであっても、通常学級に不適応とされれば、特別支援学級へと転籍させられる。通常学級で過ごす子どもたちでさえも、いつ自分がこの教室から排除されるのか、いつ友達から引き離されるのか、その恐怖と背中合わせの日々を過ごしているのだ。つまり日本の学校は、いまやどの子どもにとっても安心できる場ではない。不登校の児童・生徒数が12年連続で増加し、小中高生の自殺数が年間で500人を超えているという事実からは、子どもたちの悲鳴が聞こえてくる。
こうした状況の中で注目されているのが、インクルーシブ教育である。インクルーシブ教育は、障害児だけを特別な学校に分離することは差別だとし、障害の有無にかかわらず、すべての子どもたちが通常学級で過ごすことを目指している。また、障害児に限らず、不登校の子どもや外国にルーツをもつ子ども、複雑な家庭環境の子どもなど、どの子どもにとっても安心して過ごせる通常学級の実現を第一に掲げている。この理念は、障害者権利条約にも明示されていることから、インクルーシブ教育はグローバルスタンダードとして国際的な潮流となっている。その一方で、世界各国での取り組みと日本での議論とを比較してみると、一つ興味深いことが浮かび上がる。それは、日本においてインクルーシブ教育が語られる際、必ずと言ってよいほど、「共生」という概念がその中核に据えられているということだ。
そもそも、「共生」をそのまま表現できる英訳は存在しないと言われるほど、「共生」は日本に土着の概念である。しかしそれは、単なる理想に過ぎず、現実とはかけ離れた美しい言葉としてしばしば批判されてきた。だが教育学研究者の志水宏吉の言葉を援用して、行政主導の理想論的な「上からの共生」と草の根の実践として積み重ねられてきた「下からの共生」がある1とするならば、「上からの共生」ではなく、むしろ「下からの共生」にこそ目を向けるべきなのではないか。そこには、理想論でしかない共生を超える、実践にもとづいた「共生」が見いだせるはずである。本稿で取り上げる『「障害児」保育の現在―共生保育をもとめて―』には、まさしくその「下からの共生」が描かれていると言えよう。
ここで、本書が執筆された当時の社会的背景について、簡単に触れておきたい。出版の2年前にあたる1981年は、国連によって定められた国際障害者年であった。そこでは、<完全参加と平等>がテーマとして掲げられ、日本も含めた世界各国で、障害者施策の取り組みが大きく前進した。さらに1982年から「国際障害者の十年」が始まったことから、本書が刊行された1983年は、障害者の差別解消と権利保障についての関心が高まっていた時期であることが窺える。
さらに当時の学校教育制度に目を移してみると、それまで就学免除や就学猶予とされ、学校に通うことすらできなかった重度の障害児が、1979年に養護学校(現在の特別支援学校)への就学が義務化されたことによって、養護学校への就学の機会を得ることとなった。しかし、それは同時に、障害児が通常学校に就学するという選択肢がほぼ失われることを意味していたことから、養護学校義務化反対運動が起きた。きょうだいと同じ地域の学校に通い、友達に囲まれて育つことは、障害の有無にかかわらず、すべての子どもに保障される権利である―運動を起こした当事者、保護者、教員はそう主張した。養護学校の就学義務化は、すべての子どもを学校教育制度に包摂したが、それは障害児を地域の学校から排除することを前提とした、いわば見せかけの包摂にほかならなかったのである。
教育学の研究者においても、障害児の発達保障を理由にした分離・別学の支持が圧倒的であり、本書の著者を含めた養護学校義務化反対運動を支持する研究者は、ごく少数であった。それでも彼らは、障害児が差別され、排除されている現実を鋭く批判し、「共生」とは何かを問い続けてきた。そのラディカルに突き詰められた問いの中にこそ、40年を経た今日の日本社会が見失いつつある「共生」論が見いだせるのではないだろうか。
上記を踏まえ、今回はその「共生」論を探る手がかりとして、保育に着目してみたい。障害児をめぐる保育について研究した丸山美和子が、「1970年頃より徐々に、一般の保育所・幼稚園における障害児の受け入れが開始されるようになった」と述べていることからも分かるように、養護学校就学義務化に対する反対運動が起きていた1970年代から、保育ではすでに障害児が一般の保育所・幼稚園で受け入れられ始めていたのだ2。ここから、学校教育よりもむしろ保育現場の方が、「共生」の理念が早期に成熟・深化し、それが実践されてきたことが窺える。「共生」を体現する保育、すなわち「共生保育」は、今日の学校現場をいかに変革しうるかについてのヒントを与えてくれるだろう。これらにもとづき、以下では「共生保育」について記された本書の要約へと移りたい。
要約
本書は全六章で構成されており、各章に「共生」を語る上で欠かせない要素が散りばめられている。第一章では、障害観の転換について述べられる。これまでは、身体的・精神的な発達における遅れや欠損が「障害」と定義され、それを軽減・克服することが目指されてきた。すなわち、一般的な発達過程からの逸脱が「障害」とされてきたことがここで主張される。
第二章・第三章では、「発達」が何を問題として孕み、それをどのように脱していくべきなのかが語られる。そもそも共生保育の理念は、統合保育や共同保育への批判にもとづいている。統合保育とは、障害児と健常児を同じ場で保育することを目指しているものの、健常児集団に参加・適応できる障害児のみがその対象とされた。その統合保育への批判として登場したのが共同保育であるが、健常児と交流することで障害児の発達が保障されるという側面に重きが置かれ、発達至上主義的な実践から脱することができなかった。すなわち、「できる―できない」という一次元的な尺度で子どもを評価することにより、「できる子どもは優れた子」であり「できない子どもはだめな子」とされてしまう。これによって子どもたちは、能力で序列化され、競争させられ、「できない子」を見下し、差別するようになる。だからこそ、反差別を根底に据える共生保育は、発達至上主義から脱さなければいけないのだ。
それを踏まえ、第四章では、保育は「生活の場」であるとする。子どもたちの生活は、食事や睡眠、遊びや学びなどさまざまな場面を含んでいる。子どもたちが一日の大半を過ごす保育実践の場もそうであるはずだ。にもかかわらず、「未来のため」や「将来のため」として、いち早い発達と、競争に打ち勝つための学力とが子どもたちに求められてきた。しかし、子どもたちが自由に遊び、学び、生活するかけがえのない「いま」を、発達や学力のために犠牲にできるであろうか。障害児との共生保育は、これまでの保育そのものを根底から覆す力を持っていると言えよう。
第五章・第六章は、このような共生保育を実践するために、保育者に向けて書かれているように思われる。共生保育の中で初めて障害児とかかわる際、どのように接すればよいか分からない保育者もいるだろう。その時に「ダウン症児」や「自閉症児」としてではなく、戸惑いながらも目の前にいる「一人の子ども」として向き合えば、そこから共生保育が始まるのである。「戸惑いつつも、逃げることなく、積極的にかかわっていくこと」3。それが共生保育の第一歩である。その中で、子どもから絶えず学び、そこから自分自身を問い直すことが求められるのだ。
コメント
上記の要約から、どのような「障害児」が想像されただろうか。そこに、寝たきりの子ども、発語がない子ども、意志疎通のできない子ども、奇声を上げる子どもは含まれていただろうか。たとえ含まれていたとしても、いわゆる最重度の障害がある子どもは受け入れられないだろうと、意識的にも無意識的にも考えはしなかっただろうか。
共生保育は、どんなに重度の障害がある子どもでも、その保育の対象である。そして、たとえ寝たきりでも、発語がなくても、意志疎通ができないと思われていても、どんな子どもにも意志があり、自己主張があるとする。子どもに言葉はなかったとしても、自分の意志を表情や身体の動きで表現しており、それを周りの大人が汲み取れないがために「意志疎通のできない子ども」とされてしまう。あるいは、大人にとっては「奇声」だったとしても、その子にとってはそれが「主張」であり、「声」なのである。その子が何を伝えようとしているのか、それを分かろうとしないから「奇声」なのであり、その子の伝えたいことが分かれば、それはその子の主張が含まれた「声」になるのだ。
すなわち、大人が自分自身に原因があることを省みないまま、子どもを「障害児」とすることで、あたかも子どもに原因があるようにすり替えることが往々にして起きているのではないか。そして、「障害児」は健常児と一緒に過ごすことはできないと決めつけ、子どもたちを分離することにつながっていくのである。共生保育とは、この「障害児」に対する差別と闘う保育であるのだ。
今日の共生について論じた斎藤寛は「“共生の世界”とはいずれある日やってくるであろう状態なのではなく、つねに今・ここで生起してゆく事態として存在し得る」と述べる4。大人によって思考された理想の状態が共生なのではなく、今・ここで生きている目の前の子どもたちから生起される事態こそが、今の社会に求められている「共生」なのではないだろうか。
文献案内
本書では、共生保育に関する理論を中心に論じられた。ここでの理論と実践がどのようにつながるのかについては、本書の続編として出版された『「障害児」共生保育の展開』(曽和信一・堀智晴・堀正嗣・山下栄一編著、柘植書房、1986年)に記述されており、必読である。また、『障害児共生保育論―反差別から共生の方へ―』(曽和信一、明石書店、2003年)や『子ども同志の響き合い讃歌』(堀智晴、川島書店、2024年)も、共生保育について記述された数少ない文献であり、参照されたい。
続編である『「障害児」共生保育の展開』で取り上げられた実践のほかにも、共生を掲げて保育を実践している現場は各地に存在している。たとえば、石川県金沢市にある「ひまわり教室」の取り組みは『みんないっしょに生きようよ』(徳田茂編著、柘植書房新社、2025年)などから学ぶことができる。「ひまわり教室」の設立者である徳田茂による著書『知行とともに』(川島書店、1994年)は、保育や教育に関心がなくても、ぜひ一度お読みいただきたい。自分自身の中に潜んでいた無意識的な差別に気づき、それを問い直すこととは一体どういうことなのか、この文献が教えてくれるだろう。それから、大阪府泉南郡にある「アトム共同保育園」について書かれた文献もぜひ一読を勧めたい(アトム共同保育所『大人が育つ保育園―アトム共保は人生学校』ひとなる書房、1997年など)。大人が自分自身の未熟さを認め、それを他人と共有し、その上で人間同士が支え合い励まし合って生きていくとはどういうことなのか、アトム共同保育園の実践からぜひ学びたい。
学校現場における「共生」や、冒頭に記した養護学校義務化反対運動について詳しく知りたい方は、『障害児の共生教育運動』(小国喜弘編、東京大学出版会、2019年)を参照されたい。また、日本においてインクルーシブ教育と接続する実践がどのように展開されてきたのかについては、大阪府豊中市の取り組みを取り上げた『インクルーシブ教育の源流』(二見妙子、現代書館、2017年)を参照いただきたい。
謝辞
本稿は、JST 次世代研究者挑戦的研究プログラム JPMJSP2108 の支援を受けたものです。
注
1 志水宏吉「私たちが考える共生学」志水宏吉・河森正人・栗本英世・檜垣立哉・モハーチゲルゲイ編著『共生学宣言』大阪大学出版会、2020年、6頁。
2 丸山美和子「障害幼児の『特別なニーズ』に対するケアと統合保育:統合保育の成果と障害児保育の今後の課題」『社会学部論集』第33号、2000年、111頁。
3 曽和信一・堀正嗣・山下栄一・堀智晴『「障害児」保育の現在―共生保育をもとめて―』柘植書房、1983年、156頁。
4 斎藤寛「せめぎあう共生」岡村達雄編著『現代の教育理論』社会評論社、1988年、353頁。
出版元公式ウェブサイト
柘植書房(https://tsugeshobo.com/modules/archives/index.php?lid=134)
評者情報
金成 陽世(かなり はるよ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程に在学中。専門は日本教育史で、特に共生教育やインクルーシブ教育について研究している。