2026年7月31日
赤澤周平・三浦徹『よみがえれ!授業改革運動 麻布学園1969年11月~1970年3月』
エンパワメント研究所, 2024年
評者:渡邊 真之
高校生は、経済的には親の影響下にありつつも、学校で友人関係を構築したり、社会と新しいかかわりをもったりすることで、自分の世界を急速に広げていく。高校生とは、子どもとはいえないが、かといって大人とも言い切れない、あいまいな存在である。このあいまいな存在は、出会いや煩悶を通して、いままでの自分のあり方をくずしつつ、自分をつくりなおそうとしている。この過程を、私たちは子どもから大人への「自立」と呼んできた。
このあいまいな存在としての高校生を歴史的に考えるにあたって、1960年代末に全国の進学校を中心に生じた高校紛争・高校闘争(以下、高校紛争で統一)は重要である。高校紛争では、学校の校則や評価方法、授業の改善などを求めた生徒が学校・教師と対立した。高校紛争の存在や当時の情況は、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』や村上龍『69 sixty nine』などの小説を通して、多くの人に知られているのではないか。近年には、当事者たちの振り返りが多数出版されているほか、戦後史研究の対象としても位置づけられはじめている1。
赤澤周平・三浦徹『よみがえれ!授業改革運動 麻布学園1969年11月~1970年3月』(以下、本書)は、東京の私立中高一貫校・麻布学園(以下、麻布)で生じた授業改革運動を取り上げている。これまで麻布の高校紛争は、同時代の高校紛争のなかでも例外的に生徒側が「勝利」した事例として位置づけられてきた2。本書が取り上げるのは、「勝利」の直前に、生徒と教師が協働して授業改革に取り組んだ一連の動向である。著者らは、当時の記録をもとに1969年11月から70年3月の5か月間にわたる授業改革運動の展開を緻密に整理し、300頁という大部の著作としてまとめた。本書からは、生徒側の「勝利」という印象とは異なる、生徒が迷いながらも主張し、教師と協働・対話を重ね、授業改革へと歩んだ過程を読み取ることができる。
要約
以下、本書の概要を示す。なお、本書は授業改革運動の経過が克明に描かれた資料的な側面もあり、生徒の団体名など固有名が多々登場する。多くの人にわかりやすく本書の意義を伝えるという本書評サイトの性質をふまえ、固有名や細かな出来事については可能な限り省略していることをご容赦願いたい。
第1部「自由な麻布・怠惰な麻布」では、当時の麻布の生活や学業への態度、生徒の抱えていた不満など、一連の授業改革運動の背景が取り上げられている。第1章「1969年の麻布学園」では、当時都内でも有数の進学校・私立中高一貫校の実情があらわにされている。多くの生徒が大学進学を前提とする麻布では、独自かつ高度なカリキュラムが組まれ、板書中心の授業だったこともあり、生徒が「わからない」授業が多く、「うるさい」授業(授業中に生徒が騒ぎ出す、生徒がいたずらをする、授業中に寝るなど)もままあった。第2章「生徒の生活と意識」では、クラス日誌や卒業文集、当事者の回顧などから、当時の麻布生の学校での生活意識が記されている。ゆるやかな仲間関係のなかで、押し迫る大学受験への焦燥感を生徒は感じていた。こうした状況を、ある生徒は与えられた生活リズムに従うだけの「倦怠と無為」な日々であったと振り返っていたことが紹介されている。第3章「不満を放置するもの」では、こうした日常生活への不満が蓄積した構造が分析されている。著者らは、わからない授業の問題が個人化される傾向にあったこと、生徒のなかにも自治活動に熱心な者とそうでない者(「やる人」と「やらない人」)のあいだで深い分断があり、生徒の側が団結して動けなかったことを挙げている。もっとも、1969年3月の高校卒業式答辞で「私達が正当に勉強する権利を主張する場すらないのです。学びたくても学べない」と主張されたことが象徴するように、授業改善問題は徐々に解決すべき共通の課題として生徒間で浮上しはじめていた。
第2部「授業改革運動のはじまり」では、2学期中間試験直後に高校生徒会執行委員会(以下、高執委)による問題提起と、これをきっかけとして生じた父兄会でのテスト平均点通知への批判など、麻布においてテスト体制への批判が高まった1969年11月の動向が取り上げられている。第1章「改革運動の開始」では、試験のためにのみ勉強するというテスト体制の乗り越えが高執委を中心に主張され、この問題提起をうけ各学級のクラスタイムでも討論が行われたことが紹介されている。第2章「生徒の受け止め方」では、クラス日誌などに基づいて、クラスタイムの討論が具体的に再現されている。授業・テスト制度批判は、高2の生徒に少なからぬ影響を与え、あるクラスでは平均点制に抗議する署名運動まで始まった。生徒側の動きを受け、学校側は父兄会でテスト平均点を記入しない措置をとった。第3章「父兄会後の議論と展開」では、父兄会終了後、とくに高2の生徒のあいだで「真の教育」や「本来の教育」をめぐる主張が展開された一方で、高1や受験を控えた高3にはこうした熱は伝わっていなかったことが描かれている。第4章「1969年11月の意味」は、著者らが第2部全体の議論をまとめている。興味深いことに、生徒たちが当時提起した「本来の教育」などの本来論を著者らはいささか突き放して捉えている(コメントで詳述)。
第3部「期末試験中止から協議機関の設置へ」では、1969年11月から12月にかけての期末試験中止をめぐる生徒と学校の動向が仔細に取り上げられている。第1章「期末試験の中止」は、高2の各クラスでの定期試験廃止決議を受けた教師と生徒の反応が整理されている。生徒たちの定期試験廃止要求に対して、「どうしてそんなに試験が気になるのかわからない」という反応があがるなど(108頁)、当初教師たちは試験が生徒の思考や学習を阻害しているとは考えていなかった。しかし、一部の生徒から「バリ封も辞さない」という強硬な姿勢があらわれ、生徒側から期末試験中止への要求が高まるなかで、学校側は期末試験を中止するに至る。第2章「生徒・教師の協議機関による改革の始動」では、生徒の求めに応じて開催された、授業・試験制度及び成績評価方法の改革をテーマとした授業改革協議会(以下、協議会)の様子が明らかにされている。1969年12月10日に生徒と教師が参加する協議会が開催され、以降実力テストをめぐる議論や教科別の協議会も実施された。ただし、教科ごとの教育内容・方法を具体的に検討する段階では、生徒側は教師のもつ知識や教育内容編成の論理に太刀打ちできなかった。第3章「クラスでの討論」では、上述の協議会と並行して実施されていた各クラスの討論の様子が描かれている。ここで興味深いのは、著者らが、教師・学校側は生徒側の活動・主張をチェックせず、かなり自由な言論空間が保たれていたと指摘している点である。授業改革運動は、表面的には授業をめぐって生徒と教師が対立していたようにみえるが、実際のところは生徒・教師ともに双方への信頼が通底していた。
第4部「年明けの運動―対立と沈滞―」では、1970年に入って協議会を「欺瞞」とする一部の生徒の過激化が進行した一方で、大半の生徒が授業改革運動から離れ、運動自体が停滞していった様子が描かれる。第1章「全闘委の変貌」では、学外の新左翼諸党派と結びつきながら過激化していった一部の生徒の活動と主張が紹介されている。第2章「試験・評価の改革案」では、協議会で議論された生徒側・教師側それぞれの改革案が検討されている。生徒側の評価・成績表の改革案では、成績表の廃止などが掲げられた。著者らはこの生徒側の案に、親の期待や点数を重視してきた生徒自身の内なる価値観との格闘を読み取っている。教師側から提起された案のなかでも、一部教師による試案は生徒側の主張を取り入れて成績表の廃止や協議会の意味づけ直しを提起しており、生徒からの異議申し立てを受け入れようとする動きが教師側でも生じていた。ただし、全体として授業改革運動は停滞傾向にあった。第3章「運動の沈滞」では、1月後半以降、協議会の流会やクラスタイムの不成立など、改革運動の沈滞が生じたことが示されている。
第5部「運動の変容」では、運動が停滞して以降、2月に生じた一部生徒による校長室占拠と3月上旬の全校集会開催までが取り上げられている。第1章「2.11自主登校から全校集会へ」では、一部の生徒によって企画された街頭デモが学校側に棄却されたことをきっかけとして、2月21日に校長室座り込み事件へとつながっていった過程が描かれている。第2章「2月の授業改革をめぐる議論」では、校長室占拠と並行して各学級で実施されたクラスタイム討論や職員会議の様子が紹介されている。高2のいくつかのクラスでは授業停止が議論されたほか、生徒自身の意識変革の必要性が議論されていた。なかでも、あるクラスでは、自分たちの「自己変革」と「生活者としての自己」の両立の必要性が打ち立てられていたことが紹介されている(コメントで詳述)。第3章「4日間の全校集会」では、生徒の政治活動の自由などをテーマとして、生徒と学校側の双方が参加して1970年3月9日に開催された全校集会が取り上げられている。当初は1日で終わる予定だったが、街頭デモ申請却下や校長室座り込み事件の過程の精査が行われ、結果的に4日にわたって全校集会は行われた。著者らはこの全校集会の成果にとして、①生徒の自主活動に対する基本的な考え方とルールが明確にされたこと、②2月以降の生徒側と学校側の対立について、事実確認と総括が生徒・教員双方参加する場で行われたこと、の二点を挙げている。
第6部「授業改革運動の到達点」では、3月中下旬以降の授業改革運動の展開が取り上げられている。第1章「共同体としての学校」では、2月の校長室座り込み事件のさなか、高2のあるクラスでの討論が紹介されている。このクラスでは、一部の生徒が校長室座り込みを敢行しているのにほかの生徒が通常通り授業を受けることはおかしいという声をきっかけとして、学校とはなにか、学校はどうあるべきかが議論された。クラス討論では、学校を「共同体」、「知識欲をもった集合体」として捉える意見が登場し、生徒同士の話し合いを通じて共同体意識が醸成されていったという。第2章「授業改革の試み」では、生徒・教師の対話を経て、授業がどのように変化したのかが具体的に紹介されている。例えば高2の国語では、従来のテスト方式ではなく、日本の戦争文学を題材として「戦争に「遅れてきた」世代として戦争体験をどのように受け止めるか」について、200字詰め原稿用紙50枚以内でレポートを課す「進級大論文」が取り組まれた(なお、現在でも麻布では中3・高1のそれぞれの学年で論文執筆を課す取り組みが行われている)。また社会科においても、レポートを課すことや発表授業が行われたほか(西洋史)、生徒による自主的な発表の導入などが試みられた(日本史)。第3章「授業改革の到達点」では、3月18~20日に開催された「授業改革のための全校集会」における試験・評価制度や授業の改革案についての討論が取り上げられている。生徒側は、生徒が授業に主体的に参加できるようにすることなど5項目を教師側に要求し、試験・成績評価のあり方についても意見を申し立てた。これに対し教員側も、教科ごとに具体的なカリキュラムの構造や学習内容を提示し、生徒の自主性を重んじる授業方法の導入を目指すことで合意した。
もっとも、ここで決められた合意事項は、すぐに破られることになる。3月末の校長の急遽の辞任に伴い4月に新たに就任した校長代行は、先の合意事項の一方的な破棄を宣言してしまう。この後の混迷については、坂上貴之・杉本有俊・星野英一『増補・復刻 幕間のパントマイム 授業改革運動と山内校長代行退陣の狭間で』(エンパワメント研究所、2024年)に詳しいので、参照されたい。
コメント
本書は、当事者たちの記憶のみならず、当時の記録(生徒会のビラや文集など)に加え、関係者らへの聞き取り等に基づいて、麻布の授業改革運動を多角的に再構成している点が特徴的である。とくに、生徒の視点のみならず、職員会議等での発言や資料に基づいて、教師の視点からも授業改革運動が記述されている。本書は、麻布における授業改革運動を立体的に描き出した労作であり、高校紛争史のみならず高校生文化研究や戦後教育史としても重要な著作である。
先述したように、麻布の高校紛争は、1970~71年にかけての山内校長代行の登場とその退場に着目し、高校紛争で稀に見る「勝利」の事例として描かれてきた。しかし本書では、生徒と教師が対峙しつつも対話を重ねた授業改革運動に焦点を当てることで、単なる「勝利」像や過激な運動像には還元されない、豊かな「高校紛争」像が提起されている。なかでも、私は次の三点を興味深く思った。
一点目に、本書が生徒のナイーブさや弱さを描き出し、高校紛争のなかで迷い、考える、あいまいな存在として、等身大の高校生の姿を描き出している点である。高校紛争に参加した高校生ときくと、どこか圧政に立ち向かう英雄的な存在をイメージする向きもあるかもしれない。ただし本書は、生徒を英雄的に描いたり、美化したりするのでもなく、また貶めるのでもない。
本書を一読して、当時の麻布生が「エリート」高校生として、親の期待や自分自身の内なる価値観に縛られつつも、これらを乗り越えようとする等身大の高校生の姿が印象に残った。そもそも、授業「改革」という主張自体が(「粉砕」などの表現ではない)、当時の麻布生の真面目さをよくあわらしている。麻布は学年の半分が東大・早稲田・慶応に進学するエリート校で、生徒の「親も大学進学を期待して」おり、「その期待を裏切るのは逆に面倒な作業であった」(164頁)。本書は、こうした親の期待や自分自身の価値観に縛られているという生徒の側のナイーブさや、授業改革要求の裏側の生徒の心情(よりよい授業を求めることや教師との人間的関係の希求など)、生徒の主張の弱さをしっかりと描き出している。同時に、本書は生徒たちを美化しすぎず、生徒間で意識の差があったこと(「やる人」と「やらない人」)にも言及し、生徒を一枚岩の存在として描いていない。こうした等身大の生徒像の描出は、当時の記録を丹念に読みなおし、自分たちの「記憶」を精査しなおす本書のプロセスによって可能になったと思う。
なお、本書で提起された一枚岩ではない生徒像の描出は、現在においても示唆的である。近年の市民性教育・シティズンシップ教育論では、政治的市民性を身に着けることを生徒に過度に期待し、「生徒」を一枚岩の存在として捉えその多様性を看過する傾向があるように思う。生徒は実際には多様であるし、親の期待やさまざまなしがらみのなかで生きているということを忘れてはならない。
二点目に、本書は生徒と教師が対話し協働する場として「授業」を捉え、その可能性を描き出した点で優れている。
麻布生にとって、授業は徐々に重要な場になっていった。生徒たちは、協議会での議論やクラスタイムでの討論等を経て、授業への意識を大きく変えていった。あるクラスでは、「授業を受けながら、授業を改革していこう」という決意が表明される。授業を変革するためにも授業を主体的に受け、「自己の生活者としての態度と自己の変革者としての態度の両立を」という主張が登場することになる(228頁)。ここからは、生徒たちにとって、授業とは、生徒の日常であると同時に、知を介して人間関係を構築し、自分自身を新たにするために重要な時間として捉えられていたことが読み取れよう。
このような生徒による素朴な授業改革要求が、一部の教師たちの授業観をも変化させていったことは注目に値する。当初、教師たちにとって、テストがなぜ生徒にとって重大な問題なのかが理解できなかった(108頁)。また、例えば英語科の教師たちが「英語をやるからには単語、イディオム等をギリギリ暗記することは絶対必要」と(148頁)、より実践的な英語授業を求めた生徒の要求をほとんど取り上げなかったことなどにみられるように、生徒の授業改革の声は教科の論理・専門性に基づいた教師たちの声にかき消されていた。ここでは、「教える」側の論理が優先されていたと言っていい。ただし、協議会での議論の進展や、生徒の要求を受け入れようとする教師の献身もあって、一部の教科や授業では、従来の知識教授型の授業や評価方法を改めようとする動きがみられるようになる(第6部第2章)。
このように、麻布の授業改革運動では、生徒と教師双方への信頼を前提として、等身大の生徒の声を受け止め、生徒と教師双方の「授業」像を問いなおすことで、生徒のみならず教師も含めた「共同体としての学校」の構築が模索されていたといえる(250頁)。麻布の授業改革運動の軌跡からは、「授業」を単に知識を教授する場・受け取る場として捉えるのではなく、生徒と教師の要求がぶつかりあい、この衝突を契機とした対話の場として「授業」を捉えうること、こうした「授業」の捉えなおしが豊かな「学校」像へとつながる可能性があったことが読み取れるのである。
やや余談になるが、従来の教育学・教育史は、高校紛争を通史として組み込んでこなかった。その背景には、単に時間が経過していないということだけでなく3、生徒と教師が(時に衝突しながら)対話を経て自らをつくりかえていく場としての「授業」像が、当時主流の教育学の枠組みでは理解されえなかったこともあるのではないか。生徒たちの授業改革の声とは、点数やテストに縛られてきたこれまでの自らの価値観を崩し、知的にも人間関係的にも新しい自分をつくろうとする声だった。ただし、教師が教材を通して生徒を変革させていくことを当然視する授業観・教育観では、生徒の実存的な要求は授業を妨害するものとして位置づけられるか、よくて教師の教材や授業方法のアップデートに換骨奪胎されてしまう。事実、高校紛争での高校生の声は、政治的に偏った声としてみなされ、当時の教育学は冷淡に扱ってきた。授業改革の高揚と生徒と教師の対話の可能性を描き出した本書は、教育学・教育史への反省も迫るものとしても読めるように思った4。
三点目に、本書は、記録と記憶を組み合わせた、当事者によって語られる歴史という点でも示唆的である。著者である赤澤氏・三浦氏・堀家氏(諸事情により堀家氏は本書の著者には名を連ねていない)は、本書のもととなる原稿をいったん1980年ごろに仕上げながらも、刊行することはなかったが、2020年ごろに再度執筆作業に着手したという。その際、著者らは40年前の原稿を二次資料として用いつつ新たに分析を加え(著者らはこの作業を「記録」と呼んでいる)、生徒と教師の関係性や運動の高揚・衰退の原因などを探るという新たな視点を付け加える形で本書を編んだ。この際、「個人の記憶違いによる事実の誤認を防ぐために、三人のあいだで互いの記憶を確認し、当時の資料を当り直したり、卒業生や教員の方に質問や聞き取りを行ったりした」という(307頁)。
当時の運動にかかわった著者らは、本書を編むにあたって、著者らの主観を可能な限り排除し丹念な叙述に努めている。これは、過去の自分たちの行動を突き放した筆致にあらわれている。とくに興味深いのは、著者らが生徒による授業改革の要求の妥当性を認め、その可能性を引き出そうとしている一方で、その論理の稚拙さを繰り返し指摘している点である。例えば、生徒の側による「本来の教育」という主張について、著者らはその意義を認めつつも、「「本来の教育」それ自体は具体的な価値体系として語られず、現状の反対概念としての抽象的にイメージされているもの」であり、「具体性がなくても誰も否定することのできない一般論は便利であった」と突き放している(80頁)。生徒の異議申し立ての重要性を認めつつも、ここでは「本来」論がもつ弱さを指摘している。同時に、こうしたナイーブな生徒の声を対話に値する声として捉えた教師や学校側の姿勢を(一部は批判しつつも)評価しているように感じた。
本書を執筆した三浦氏はいわゆる「やる人」であり、赤澤氏は「やる人」と「やらない人」を行き来していたという(306頁)。当時の記憶を呼び戻し、記録をもとに検証し「何が起こったのか」を丹念に描き出す作業を行うことで、「やる人」と「やらない人」の分断など、当時の生徒の雰囲気が再現されている。当事者は意外と出来事の全体像が見えていないといわれがちだ。ただ、著者らは当事者の視点からは見えづらいこと・書きづらいことを、記憶のすり合わせや資料の分析によって、丹念に叙述している。本書が高い資料的価値を有する所以である。
最後に、評者がさらに知りたくなった点を一つだけ書いておきたい。麻布の授業改革運動の経験は、当事者たちのその後の人生にどのような影響を与えたのかという点である。当時の麻布生は、まごうことなき「エリート」高校生だった。授業改革運動に取り組んだ(巻き込まれた)麻布生の多くは大学へと進学したが、それは当時まだ特別なことだった。1960年代は高校進学率が急上昇するが、多くの生徒が大学進学を前提とした高校は珍しかった。授業改革運動の当事者たちは、その後「エリート」(の大人)として生きたはずである。エリートとして生きるなかで、麻布の授業改革運動の経験は、当事者たちになにを与えたのだろうか。「元」高校生たちに問うてみたいように思った。
文献案内
- 三人会(坂上貴之・杉本有俊・星野英一)編『幕間のパントマイム 麻布学園1970年4月~1971年11月』増補復刻版、エンパワメント研究所、2024年
···本書が取り上げた授業改革運動直後の1970年から1971年の麻布が取り上げられている。関連資料もwebで掲載されている。本書と読み比べると、学年がわずかに違うだけで、高校紛争体験が大きく異なることがわかる。本書とあわせて読んでほしい。
- 小林哲夫『高校紛争1969-1970 「闘争」の歴史と証言』中公新書、2012年
···全国の高校紛争について、網羅的に取り上げている。高校紛争の全体像を把握するうえで重要である。
- 小国喜弘『戦後教育史 貧困・校内暴力・いじめから、不登校・発達障害問題まで』中公新書、2023年
···先述したように、これまでの教育学・教育史は、高校紛争をほぼ取り上げてこなかったなかで、同書は高校紛争を戦後教育の通史に組み入れ、その可能性を描出したはじめての著作であると思う。戦後教育史を理解し直すうえでも重要な著作である。
謝辞
本書の著者の一人である三浦徹先生には、当時の関係資料をお譲りいただいたり、質問にもお答えいただくなど、大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。
また、草稿をチェックし、丁寧にコメントくださった中森千裕さんにも、深く感謝申し上げます。
注
1 例えば、立川高校の高校紛争の記録について、都立立川高校「紛争」の記録を残す改編『鉄筆とビラ』(同時代者、2020年)や、日比谷高校で自身が高校紛争の当事者だった高橋雄造による『高校生運動の歴史』(明石書店、2020年)などがある。また、高校紛争は徐々に戦後史研究の対象にもなりつつある。小熊英二『1968』(上下巻、新曜社、2009年)や小林哲夫『高校闘争1969-1970 「闘争」の歴史と証言』(中公新書、2012年)など。
2 小林、前掲『高校紛争1969-1970』、241頁。
3 1960年代以降を対象とした教育史研究の必要性は、以下の文献にあるように、これまでもつとに指摘されてきた。教育史学会編『教育史研究の最前線Ⅱ』六花出版、2018年、101頁。
4 なお、小国喜弘『戦後教育史 貧困・校内暴力・いじめから、不登校・発達障害問題まで』(中公新書、2023年)では、高校紛争を生徒による学習権が主張された事例として戦後教育史の通史に位置づけており、重要な研究といえる。
出版元公式ウェブサイト
エンパワメント研究所(https://www.space96.com/php/user/item_detail.php?store_id=empower&item_cd=az002)
評者情報
渡邊 真之(わたなべ まさゆき)
現在、お茶の水女子大学教育科学コース助教。専門は、戦後教育史で、特に、1960年代の教育運動・児童文化運動を「現代っ子」の観点から研究している。主な論文・著作に、「1960年代の子ども研究における消費の位置」(日本教育学会『教育学研究』第88巻第1号、2021年3月)や「1960年代前半の児童文化運動における教育的子ども観の問い直し」(日本子ども社会学会『子ども社会研究』第28号、2022年6月)など。趣味は、観劇(宝塚歌劇など)、料理、旅行、野球観戦。
researchmap:https://researchmap.jp/watanabe.masayuki/